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2007年05月17日

特集/温家宝・池田大作会談を検証する

中国側が最大限利用した「政治家・池田大作」との会談
山村明義 ジャーナリスト

 透けて見える中国のしたたかな計算

 4月12日、中国の温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談した。92年にも池田氏と温家宝首相は一度会談しているが、今回の会談は、まさに「日中友好のための演出づくり」という様相を呈していた。
 ホテル・ニューオータニで開かれたこの会談から1カ月が経過したが、いまだにこの会談の意味を、どのメディアも総括していない。一般の新聞テレビも池田氏と会談した意味は、どのメディアも大きく取り上げなかった。聖教新聞は、「日中友好はアジアの平和の要」と、自画自賛の記事に終始していたが、これは客観的な見方とは言い難い。そこで、もう一度、池田―温会談の意義を検証してみたい。

 温家宝首相ら中国政府が日本側に対し、訪日日程を正式に提示してきたのは、外交慣例としては異例のスケジュールまで1カ月を切った3月中旬のことだった。
 「日本を含む周辺諸国に対する中国外交は、常にその傾向がありますが、自らの演出を重視し、相手国の都合を無視することが多い。今回も最初5日間としていた日程を韓国訪問のために、3日間に短縮し、警備上も必要なプロトコル(儀礼)を守らなかった。例えば、国会で演説するときの原稿を日本側に見せないとか、庶民との対話を重要視するため、代々木公園でジョギングをしたこと。池田大作氏との会談を中国側が延長したため、国交正常化35周年、日中文化・スポーツ交流年の歓迎レセプションに遅れたことなどでした」
 政府関係者の一人はこう語る。
 6年半ぶりの今回の中国首脳の訪日は、日中双方の関係者の話を総合すると、あくまで経済目的といっても過言ではなかった。
 外務省関係者はこう語る。
 「中国政府は、来年の北京五輪や2010年の上海万博まで、経済問題を最重要視する方針。そのため、日本の対中投資が減る原因となった2年前の反日破壊活動など起こすことなど、もはやできない。具体的には金融・エネルギー・環境といった分野で、日本と中国が経済協力を行うというものでした。国内の経済維持という目的を持つ中国政府側の思惑と、日中間の戦略的互恵関係のために今回の会談を成功させようという日本の外務省側の思惑がピッタリ合致していたから、最初から成功は目に見えていた。だから、創価学会がいなくても訪日は成功していたんです」

 それでは、日中首脳会談における創価学会の役割とは何だったのか。
 今回、中国政府側は、正式な外交スケジュールの中に池田氏との会談を入れてきた。中国側は約2週間前から池田氏と会談することを中国国内のマスコミに公表し、会談場所には李肇星外交部長や武大偉外交副部長、王毅大使ら、外交部の幹部も参加している。
 一方、日本政府側は、池田氏との会談を政府の公式日程には入れなかった。外務省が事前に報道陣に配布した「取材要領」という報道資料の中にも、池田氏との会談日程が一切記述されていなかった。ところが、温家宝首相との党首会談が午後3時半に自民党の中川秀直幹事長から始まり、公明党、民主党、社民党、共産党の順に約15分―約20分間で組まれていたにもかかわらず、その後に行われた池田氏との会談は、約30分にも及んだ。

 その違いの裏側には、中国という共産党独裁国家のしたたかな計算が透けて見える。
 「中国側が創価学会を最大限利用したというのが実態でしょう。というのは、政治における交流である党首会談や日中友好議連などの予定が組まれる前に、すでに池田氏との会談がセットされていた。実は、その時永田町では、『なぜ池田氏との会談を先に決めるのか』、『議員より先に、池田氏との会談を入れるべきではない』―などという意見が噴出していました。そのため当初は池田氏との会談は、各党首会談後の約15分間というスケジュールになり、池田氏が『庶民の王者と会って下さい』というセリフになったのです」

 自民党関係者はこう語る。
 この「庶民の王者」発言は、一部週刊誌や日本国内のネット社会の中で、大きな波紋を呼んでいた。冒頭5分間だけ会談を聞いていた記者の耳には、池田氏の発言が、「有り難うございます。庶民の王者に会って下さって」としか聞こえず、会談翌日の聖教新聞に記されたように、「政治家ではなくて、庶民の王者に会って下さい」という表現には、決して受け止められていなかったからだ。
 創価学会側では、「庶民の王者とは誰のことか?」という一部メディアの問いには答えなかったが、ここでの文脈では、「庶民の王者」とは、池田氏自身のことと考えるのが普通だろう。この問題については、枚数が少ないのでこの程度にしておくが、ところで、中国側は池田氏をどう見ているのだろうか。

 池田と会談するのは創価学会が利用しやすいから

 結論から先に言えば、74年に池田氏が初めて訪中して以来、皮肉なことに中国政府は池田氏を「宗教家」ではなく、「政治家」として受け止め続けているのだ。
 池田氏の初の訪中に同行した原島嵩元教学部長は、「池田氏は、元々文化大革命下の中国に憧れを持っていました。ところが、2度目の訪中で初めて会談できた周恩来首相を始め、当時の中国政府幹部は、池田氏のことを“政治家”と呼んでいた」と明かしている。 駐日中国大使館にいる中国政府関係者も、
 「池田氏と会談するのは、創価学会が利用しやすいからです。中国共産党はいま、宗教を使って政治を支配するという方法を学習中であり、特に創価学会は、公明党という政治組織も持っており、お互いに利益がある」
 と私に対して語っていたものだ。

 つまり、中国政府側は、創価学会を「政治的エージェント」、あるいは「政治的な同志」として見ている可能性が高いのである。
 実際にこれまで創価学会が中国政府を公式に非難したことは、私の知る限り一度もない。89年の天安門事件の際にも、95年の核実験の強行時にも、平和・人権的とは絶対に言い難い中国政府の行為を批判しなかった。これは05年の反日デモの時も同じであった。
 彼らは常に「日中友好」という中国側が喜ぶ大義名分の下に、相手に対する美辞麗句だけを乱発してきた。今回も温家宝首相のことを「閣下」と呼ぶ池田氏の持ち上げぶりには、聞いていた報道陣を赤面させていたものである。

 これでは、創価学会は中国政府の言いなりの組織だと言われても仕方がないだろう。
 今回、温家宝首相は、国会演説などで見事なまでに日本に対する敵愾心を隠し、日中友好を演じきった。それは、先にのべたように現在の中国にとっては、時期的に日本の協力が必要となるという中国が後の利益を重視したことに基づく外交政策だった。

 ところが、創価学会はその中国政府の思惑にまんまと乗った。しかも池田氏は会談中、「歴史を鑑に」という、今回は温家宝首相が国会演説ですら口にしなかった言葉まで吐いている。「歴史を鑑に」という言葉は、表向きは日本が軍国主義化しないようにする牽制だが、その裏では、日本が中国に対して反逆する意向を示さないようにするために、中国共産党が多用してきたキーワードなのである。日本の国益をこれまで否定してきた創価学会としても、過去の例をなぞって、温家宝首相ら中国政府が喜ぶ言葉をわざわざ投げかけたわけである。経済中心の日中友好ムードの中で池田名誉会長の健康な姿を内外に示したかった、という学会側の思惑もあったに違いないが、この過剰なリップサービスは、時代に逆行しているといってもいいだろう。

 今後の真の日中友好とは、相手を誉め合うだけでは発展性は期待できない。過去、日中関係は双方が無理に友好ムードを高めても、必ずと言って良いほど失敗してきたからだ。
 日中が互いに国益の違いを認め合い、言いたいことを言い合わなければ、日中関係は必ず元の関係に戻るのだ。創価学会が現在の方針を取る限り、両国の戦略互恵関係は到来しないだろう。

山村明義(やまむら・あきよし)1960年生まれ。早稲田大学卒。金融業界紙、週刊誌記者を経て、フリージャーナリスト。政治・経済・外交をテーマに幅広く執筆中。外務省 対中国、北朝鮮外交の歪められた真相』(光文社)をはじめ著書多数。

投稿者 Forum21 : 2007年05月17日 15:33

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