露呈した『言論のテロリズム』のお粗末度
2 「言論テロ」を叫ぶ創価学会の「言論テロ」/本誌編集部

2-1. はじめに | 2-2.焦る創価学会 |  2-3.全面戦争は不可避

2-2.焦る創価学会

 バブル崩壊以降、企業の広告が激減した状況下で、各メディアは背に腹は代えられないとばかり、広告部門から次々と創価学会による巨額の出稿資金の軍門に下っている。しかし、新潮社は業績不振に喘ぎながらもいまだに創価学会と一線を画し、両者は激しい対立関係にある。
 創価学会と週刊新潮の戦いの歴史は、そのまま創価学会の内部叛乱の歴史でもある。
創価学会第三代会長・池田大作(現名誉会長)は、自分以外の絶対的存在を許さない特異な独裁者だが、その異常な嫉妬心と名誉心、 そして猜疑心によって、数え切れないほどの側近の造反劇を生んできた。
そして、それはほとんどの場合、週刊新潮を舞台に展開されてきた歴史がある。
すなわち、逆説的にいえば創価学会内部には、週刊新潮に対するある種の信頼感が存在するのである。それは、週刊新潮だけは、途中で裏切ったり創価学会の軍門に下ったりすることはない、という認識を当の創価学会の幹部たちが持っていることにほかならない。
自分が文字通り命を賭けて内部告発に及ぶ時、そのメディアが途中で創価学会からの工作に負けて裏切られたり、梯子を外される可能性があるのでは、おちおち告発の決断などできようはずがない。
 「週刊新潮だけは、絶対に揺るがない」
創価学会内部では、中枢に近い幹部であればあるほど、そのことが周知徹底されている。だからこそ創価学会にとって最大の敵でもあるのだが、同時にこれまで学会に離反していった枢要な人物が、ことごとく週刊新潮を舞台に内部告発に及んできた理由もそこに存在するのである。
 山崎正友しかり、龍年光しかり、藤原行正しかり、寺田富子しかり、……。彼らは、このメディアを自らの意見を国民に知らしめるための最大の拠りどころにしてきたのである。
いきおい創価学会にとって週刊新潮の存在は「最も憎むべき仏敵」であり、「どうしても消さなければならないメディア」となっている。
その両者の激しい衝突は、平成八年二月二十二日号に同誌が掲載した、
<沈黙を破った創価学会婦人部幹部「私は池田大作にレイプされた」>
で、頂点に達する。この手記の衝撃は、創価学会にとって言葉にも表せないほどのものだった。
 なにしろ、創価学会の「生き仏」であり、「永遠の指導者」である池田大作の女性問題が当事者によって暴露され、しかもそれがレイプだったというのだから、これ以上の衝撃があろうはずがなかった。月刊ペン裁判での女性関係の暴露や、寺田富子による肉体関係の告白とはそもそも比較にならない爆弾だったのだ。
手記を書いたのは、北海道創価学会副総合婦人部長の信平信子。学会婦人部の大幹部だった。
北海道では、信平の名前は有名だ。その誠実な人柄と熱心な折伏のやり方は多くの学会員から尊敬を集め、北海道創価学会草創期からの立て役者として知られていた。
そもそも学会の内部では、池田大作が手をつけた女性は、「九州の○○」「ブラジルの××」あるいは、「国会議員の△△」といった具合になかば公然の秘密となっているのだが、この信平信子に関しても、「北海道の二号さん」と、いつの頃からか古参幹部の間で口の端にのぼっていた存在だったという。
こともあろうに、その大幹部が実名で告白し、その手記が掲載されたのだから、これは創価学会にとって驚天動地の出来事だったのである。
 週刊新潮関係者によると、
「手記が掲載されるや、深夜までおそろしい数の抗議電話がひっきりなしにかかり、学会員による池田への盲従の凄まじさを垣間見ました。手記が当事者でなければ書けない細かさと迫真に満ちたものだっただけに余計彼らにとっては許せなかったのでしょう」
この手記をものにしたのが、同誌編集部の次長、門脇護である。創価学会モノに限らず、数々のスクープを手掛けてきたやり手デスクとしてマスコミ業界では名の通った存在だ。頻発する少年犯罪で少年法改正の大論陣を張った週刊新潮の記事を全面的に担当し、神戸・酒鬼薔薇事件の被害者手記を発掘するなど、「社内では有名な存在」(新潮社社員)だそうだ。文字通り、週刊新潮のエースだが、創価学会は目下、その門脇を連日のように聖教新聞その他のメディアで罵倒し、凄まじい攻撃を仕掛けているのである。
すなわち「門脇記者がこの手記を担当し、捏造した」というのだが、ヒステリックなその報道内容からはなにが捏造なのか、まったく分からない。
 そもそも、新潮社の関係者によれば、その記事自体を、創価学会は現在に至るまで名誉毀損で訴えることもしていないのだそうである。
創価学会は週刊新潮に対してあらゆる訴訟攻撃をかけてくるのが、これまでの常套手段だった。
些細な記事であろうと、法廷に持ち込むことによって、やがてメディアの側が辟易して、学会モノの記事から撤退していく、というパターンがあるため、特に週刊新潮に対して創価学会はこの方針を堅持してきた経緯がある。
だが、なぜかこの信平手記に対しては、創価学会は一切訴訟も起こしてこなかったのである。内部では学会員の動揺を抑えるために当初から、「これは捏造だ」と喧伝し続けたにもかかわらず、週刊新潮を名誉毀損で訴えるといういつもの戦術からはなぜか逃避したのだ。
もちろん、手記の中身を読めば、その理由はある程度想像がつく。信平が夫にまで隠していた事実をなぜ告白する気になったのか、そしてそのレイプの実態がいかに薄汚いものであったか、それは読む者を慄然とさせる息をのむ内容だっただけに、これが法廷に持ち込まれたら、傷つくのは池田大作の側であることは、予想できることだった。
そして、この記事は、この年の雑誌ジャーナリズム賞を受賞することになる。
 学会関係者がこんなことを明かす。
「あの手記を訴えることなんてできるはずがありません。男女二人だけの間にあったことで、あそこまで詳細に告白されては、週刊新潮との訴訟で名誉会長が出廷を余儀なくされるのは確実でした。それなら、信平側が起こしてきた本体のレイプ訴訟に勝つことの方が絶対に得策だ、となったのです」
 たしかに手記発表後、信平側が提起したいわゆる「池田レイプ訴訟」は創価学会の総力を挙げた戦いになった。
創価学会は法廷で信平に証言をさせないという徹底した拒否戦術に出る。信平側の訴えは、「訴権の濫用」であるとの主張を展開するのだが、それに対して裁判所は実に奇妙な訴訟指揮をおこなうのである。
なんと、レイプの審理よりも、訴権の濫用があるのかないのかをまず審理するというのである。訴権の濫用の有無も含めて、まずレイプ被害を受けたとして訴えてきた女性の証人調べをおこなうのが順当な訴訟の流れ方である。しかし、創価学会が絡む裁判ではこれら法曹界の常識は通用しない。
 最初に担当した満田明彦裁判長も、そして代わった加藤新太郎裁判長も、遂にレイプの実質審理に入らないという信じられない口頭弁論が延々三年間も続くのである。
傍聴していたジャーナリストによれば、
「いつまで経っても原告席に座っている信平さんの証言を聞こうということにならないんです。レイプを受けたとして目の前にいる原告本人の証言を裁判所が三年間も拒否し続けたのには正直驚きました。こんな裁判は見たこともありません。裁判長はいつも創価学会の大弁護団の方ばかり見て、彼らのいいなりで裁判を進めていった。いくら創価学会側が裁判長の師匠筋やら先輩を集めて弁護団を組んでいるといっても、ちょっと露骨過ぎました」
 そして、結果は案の定、驚くべきものだった。
「本人のレイプ被害はすでに時効が成立しているとして中身の審理をせず、夫の損害賠償請求はそのまま訴権の濫用だということにしたのです。まさにレイプ訴訟から裁判所自体が逃げ出した感じでした。実質審理に入れば、当然、池田の出廷に至るわけですから、裁判所はよほどその圧力と混乱から逃げたかったのでしょう。改めて法曹界への創価学会のパワーの凄さを認識しました」(同)
たしかに法廷では、元大物裁判官や元司法修習所教官の大物弁護士、さらには創価学会副会長を務める法学者、そしてヤメ検弁護士など、錚々たるメンバーを揃えた池田側弁護団に対して、裁判長はその御機嫌を伺うような姿勢に終始するのである。
傍聴席からは、
「裁判所なんて創価学会の前ではこの程度のもの」
という達観_した声さえ飛んだが、かつての月刊ペン裁判を彷彿させるそのパワーは、改めて司法界における創価学会の勢力の絶大さを認識させるものだった。
 しかし、そうした総力を挙げた法廷戦に勝った後でも、創価学会は当該の週刊新潮の手記を訴えるという行動に出ることはなかった。創価学会の本音はなんとしてもこの問題での週刊新潮との法廷戦争は避けたかったのだ。
せっかくあらゆる手を講じて信平の出廷と、証言を阻止したのに、週刊新潮との訴訟で彼女が法廷に登場しては元も子もなくなる。なにより、信平の誠実な人柄と話術を誰よりも知っているのは、創価学会そのものなのだ。
 「彼女の法廷での証言を許せば、レイプの事実が世間的に再び認められてしまう」
 それは、まさに創価学会にとって恐怖以外のなにものでもあるまい。彼女の証言を永遠に葬り去るためには、憎っくき週刊新潮といえども訴えるわけにはいかなかったのだ。
そして、その代わりに登場してきたのが、この『言論のテロリズム』という単行本なのである。
しかし、この本の中身がなんともお粗末なものだっただけに、事態は余計ややこしくなってしまったのである。

←Back

→NEXT

コンテンツ一覧へ

inserted by FC2 system