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2009年11月11日

2009-10 特集/岐路に立つ政教分離――衆院選そして今後の課題

前政権の「膿」を出し切るために不可欠な「池田大作」の国会招致

ジャーナリスト 古川利明

 自公が食い散らかした「残飯整理」から

 「民主圧勝、自公惨敗」の総選挙の結果を受け、民主党代表の鳩山由紀夫を首班とする、民主、社民、国民新の3党連立内閣が9月16日、正式に発足した。これによって、99年10月小渕改造内閣の成立を機に、この10年近くの間、自民党とともに「政権与党」に居座り続けてきた、池田大作が完全にコントロールする公明党(=創価学会)は、下野することとなり、いわば、「家の外」に追い出された格好になった。
 「99年体制」とも呼ばれた、この10年間の自公連立によって、「私たちの国かたち」は、大きく変わってしまった。自公連立(当初は「小沢自由党」をクッションに挟んだ「自自公」だった)が始まるきっかけは、99年春の統一地方選が終わり、それまで野党に軸足を置くフリを見せていた公明党(=創価学会・池田大作)が、突如、自民サイドに寝返ったことにより、新ガイドラインや盗聴、国民総背番号制(=住基ネット)の導入といった、それまでの自民党としては、単独政権ではどうしても国会を通すことのできなかった重要法案が、あたかも、型枠にトコロ天を流し込むように、いとも簡単に成立してしまったことによる。時期としては、99年春から夏にかけてだが、あれをきっかけに日本の政治は大きく変わってしまった。その本質は、極めて全体主義的な体質を持つ「公明党=創価学会・池田大作」が、権力中枢に侵入してしまったことに尽きるが、思うに、あの瞬間、日本という国は、「底が抜けてしまった」のではないだろうか。品のない例えで、本当に申し訳ないが、あのとき、日本の権力中枢は「池田大作=創価学会・公明党」によって、強姦されてしまったのだ。
 その意味では、今度の鳩山新政権の役割とは、この10年間に自公が食い散らかしてきた「残飯整理」から、すべてが始まるだろう。しかし、その作業の中にこそ、「民主主義の実現」へと向かう道しるべがあるように思える。

 「様子見」しかない池田戦略

 総選挙での惨敗にもかかわらず、自民党は、新首相を選出する特別国会の開会まで、前任の麻生太郎が総裁にしがみつく失態を見せていたのとは裏腹に、公明党(=創価学会・池田大作)は、その敗北の責任を取る形で代表だった太田昭宏をただちに更迭し、新代表には、山口那津男を就け、首班指名選挙でも、公明党は、自民党候補ではなく、「山口」に投票した。で、とりあえず、新代表の山口から出てきている言葉は、「この自公連立の10年間を冷静かつ客観的に分析して、今後に生かす」(9月19日の公明党神奈川県本部議員総会でのあいさつ)ということだが、要するに、当面は「模様眺め」である。
 池田大作的には、自公連立が崩壊し、「家(=政権与党)の外」に叩き出されたものの、ここしばらくは、政局が大きく動く情勢ではない。とにかく、重要なのは、来年夏の参院選である。確かに、民主党は今回の総選挙で、308議席獲得という圧倒的勝利を収めたが、参院では「109議席」と、過半数の122に、まだ、13議席足りない。だから、社民、国民新と連立を組み、安定した国会運営に持って行こうとしているのだが、当然、来年の参院選では、「単独過半数の確保」が最大の目標となる。
 これに対し、信濃町としては、何よりも「現有勢力の維持」が最大の目標となるだろう。とにかく、永田町での政治力を温存していくためには、これ以上、議席を減らすことがあってはならないため、参院で現在保有している「21議席」を何としても守り抜くということが、鍵になる。
 そこで、今後の池田大作の戦略だが、おそらく、現時点では、「様子見」ということに尽きるのではないだろうか。もちろん、彼の本音は「永久に政権与党に居座り続ける」であるが、今回の総選挙の結果が出て、既に鳩山新政権がスタートした以上、当面、「野党暮らしをさせられる」のはしょうがない、ということだろう。それゆえ、今後も「自公選挙協力」を続けるのか、それとも、「民主党の懐の中に潜り込んでいく」のかは、これからの展開次第であろう。

 国会の場で「前政権の膿」を出す

 今度の総選挙による政権交代は、1955年の保守合同によって自民党が誕生して以降、ある意味、「本格的な政権交代」といってもいいだろう。
 民主主義においては、「政権交代」が不可欠な要素といわれる。それはなぜかといえば、政権交代によって、「前政権の膿」を摘出することができるからだ。とりわけ、政権与党に長く居座っていればいるほど、その腐敗の根は深い。ざっくりと言うなら、「政権与党であることの旨み」とは、法案を成立させて、予算配分のコントロール権を握ることにあるからだ。で、そうした権限は、国税をはじめ、当然、警察や検察当局にも及ぶことになり、「政権与党」に入り込むことで、結果的に、そうしたところからの、諸々の追及を逃れることができるのである。
 こうした状況を裏付ける形で、元公明党委員長の矢野絢也氏が、『新潮45』10月号に、「公明沈没で『池田大作』名誉会長が怯える国税の大調査??」なる一文を掲載している。
 要するに、「公明党=創価学会・池田大作」が、政権与党入りへ大きく舵を切っていく大きな要因の一つに、89年に起こった、例の「1億7千万円入り金庫放置事件」を機に、国税の調査が創価学会本体に入ったことがあるのだが、その結果、当時、公明党の委員長職を退き、常任顧問だった矢野氏は、副会長で弁護士でもあった八尋頼雄と、いわば、「二人三脚」でこの問題に対応することになったのだという。
 で、その際、「池田大作の秘書集団である第一庶務には、(国税の調査を)入れさせない」をはじめとして、「宗教法人の公益会計部門には絶対に立ち入りさせない」「会員の財務リストは提出しない」「財産目録を提出しない」「池田大作の公私混同問題に立ち入らせない」「学会所有の美術品には触れさせない」といった、国税当局から守るべき「6項目」が八尋から具体的に列挙され、それを実現させるべく、矢野氏は奔走したというのである(ちなみに、それまでに、国税当局に対して、「第一庶務という秘書室にある金庫の中を調べると、裏金がある」「中西(治雄)が裏金の総元締めである。2億円は軽く出てくる」などのタレコミがあった)。
 本来であれば、このように、税務処理において隠蔽であるとか、偽装が疑われた法人に対しては、定期的に調査を実施する「継続管理指定法人」に指定される。で、このとき、創価学会本体に調査のメスが入った際も、「5年に1度、調査を行う『限定循環方式』を採ることが適当」との判断を、国税当局は行っている。ところが、公明党が「自公」で政権与党入りした後の2000年ごろ、こうした「継続管理指定法人」「限定循環方式」を、国税当局はなぜか中止した、というのである。その意味では、「公明党=創価学会・池田大作」は、こうしたところにも、「政権与党入り」したことによる“現世利益”の恩恵を、最大限受けたとみるべきだろう。
 もし、「政権交代の果実」が、「民主主義の実現」ということにあるとするなら、例えば、このような「前政権の膿」を、国会という場で出し切らなければならない。とりわけ、「政教分離」とは、日本国憲法にも記されているように、民主主義を構築していくうえで、最もベースになるべきものだ。
 であれば、この秋の臨時国会においては、矢野氏とともに、池田大作も国会にセットで招致し、こうした「宗教とカネ」の問題に対しても、徹底的にメスを入れるべきである。今後、「消費税率の引き上げ」が取りざたされているだけに、「なぜ、宗教法人には非課税特権が認められているのか?」ということともリンクさせながら、「信教の自由とは、何か」という根源的な問題提起を、こうした国会審議を通じて、広く社会全体に喚起させていくべきだろう。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』『日本の裏金(上、下)』(いずれも第三書館刊)など。

投稿者 Forum21 : 2009年11月11日 21:20

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