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2008年07月08日

2007-7 信濃町探偵団―創価学会最新動向

●自己防衛に走る手前勝手な本部幹部会での池田大作スピーチ

・6月23日付「聖教新聞」「新時代第19回本部幹部会での名誉会長のスピーチ」
 「師匠の恩を知る者は、必死になってその恩に報いるものだ。(中略)私は、戸田先生に対して恩を報じた。戸田先生も、牧口先生に恩を報じた。この報恩の心を忘れてしまえば、将来の学会は心配だ。(中略)いざという時に、不惜身命で、師の恩に報いよ!これが大聖人の教えである。(中略)“恩知らず”が多くなれば、学会は危うい」
 「戦後、広宣流布に立ち上がった恩師の戸田先生を待ち受けていたのは、事業の挫折という、最大の苦境であった。この絶体絶命のときに、だれが恩師を護ったのか。臆病な弟子は、逃げ出した。年寄りの幹部の多くは、ずるくなり、要領を使うようになった。当時、幹部は大勢いたが、戸田先生は、『青年しか信用できない』『第3代会長は、青年部に渡す』と明快に断言されたのである。今も方程式は同じだ。私も青年に託すしかない。どこまでも、師弟の心を護り、師弟の心を受け継ぎ、戦っていく人間をつくる以外、広宣流布の未来はないのである。信じられるのは、君たち青年である。(中略)牧口先生、戸田先生に流れる、日蓮仏法の『広布に戦う魂』――それを受け継いだのは私である。私がいなかったら学会精神は滅んでいる。第3代が、学会を救ったのである」
 「戸田先生は、恩知らずの坊主や元幹部などには本当に厳しかった。『あんな下劣な連中に、崇高な学会を乱されてたまるものか!』と烈火のごとく叫ばれた。この『正義の怒り』を幹部は持たねばならない。邪悪への『怒り』が大事なのだ」
 「私は、青春時代、朝から晩まで、『先生!』『先生!』と叫んで、戸田先生だけを心に思って生きてきた。戸田先生ひと筋。まるで急行列車のように、まっすぐに先生を求めた(中略)しかし19歳で戸田先生と出会った私は、『戸田先生こそ創価学会の大黒柱であり、牧口先生の真実の後継者である』と直感的に見抜いた。そして、ただ一人『戸田先生が師匠だ』と決めたのである。決めたからには、仕事のこと、広布のこと、先生の健康のこと、すべてにわたり、言語に絶するほどほど、私は働いた。先生を徹してお護りした。私は心に誓った。『どんなことがあっても、先生に健康になっていただこう。そして絶対に、先生に学会の会長として指揮を執っていただくのだ』と。そして、その通りの『勝利の歴史』を切り開いていった。
 これが学会の師弟である。皆さんも、この師弟に続いて欲しい。真実の師弟を知る青年部であってほしい」

 ※「編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました」とあるように、実際の本部幹部会での池田発言は、もっとラフでアバウトな内容だったようである。しかも健康状態が優れないのかスピーチの大半を、長谷川重夫副理事長が代読した。それでも意図するところは分かる。戸田会長を引き合いに出しながら、創価学会は池田大作教であり、その教祖である自分を守れ、裏切り者、不知恩の輩を許すなと、何も知らない青年部に檄をとばしているのである。要するに矢野元公明党委員長が造反し、池田氏の国会招致も取り沙汰される中で、「俺を守れ」と叫んでいるのだ。
  ベンツにふんぞり返り、周囲を二重・三重の警備陣に囲まれ、イエスマンにかしずかれる池田大作氏だが、裸の王様の実態が暴かれることに内心は戦々恐々としていることが分かる。池田氏は本部幹部会以外にも、全国青年部幹部会、各部合同協議会などでもスピーチしているが、内容は大同小異である。矢野氏に「土下座しろ」などと威迫を加えたのは青年部であるが、非常識な行為が、こうした池田氏の指導に基づいてなされていることは間違いない。

投稿者 Forum21 : 2008年07月08日 20:17

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