露呈した『言論のテロリズム』のお粗末度
2 「言論テロ」を叫ぶ創価学会の「言論テロ」/本誌編集部

2-1. はじめに | 2-2.焦る創価学会 |  2-3.全面戦争は不可避

2-3. 全面戦争は不可避

 週刊新潮では、昨年暮れの十二月二十七日号で、この本を取り上げて、著者の正体を明らかにしている。
 それによれば、案の定、著者の山本栄一は創価学会員で、「約2000人の学会員を束ねる地域本部の壮年部トップ(壮年長)の地位にいるオン年七十二歳のご老人」なのだそうである。
 答えが分ってしまえば、「なーんだ」という程度のものだが、本のどこを見ても、読売新聞の元編集委員としか書いてないため、あたかも客観的なジャーナリズムの人間を探し出して本を書かしたのかと思えば、やはり創価学会もそこまではできなかったらしい。
 とにかく、その中身は相当噴飯物なのである。
 週刊新潮の手記が捏造だというのだから、なにか証拠があるのかと思えば、まったく違う。
 いくら読んでも、捏造だという証拠が出てこないのである。それだけではない。週刊新潮の門脇記者と信平、そして弁護士が話しているテープまでこの本には登場してくるのだが、そこに捏造を思わせるくだりは一切出ていない。それどころか、この本の方がこのテープを「捏造」していることが判明してしまうのだ。
 その週刊新潮の記事の一部を引用してみよう。
この本に捏造の証拠として登場するのが、信平さんがある弁護士に相談する時の模様を録音したテープである。そのテープを山本氏は独自に入手したらしい。彼の記述によれば、
「信平の作り話は、面談した弁護士ですら、「話にならない」と結論づけざるを得ないものだったのである」
 という決定的なものだった。ご丁寧に、本にはその弁護士と信平さんの一問一答が延々と記述されているのだ。
 本誌が当該のテープを独自に入手して聞いてみると、弁護士が「作り話」で「話にならない」と結論づけているどころか、レイプは「真実であり、疑いない」が、裁判では「勝てるかどうか分らない」という趣旨の発言を繰り返しているのである。
 例えば、同じ発言の中で、
「あなたの言うことは間違いないと思う。あなたの目を見てもそう思う」
 という強い調子で弁護士が語る部分は、その直前で切られて記述されている。つまり、都合の悪い部分は一切カットし、「逆の結論」を導くべく歪曲しているのだ。
 さらにこのテープには、約1時間半にわたり、信平さんの詳細なレイプの告白が収められている。それは体験した者でなければ語れない迫真の証言であり、中にはまさに秘密の暴露ともいうべき決定的な部分もある。が、山本氏はその部分にも触れていない。
 「なぜ肝心のレイプの告白の記述がないんですか」
 と、ご本人に聞いてみると、
 「そもそも手記は週刊新潮の捏造なんだから、そんな部分はあるわけないでしょう」
 と、おっしゃる。さらに、
 「レイプ自体あり得ないのだから、あるわけがない。そもそもこの本は、資料やテープをもとにしたドキュメント。当事者への取材も必要ない」
 という。ジャーナリズムの常識から言えば、実に驚くべきご意見の持ち主である・(同誌十二月二十七日号)
 なんのことはない。その程度の杜撰な本だったのである。記事の中にも、著者の山本栄一のコメントも登場するから、当然、週刊新潮の記者と山本は接触したことになる。
 週刊新潮の関係者がいう。
 「山本氏は自分は逃げも隠れもしないと最初の取材の時には言っていたのに、こちらがテープを聴いて、向こうが捏造していたことがわかったので、再度取材させてもらうべく申し込むと突然、約束の時間も無視して逃げてしまったんです。その後、何度連絡をとろうとしてもついに出てきませんでした。よほど後ろめたかったんでしょうが、仮にもジャーナリストならこんな捏造をやって恥ずかしくないんでしょうか」
 それにしても、大々的に宣伝している鳴り物入りの本にしてもそのレベルなのである。
 しかし、興味深いのは、この捏造報道に対して、逆に週刊新潮が訴訟を検討し始めたということだ。さすがに、個人を標的にした報道とそのデタラメぶりに呆れ果て、このまま放っておいていいのかという話になってきたというのである。
 特に、記者の実名を挙げての部分は、名誉毀損が成立する可能性が極めて高い。しかも、法廷に持ち込まれた場合、争点は当然、あの手記が真実であるか否かになる。すなわち、池田レイプ事件があったかなかったかということが真っ正面から争点になる訴訟だということである。
 当然、証人として週刊新潮側は信平信子を法廷に引っ張り出してくることになる。果たして、池田を出廷させるところまで追い込めるかどうか。それが可能かどうかを検討中だという。
 かつて月刊ペン裁判では、出廷を余儀なくされ、法廷で大汗と大恥をかいた忌むべき経験を持つ池田大作。もし、現在おこなっている常軌を逸した週刊新潮攻撃が新たな訴訟を呼ぶことになったら、一体その責任は学会内部で誰が取るのだろうか。
 それはそのまま形を変えた新・池田レイプ裁判となる。マスコミの新たな関心を呼ぶことも間違いない。創価学会が出した一冊の本とその後の常軌を逸した報道が呼び水になって、ひょっとしたら池田大作が法廷に引っ張り出される事態に進む可能性も出てきたのだ。
 一度は終わったかに見えた池田レイプ事件。どっこいまだまだ終わっていなかったのである。(文中敬称略)

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