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2007年08月27日

特集/創価学会―4代・5代・6代会長否定の異常

田大作の目の黒いうちに現出!?
創価学会=公明党の崩壊

溝口 敦 ジャーナリスト

参院選惨敗の八つ当たりで歴代会長を批判

 創価学会=公明党は参院選で惨敗した。当選は比例区7人、選挙区2人(東京と大阪だけ)、合計9人で、改選前の12議席から3議席減らした。埼玉の高野博師、神奈川の松あきら、愛知の山本保がそれぞれ落選した。創価学会=公明党が参院の選挙区で敗れるのは、旧新進党時代の95年選挙を除くと、89年以来、実に18年ぶりのことという。
 今回の参院選敗北は、創価学会=公明党がこれまで無理に無理を重ねて「常勝神話」を作ってきただけに、計り知れないほどの衝撃を与えたにちがいない。
 その一端は参院選直後の7月31日、『聖教新聞』に掲載された青年部座談会「後半戦も異体同心の大前進を」に窺える。座談会への出席は会長・原田稔、副会長・谷川佳樹、青年部長・竹内一彦、男子部長・佐藤芳宣、女子部長・館野光湖、学生部長・森山城昌の6人だが、谷川以下、次のように発言している。

 〈谷川 厳しいことを言うようだけれども、学会にあっても、4代、5代は悪口罵詈されていない。難も受けていない。全部、ただ池田先生お一人に受け切っていただいてきた。
 佐藤 その通りだ! 誰もがそう思っている。
 原田 4代も、5代も、6代も、全く難がない。何一つ批判されたこともない。もう一歩深く、師匠をお守りする責務を果たす戦いをすべきだった! 本当に申し訳ない。
 谷川 4代は、あの極悪のペテン師・山崎正友に騙されてしまった。お金を騙し取られたり……とんでもなかった。これは当時の執行部も同罪です。後輩として、将来のために明快に言っておきたい。
 原田 全く、その通りだ。5代も本来、池田先生をお守りすべき立場であるにもかかわらず、すべて池田先生に護っていただいた26年間であった。先生お一人で矢面に立ってくださった。
 谷川 本当に、そうですね。池田先生の計り知れない大恩を思えば、皆、これから一生涯、命を賭して師匠に御恩返しをしていくべきだ。そうでなければ、畜生と同じだ。卑怯者だ。
 竹内 そうしなければ、後輩から笑われ、後世に厳しい非難を受けていくだけだ。
 原田 そうだ。私自身、心して池田先生への報恩の道を貫き通していく決心である。これが全会員に対する感謝であり、これが、広宣流布の原動力であるからだ〉

 4代会長の北条浩、5代会長の秋谷栄之助を斬って捨てるばかりか、現会長の原田稔さえ自己批判した上、池田大作にあらためて恭順の意を表している。参院選の敗北は創価学会の幹部たちを惑乱させ、八つ当たりさせるほど深く重かった。
 池田は打撃を受けたとき、悲鳴を挙げず、外部には何ごともなかったかのように振る舞うことを戦術とする。わずかに前記「聖教」紙の記事が外に漏れ出た程度だが、内部ではおそらく頭破作七分の狂乱から、幹部たちに死ぬほどの恫喝と罵詈雑言を吐き散らしているにちがいない。

 公明党も惑乱していることは同様である。同党は8月22日、衆参両院議員と都道府県代表らを集めて「全国県代表協議会」を党本部で開き、参院選の結果について総括を行った。党代表の太田昭宏は敗因として年金記録問題や政治とカネ、閣僚の失言など、危機に対する拙劣な対応を挙げ、「党執行部の対応が十分でなかったことも率直に認めざるを得ない」と頭を下げた。
 だが、創価学会はよく戦わなかったのではない。敗北した3選挙区ではなりふり構わず久本雅美など学会芸能人を動員して大選挙戦を展開し、「小泉ブーム」のときより数万票上積みしている。創価学会=公明党は全力を尽くして、なお敗れたから、より深く傷ついたといえよう。

 創価学会=公明党の構造的危機

 太田昭宏は敗残の弁を語っている。
 「(自民党の)巻き添えを食った面はある。だからこそわが党がより発言していかなくちゃいけない。これは課題として指摘されたものだと受け止めている。もっと率直で透明な政治をやらなければ、もう通用しない」(「日本経済新聞」07年8月23日付)

 だが、公明党が自民党との連立から離脱し、民主党と組む選択肢は存在しない。創価学会=公明党はつねに時の政権党に寄り添い、政権党から攻撃を招かないことを至上命題とするよう、池田に課されている。防波堤としての機能であり、それなしに池田の安心立命はない。
 しかし創価学会=公明党は明らかに長く自民党に添いすぎた。単なる防波堤の役割から政権の中枢に入り込み、権力を手中にする魅力は大きく、自民党との癒着の快感に惑溺した。もはや公明党のイメージは自民党とほぼ同じになり、太田が次のように言う資格はなくなった。
 「流れは自民対民主の二大政党対決にどうしてもなっていく。しかし、現場や庶民、中小企業の側に立った透明性のある政治が必要だ。苦しんでいる人たちと一緒に悩み、手を打とうとする政治に我々の存在理由がある」(同前)
 創価学会=公明党はヌエのように時の政権の間を行ったり来たりする間に色も臭いもついた。民主の側には創価学会=公明党と組むのは損、我々は学会票なしにやれる、という意識が芽生え始めている。と、すれば、公明党は自民党との融合もならず、民主との連合もできず、二大政党対決の谷間に沈むしかない。

 よく言われるように、学会票は干潮のとき海面上に顔を見せる岩場である。満潮になれば波間に隠れ、ほとんど商品価値を失う。選挙が世論の関心を集め、投票率が少しでも高まれば、無視できる数字に下落する。だが、岩場は海面下にあるとはいえ、政権党にとっては座礁の恐れもあり、危険である。
 政権党は岩場を避けて通るか、それとも爆破して水深を深めるか。民主党がその程度のものとして、学会票を見る可能性は十分ある。
 しかも学会票は年々、減価していく。創価学会員は若年層になるほど選挙に意義を見出せず、それが広宣流布の戦いの一環とは意識できなくなる。そればかりか広宣流布そのものに価値を認めない層も増加傾向にある。彼らはフレンド票の掘り起こしにも、投票日当日の連れ出しにも、心身が不自由な者を騙して期日前投票に駆り出すことにも熱を示さなくなり、学会票は全体として減り続ける。創価学会の集票システムが制度疲労を起こしているのだ。票が減れば、創価学会=公明党が長らく享受してきたキャスティング・ボートの旨みも存在感も薄れる。
 これこそ創価学会=公明党の構造的な危機である。従来、池田への個人崇拝が会員たちを組織活動に駆り立ててきた。池田イメージが北朝鮮と同様、会員大衆の原動力になっていたのだが、今回の参院選の敗北はその破綻を示している。

 創価学会は今年創立77年という佳節を迎えた。池田は「7」という数字にオカルト的な意味を付与し、かつては「7つの鐘」などと喧伝してきた。しかも池田は後4カ月で80歳を迎える。
 池田は目の黒いうちに、創価学会=公明党の崩壊を見ることになるのかもしれない。「庶民の王者」は死して後止むのではなく、死を直前にして止むのかもしれない。慶事である。(文中・敬称略)

溝口 敦(みぞぐち・あつし)1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務を経てフリージャーナリスト。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』で第25回講談社ノンフィクション賞を受賞。『堕ちた庶民の神』『池田大作創価王国の野望』『オウム事件をどう読むか』『宗教の火遊び』『チャイナマフィア』『あぶない食品群』『細木数子 魔女の履歴書』など著書多数。

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2007年08月01日

特集/宗教と政治の混沌(カオス)

福本潤一参院議員の創価学会除名から見えるもの

乙骨正生 ジャーナリスト

 「質問状」から逃げた池田学会

 6月15日に公明党は「全体主義的」「アンチ・ヒューマニズム」の傾向があるとして、離党届を提出。同18日に離党届を受理しなかった公明党によって除名処分となった福本潤一参議院議員は、7月9日、国会内で記者会見し、7月29日投開票の参議院選挙に故郷である広島選挙区から出馬することを明らかにした。
 被爆二世でもある福本氏は、記者会見の席上、原爆投下を「しょうがない」とした久間前防衛大臣発言を厳しく批判。「広島の心」「平和の心を」国政に届けたいと立候補の決意を明らかにした。その記者会見の席上、マスコミ関係者に配布されたのが、以下のような公明党創立者である池田大作創価学会名誉会長に対する「公開質問状」だった。この「公開質問状」は、7月7日午後5時過ぎ、福本氏本人が創価学会本部に出向いて、警備陣に直接手渡したもので、記者会見を行った7月9日正午を回答期限と設定していた。


《公開質問状》
公明党創立者 池田大作 創価学会名誉会長 殿
 この度、公明党に離党届を提出したところ、除名処分になった福本潤一です。
 この一連の経過および結論について、公明党の創立者であられる貴殿に是非ともお答えしていただきたい疑問が生じております。
 このためこの公開質問状を作成し送らせていただきました。つきましては次に挙げる質問に対し、来る七月九日までに文書(ファックスでも可)にてご回答ください。

質問一 公明党の国会議員候補者の選定、任命は池田名誉会長が自ら最終決定をしていると言われていますが本当でしょうか。

質問二 今回の参議院議員の候補者から福本を外したのは、私の政策秘書であった馬田秘書の急死に伴う葬儀が日蓮正宗で行われ、参加するなといわれた私がその前日に御遺族の御自宅を訪問し、焼香したからでしょうか。

質問三 今回の福本の除名処分は池田名誉会長ご自身が決定されたものでしょうか。

質問四 私の離党申請に対し『公明党議員は死ぬまで公明党だ』『離党はすなわち裏切り者』『問答無用』とばかり除名処分にされたことについて、私が《全体主義》《アンチヒューマニズム》と指摘していますが、常日頃ヒューマニズム(人間主義)を叫ばれている池田名誉会長はどう考えられておられますか。

質問五 日頃から『裏切り者は許すな!』と指導されている貴殿が、必ず筆を入れると言う聖教新聞の七月三日付『寸鉄』欄に「『陰謀を企てた嫉妬深い連中を、私は征服した』作曲家ベツリーニ。日顕・山友も崩壊」「創価班・牙城会の大学校生よ、歴史を創れ。遠慮はいらぬ。皆が栄光のヒーロー」とあり、又、翌七月四日付の聖教新聞第一面に「秋谷前会長を中国方面最高参与と言う責任者とし広島を中心とする『中国最高会議』の新たな設置」等の記事が掲載されたことについて、私を気遣い精神的に支援してくださる信頼できる最高幹部クラスの複数の方々から「これらの体制は『裏切り者である福本殲滅』のために取られた体制であり、創価班・牙城会のメンバーは皆いきり立っている。身の安全に留意して欲しい」等との温かい言葉をいただいているが、そのとおりなのでしょうか。

質問六 今回の私の行動で私の元には多くの学会員からお電話やファックスが寄せられています。当然予期していたことではありますが、驚いたことにその半数近くは私に共鳴し、今の学会の体制を何とかして欲しいという激励のものでした。しかも副会長クラスの最高幹部の複数(二桁)の方々も、『確かに、おかしいと思うことでも池田名誉会長には逆らえない。福本はよくやった』と言うような激励とも取れるお言葉をいただいております。これこそが『全体主義』の証左であると思いますが、貴殿はどのようにお考えですか。

質問七 私達国会議員も貴殿の名誉称号二〇〇個授賞記念の折、記念品を半強制的に贈呈させられました。私は貴殿の『東京大学名誉教授』は取得できないことを申し上げましたが、こうした名誉称号を集めて誇示することは一般的に大変恥ずかしいことと考えられます。もうお止めになって欲しいと言う会員の声も少なからず聞こえております。
 このような中、あえてこの名誉称号を誇示される名誉会長はどのようなお考えでこれらを集めて誇示されるのでしょうか。その意義について、これに参画した私も、参議院議員の立場から、多くの友人に説明する必要がありますので是非お聞かせください。
                     以上
平成十九年七月七日
参議院議員  福本潤一


 だがこの「質問状」に対する池田氏からの回答はなく、返答期限直前の9日午前、創価学会の外郭警備会社である日光警備保障株式会社の第1事業本部長から、「このような不審かつ非礼な行為をもって届けられた封書につきましては、当社の業務上、これを創価学会に取り次ぐべきではないと思料いたしますので、ここにご返送申し上げます」と、福本氏の「公開質問書」を創価学会・池田氏側に渡さなかった旨の通知が福本事務所に届けられた。記者会見の席上、福本氏は「質問状に回答できないことから、警備担当者が渡さなかったとして処理したのだろうが、回答を避けるための措置であり姑息」と、回答を寄せなかった池田氏ならびに創価学会の姿勢を批判した。

 公示翌日に「除名」を公表

 この後、福本氏は広島に帰郷し、急きょ、参議院広島選挙区から出馬したが、その公示翌日の13日付「聖教新聞」中国版には、「福本潤一を『除名』処分」と題する愛媛県創価学会が10日に福本氏を除名したとの記事が掲載された。
 だが創価学会の会員規程には、創価学会による会員の処分に不服のある場合は、処分通知が到着した日から7日以内に不服申請を申し立てることができることになっており、少なくともこの猶予期間を経過した後でなくては処分は決定しない。実際、福本氏の許に届けられた「創価学会愛媛県審査会 審査員長大西弘允」名義の通知書にも次のようにある。


 「通知書
 貴殿に対する処分申請について、当審査会において審査の結果、下記のとおり決定しましたので、通知します。
    記
 貴殿を創価学会から除名する。
 (理由の要旨)
 貴殿は、創刊以来、一貫して当会に対する誹謗中傷記事を掲載し続けている日蓮正宗の準機関紙『慧妙』平成19年7月1日号において、当会への批判・攻撃を目論む同宗に同調して、その取材を受け、かつ当会と公明党の『政教一致の実例』であるとして、当会への長文の批判文を談話形式で掲載せしめた。
 上記行為は、当会会員規程第7条1項4号に該当する、会員としてあるまじき行為である。
 この決定に不服がある場合は、この書面が到達した日から7日以内に、監正審査会に対する不服申立書を当会審査会あてに提出できます。
 平成19年7月11日
       愛媛県伊予郡砥部町高尾田275―1
       創価学会愛媛文化会館内
       創価学会愛媛県審査会
       審査員長 大西弘允

 東京都………… 福本潤一 殿」


 7月11日付で発送された処分の「通知書」が福本氏の許に届くのは早くても12日。当然、処分の決定は19日以後となる。にもかかわらず手回しよく公示翌日に福本氏の「除名」を「聖教新聞」で発表したのは、福本氏に創価学会を除名となった「裏切り者」とのレッテルを貼り、福本氏に同調する学会員が出ないようにするための措置に他ならない。

 この「福本潤一を『除名』処分」との記事は、7月13日付「聖教新聞」9面の地方版(中国版)の左下隅に掲載されたが、その面全体は「本門の池田門下の陣列」と題する「男子部特集」で、中国地方各県創価学会の男子部幹部が紹介されている。このうち福本氏が立候補した広島県の男子部の紹介記事の見出しは「断じて忘恩の輩を粉砕!」。そこにはこうある。

 「今、大恩ある師匠と学会に仇なす忘恩の輩の跳梁に、正義の怒りが爆発している。阿修羅の如き『気迫の祈り』『正義の言論闘争』で、木っ端微塵に魔軍を粉砕してみせる」
 ここで言う「大恩ある師匠と学会に仇なす忘恩の輩」が福本氏を指すことは明白だろう。ちなみに広島選挙区に立候補した福本氏に対しては、公営掲示板のポスターがカッターで切られるなどの嫌がらせが続いている。選挙戦さなかの7月21日の土曜日、福本氏は広島市内で最も繁華な商店街である本通りで街宣活動を行ったが、街宣車から降り徒歩で支援を呼びかける福本氏と支援者の姿を尾行し、ビデオで隠し撮りをしている黒ずくめの男の姿も確認されている。

 福本氏は街頭演説で、平和の党を標榜する公明党が、いまや大量破壊兵器も核兵器もなく、誤りであったことが明白になっているイラク戦争を支持し、神崎武法代表(当時)や冬柴鉄三幹事長(同)が、自衛隊のイラク派遣のお先棒を担いだことを、「神崎代表が現場主義だといって、たった1時間半だけサマワに滞在し、サマワは安全であり非戦闘地域だとしたのは、支持母体である創価学会の言い訳のための行動に過ぎない」と厳しく批判。また広島・長崎への原爆投下を「しょうがない」と容認した久間発言を厳しく批判するとともに、安倍首相の任命責任や、その安倍政権を支える公明党そして創価学会の姿勢を追及している。

 参議院選挙に立候補した福本氏に対する露骨な誹謗中傷・攻撃は、選挙妨害となることから控えているように見える創価学会・公明党だが、参議院選挙が終われば、竹入義勝元公明党委員長同様の激しい攻撃が繰り広げられるのは間違いない。福本氏の離党・除名から参院選選挙区への立候補と創価学会による除名と誹謗という一連の経過は、福本氏が指摘した創価学会・公明党の「全体主義的」で「アンチ・ヒューマニズム」な体質を色濃く映し出したといえるだろう。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2007年07月18日

特集/07参院選―自・公政権を問う

創価学会「会館」で「投票練習」
「朝日新聞」投書に見る事実とロジック

本誌編集部

 投書された「信じられない光景」

 「朝日新聞」6月25日付「声」欄に載った一通の投書が話題を呼んでいる。
 「『信仰の場』で選挙活動とは」という投書の主は栃木県で専門学校非常勤講師をしている62歳の男性。6月中旬、地元の創価学会鹿沼南会館で開かれた地区座談会に出席した。そのときの「信じられない光景」をこう綴っている。

 「女性幹部が『これから参院選の投票練習をします』といい、投票用紙大の白紙を2枚ずつ配った。1枚には公明党推薦の候補者名(選挙区の自民党候補・本誌注)を、もう1枚(比例区・同)には公明党と書くよう指示。書き終えると、幹部が1人ずつ点検していく。『もっとはっきり書いて下さい』と注意された人もいた」

 「税金を免除されている宗教法人の会館で、堂々と特定政党の選挙活動が行われていることに疑問を持った。そして、幹部からの指示と情報に従って行動する生き方は、私には理解できなかった」

 男性に直接取材した「週刊新潮」(7月12日号)によると、男性は一応学会員ではあるが組織活動は何もしていなかった。この日は「社会福祉の仕事をやっていた経験を座談会で講演して欲しいと頼まれ、会館に出向いた」のだった。当時の参加者は60〜70歳代の約30人。消えた年金問題の紙芝居があり、幹部は「民主党の菅直人代表代行が厚生大臣だったときに今の制度が作られたので、責任は菅代表代行にある」と説明、その後に投票練習があったという。

 創価学会を名指しした、この種の投票が新聞に載るのは極めて珍しい。「声」欄担当者は学会に事実確認を求めるなど、「慎重な姿勢」で対応し、掲載に至ったと「週刊新潮」は伝えている。
 投書への反響が大きかったのだろう。「朝日新聞」は7月1日付「声」欄で再びこの問題をとりあげ、先の投書に対する賛否両論を一通ずつ紹介した。投書したのはともに創価学会員。最初の投書者に同意するのは千葉県の男性である。「人の生き方は様々です」「学会のメンバーは老若男女、異なる職業の人たちです。仏教理念に集う座談会は小さな仏道修行の場です」と述べたうえで、こう書いている。

 「しかし、選挙が近づくと集票のために電話を何回かけたかなど報告や確認の場にもなっている。政治一色と言ってもいいぐらいです。そして、支援する政党は、かつて非難してた他党と手を結んでいます。二股膏薬そのものです。失望しています」

 一方、創価学会擁護の投票の主は茨城県の女性だが、その検証をする前に、一連の投書から見えてくるものを整理しておこう。
 第1に、「会館で投票練習」までするという度はずれの政教一致と「創価学会の増長」(「週刊新潮」)ぶりである。
 平成7年の宗教法人法改正を審議する参議院宗教法人等特別委員会に、参考人として呼ばれた秋谷栄之助会長(当時)は、「(会館を)選挙のために使うというのは誤解」「選挙・政治活動はごく一部」と弁明した。少なくてもそれが限度だと、創価学会自身が認めていたのである。ところが、公明党の政権参画以降の実態はそんなものではない。
 本誌は5月1日号でも、香川県高松市の会館で行われた創価学会合同地区部長会の模様や、東京都台東区議選にかかわる学会内部文書から、目に余るその実態を伝えた。それが、学会問題には極めて慎重な「朝日新聞」でも掲載に踏み切るまでになっているのである。
 最初に投書した男性は「週刊新潮」でこう語っている。
 「(投票用紙が配られたとき)誰も不思議に思わなかったようで、質問する人もいません。婦人部の幹部の方が、比例区地区選挙で投票すべき候補者の名前を伝え、皆、黙々とペンを走らせたのです」
 参加者は膝の上やパイプ椅子をテーブル代わりにして投票練習をした。「そういえば、候補者の名前の漢字を質問した方もいませんでしたね」。

 狙いは選挙違反対策

 同誌で、学会ウオッチャーが語る。
 「(栃木県の同地方は)特に創価学会の強い地域ではありません。もし、ここでそんな“投票練習”が行われているのならば、それは上部組織からの指令が下ったからと見るべきで、そうであれば、全国で同様の現象が起きているわけです」
 ここで思い起こすのは、前出の本誌特集記事でも紹介した期日前投票の連れ出しについてである。
 高松市の会館では県婦人部長が口頭で、台東区では指示文書で、こまごまと注意を与えた。
 「投票に(連れて)行くときはメモとかチラシとか、または手に書いとる人がおりますけど、それも書かないで」「投票所内では絶対、何を聞かれても口をきかない」「投票する建物の中には入らない。1日に何回も連れ出して目立つようなことはしない」……。

 学会員の多くは、政治に関心が薄い素朴な信仰者だ。「公明」と書かせるのに「ハム」と書くように教えたところ、平仮名で「はむ」と書いたというような、笑いにもできない事実もある。だからメモを持たせたり耳元で教えたりする。目に余るそんな行為で逮捕される(公選法違反・投票干渉)例が、ここ数回の国政選挙で頻発している。それが今回の「投票練習」という異常さにまで発展したのだろう。
 一連の投書から見える第2の点。それは1日付に掲載されたもう一つの投書、学会擁護派の意見である。

 「宗教団体が政治活動をすることは憲法上なんら問題はない。言論や表現の自由として尊重されるべきものである」
 「せっかく投票に行っても(比例区と選挙区を)間違えて逆に投票したり、名前の漢字を間違ったりして無効になってしまう票も多いという。投票練習はこうした無効票をなくすための取り組みである。本来は行政がやるべきであろう啓発の教育であり、選挙運動ではない」
 「民衆はつねに『政治を監視する』という目を養っていかなければならない」
 一見すれば、論理的で説得力のある説明のようでもある。実はこの説明、学会内部で常に語られ、「聖教新聞」にもよく登場する、“教科書通り”の文章である。そこには、巧みに隠された落とし穴がある。

 第1に、もし投票練習が「行政がやるべき啓発・教育」だとすれば、なぜ「公明党」と書かせるのか。公明党推薦候補の名前の漢字を憶えさせるのか。一般的な啓発教育では絶対にそんなことをしない。
 その前段の、「宗教団体が政治活動をすることは自由」という論法も同じである。最初に投書した男性の指摘は、そんな一般論ではない。単なる投票練習ではなく、「公明党」と書く練習をさせたことであり、しかもそれを「宗教法人が専らその本来の用に供する」(地方税法)ことを条件にして非課税特権を受けた宗教施設で行っているという、具体的な事実についてである。創価学会の教科書的反論は、それら具体的な事実をサラリと欠落させて、ごく単純な一般論にすり替えているのである。

 反論投書の最後の部分(政治を監視する目を養う)についても同じだ。創価学会のやっているのは政治の監視ではなく、公明党が正しいという一方的な情報の教え込み、刷り込みに過ぎない。もし学会員が本気で、自分の頭で政治を監視すれば、公明党に失望し、離反していかざるを得ないだろう。
 創価学会の教科書的反論投書の特徴は、議論の肝心な部分をサラリと欠落させ、全く異質の議論にすり替えるという手法。創価学会特有のロジックである。それは、カルト特有のマインド・コントロールの手法でもある。

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2007年07月01日

特集/参院選―年金問題と宗教票

年金問題で追い詰められた自公 破綻したご都合主義とまやかし

長谷川 学 ジャーナリスト

 苦境に立たされている政府与党

 「年金が問題化するのがもう1カ月遅かったら大変なことになっていた。だが参院選挙まであと1カ月ある。政府与党が年金問題に取り組んでいる姿勢を見せる時間がある」
 公明党の漆原良夫国対委員長は6月中旬、年金不祥事について周囲にそう漏らした。
 社会保険庁の杜撰な管理によって5000万件もの年金記録が消えていたことが明らかになり、政府与党が苦境に立たされている。漆原氏は、与党が置かれている厳しい状況を踏まえつつ、精一杯強がってみせたのだ。

 漆原氏は6月11日の記者団とのやり取りでも、年金問題について自らを鼓舞するようにこう話している。
 「年金問題は安倍総理がおっしゃっている通り、歴代の総理、社会保険庁、厚生労働省の責任だと思っている。年金問題を指摘した功績は民主党にある。だが年金問題の解決策は政府与党にある、と私はいつも公明党の会合で話している。政府与党の年金問題への取り組みはいずれ国民の理解を得る。そう信じて頑張っている」
 漆原氏が認めているように埋もれかかっていた年金問題を掘り出したのは、政府や自公ではなく野党の民主党だった。
 民主党の鳩山由紀夫幹事長は6月9日、同党の若林秀樹参院議員の会合でその経緯を次のように話している。

 「5000万件、1430万件と立て続けに出てきているが、消えた年金問題を民主党がしつこく追及して来なければ闇から闇に葬り去られていたことは間違いない。そもそもこの問題は3年前に若林議員が自分の年金が消えていることを参院の予算委員会で当時の厚生労働相に問い質したことが発端だ。ところがその後3年間、政府与党は何もせず、この問題は消えかかっていた。(社保庁解体によって)この問題が完全に消えかけた最後のギリギリの段階で我が党の長妻昭衆院議員らが中心となって消えた年金問題を国会でしつこく追及し5000万件が消えていることを(社保庁に)白状させたのです」
 鳩山氏が指摘しているように、少なくとも、膨大な年金記録が消失している可能性を国会で長妻氏が指摘した今年2月には与党はこの問題の存在を知っていたわけだが、選挙で争点化するのを恐れ、問題解明に腰が引けていた。この問題が国民に広く知られると政府与党の無策が問われ、不利な立場に立たされるのが目に見えていたからだ。

 寝かせておいた地雷原

 実際、6月15日、自民党の谷垣禎一前財務相は都内で行われた講演で政府与党の“触らぬ神に祟りなし”というご都合主義の実態をこう話している。
 「今度の年金問題だが、厚労省は5000万件について深く認識せず“社保庁内で寝かしておくしかない”と判断したところもあったようだ。それで今回のようなばたばたした対応になった面がある。もともとこの分野は地雷原になる可能性があったので地雷原を戦場にしては駄目だという側面もあったのではないか」

 自公は、高まる国民の批判をかわすため年金時効特例法案(年金受給者に新たな年金記録が見つかった場合の時効=5年間しか遡って支給されない=を撤廃する法律)を野党の反対を押し切り、わずか1日の審議で強行採決したが、政府与党に対する国民の不信は一向に収まる気配がなく、むしろ日増しに強まっているようにみえる。
 その結果、安倍内閣の支持率は急降下。自公の過半数確保(自公で64議席)が確実視されていた今夏の参院選の形勢もここに来て一気に逆転し、いまや与党の過半数割れどころか「自民党の改選議席64議席が26議席まで減ることもあり得る」(舛添要一・自民党参院政審会長)との悲観論まで飛び出している。自公は追い詰められたのだ。

 これに対し公明党は機関紙「公明新聞」(6月6日付「主張」)で「不安あおるだけでは無責任」だとして民主党を名指しで激しく攻撃。
 「国民の不安に火をつけ参院選に勝とうとする民主党のやり方は、文句を言うだけの政治、騒ぐだけの政治、不安をあおるだけの無責任政治であり、健全野党、責任野党としての矜持は微塵も感じられない」と徹底的にこき下ろしたのだ。
 だが公明党に民主党を批判する資格があるのだろうか。与党という責任ある立場にありながら、公明党は民主党が指摘してきた消えた年金問題をこれまで意図的に放置してきたのではなかったか。にもかかわらず、民主党の掘り起こしによって問題が表面化した途端、「不安をあおるだけの無責任政治」と民主党を攻撃するのはお門違いも甚だしい。

 公明党が振りまいてきた“まやかし”の夢

 そもそも公明党の年金問題についての考え方はあまりに楽観的で、本誌ではかねてよりその“まやかし”を指摘してきた。
 年金問題についての公明党の基本的な考え方は03年9月に同党が発表した「年金100年安心プラン」に集約されている。
 安心プランの柱は二つだった。まず国民年金保険料(1カ月1万3300円)を13年後に1万6000円になるよう毎年引き上げる一方、厚生年金の給付額を現役世代の平均収入の50%(現行59・4%)まで引き下げる。その後、保険料の上限を固定し、給付も50%を確保するというのだ。
 だがこのプランはすでに04年の参院での審議の過程でまやかしであることが明らかになっている。たとえば公明党の言う50%確保は給付開始年だけでその後は40%台に低下し、また保険料も名目賃金が上がるにつれて上昇し続けることが審議の中で明らかになったのだ。

 それだけではない。公明党は、年金財政悪化の主因であるグリーンピアなどの保養施設の年金資金投入、公益法人への天下り官僚の役員報酬など5兆円を超える無駄についてほとんど何も解明せず、国民に負担増を強いているのだ。こんなまやかしが通用するはずがない。
 今年に入っても公明党はことさら年金制度の明るい未来ばかりを強調してきた。たとえば2月16日付の公明新聞の特集記事「年金Q&A;」もそうだ。記事によると、年金財政に影響を与える主な要素は(1)出生率(2)寿命(3)積立金の実質的な運用利回り(4)実質賃金上昇率(5)物価上昇率(6)厚生年金被保険者数、労働力率―などだという。
 そして安心プランが前提にしている出生率1・39を現在の出生率(05年段階で1・26)が下回っているにもかかわらず「(厚生労働省の試算によると)今後50年間、出生率が2005年の1・26から回復せず、ほぼ横ばいであったとしても、近年の景気回復傾向を経済に関する前提に反映させると、55年時点の給付水準は04年改正の見通しである50・2%を上回る51・6%を確保できる」「出生率の前提は下回っていますが、実際に年金財政に影響が出るのは20年先。その間に出生率を上げればいいのです」などとバラ色の未来を強調しているのだ。

 だがこうしたバラ色の未来像の根拠は、今回の騒動で当事者能力の無さを露呈した厚生労働省の試算でしかなく、同省と社会保険庁への国民の不信が極限まで高まっている現在、ほとんど説得力を持たない。
 いや、そもそも同紙が年金財政に影響を与える要素の中に「国民の信頼感」を入れていないことに首を傾げざるを得ない。
 相互扶助を旨とする年金制度を支えるのは役所が作った試算ではなく、ひとえに国民の政治や年金制度に対する信頼度の強さにかかっているからだ。
 信頼に裏打ちされない制度はいずれ崩壊を免れない。まやかしの夢を振りまいている時ではないのだ。

長谷川学(はせがわ・まなぶ)フリージャーナリスト。1956年生まれ。早稲田大学卒。週刊誌記者を経てフリージャーナリストに。週刊誌、月刊誌を中心に政治、軍事、医療など多方面の取材、執筆活動を展開。著書に『政治家の病気と死』(かや書房)『病院の不思議』(ベネッセコーポレーション)などがある。

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2007年06月01日

特集/揺れる宗教と政治――統一地方選から参院選

参院選に強まる宗教的呪縛
乙骨正生 ジャーナリスト

 「大将軍」と呼吸をあわせろ

 先に行われた統一地方選挙で、創価学会が支援した公明党は全員当選を果たした。これを創価学会は「創価完勝」と呼び、「広宣流布へ!『法華経の兵法』で快進」(4・24付「聖教新聞」)などとアピールしている。
 本誌の5月1日号特集記事「統一地方選・政教一体の実態」で詳述したように、創価学会は、今回の統一地方選挙を「本門の池田門下生の初陣」と位置付け、「池田先生にお応えする」との合言葉のもと、熾烈な政教一体選挙を繰り広げたが、統一地方選終了後の4月26日に開催された創価学会の本部幹部会は、そうした宗教活動と政治活動を一体化し、政治活動での成果を宗教的勝利とする特異なイデオロギーに立脚する創価学会の実態を赤裸々に示すセレモニーとなった。その一端を各種幹部の発言に見てみよう。まずは原田会長。
 「本年緒戦の統一地方選挙、見事に完全勝利を果たし、晴れやかに5・3『創価学会の日』を迎えることができました」(4・27付「聖教新聞」)
 こう口火を切った原田会長は、今年予定されている統一地方選、そして参院選が、「本門の池田門下の初陣」だとあらためて強調。統一地方選に続き、参院選でも勝利を勝ち取ろうと次のように呼びかけている。
 「この勝利も、すべては同志の皆さまの献身的な奮闘の賜物であります。心から御礼申し上げます。大変にありがとうございました。『本門の池田門下の初陣』――その掉尾となる上半期後半へ、私どもは本日より、勝って勝って勝ちまくる、さらなる快進撃を進めてまいりたいと思います」
 その勝利の要諦は、池田大作名誉会長と呼吸をあわせることだと強調する原田会長。池田氏を「大将軍」と持ち上げつつ、こう学会員を扇動する。
 「池田先生こそ、仏意仏勅の広宣流布を進めてくださる大将軍であります。ゆえに、先生と呼吸をあわせ、おっしゃる通り、そして行動で示してくださる通りに戦えば、必ず道は開ける。これが本門の池田門下の確信であります」
 同様に「青年の月・7月へ――“連戦連勝”の金字塔を」と題して発言した竹内青年部長も、「広宣流布とは間断なき闘争であります。本日よりは、常勝青年部の燃え上がる情熱と勢いで、青年の月・7月へ連戦連勝の破竹の大進撃を開始してまいりたい」と決意発表。「日本の未来を開く大事な戦い。青年が青年を呼ぶ圧倒的な拡大で、断じて連続勝利の金字塔を打ち立てていこうではありませんか」と呼びかけている。
 ここでいう「連続勝利」とは、参院選の勝利に他ならない。すなわち統一地方選に続いて7月22日に投開票が予定されている参議院選挙でも、公明党の改選議席を確保するとともに、いまや融合しつつある自公政権を安定化させるために与党での過半数維持を目指して戦い、勝利しようということである。当然、来るべき参議院選挙では、過去の衆参両院選挙同様、選挙区では自民党候補を創価学会・公明党が支援し、その見返りとして自民党候補の後援会員や自民党員に対して、比例区での公明党への投票を要求するという「政党政治の堕落」(2月13日の衆院予算委員会での亀井静香代議士発言)現象が繰り広げられることとなろう。
 そしてこうした「政党政治の堕落」現象の結果、仮に自公が過半数を維持した場合、創価学会はその選挙結果を「広宣流布」の勝利、「本門の池田門下の初陣」における勝利と喧伝し、自らの正当性の根拠だとアピールするのだろう。また同時に、かつて創価学会の秋谷会長(当時)が、参議院全国区での公明投票を「広宣流布のバロメーター」と位置づけているように、来るべき参議院選挙でも創価学会は、悲願である1000万票の獲得を目指して、熾烈な選挙闘争を展開。仮に1票でも前回の得票数を上回れば「上げ潮」だの「常勝」だのと気勢を上げる腹づもりなのだ。
 こうした宗教的イデオロギー・宗教的パッションに基づいて国会議員や地方議会の議員が選出され、立法・行政の両面に大きな影響力を及ぼすばかりか、参議院の法務委員長を30年以上もの長きにわたって公明党が独占し、司法界にも影響力を行使している事実は、一般の国民・市民にとってゆるがせにできない重大問題である。

 “法戦”への参加を強調

 そうした公明党の政治的影響力は、今回の統一地方選挙の結果、従来にも増して拡大している可能性がある。そこで資料的意味合いも含めて、今回の統一地方選挙の結果、招来された事実を、数字的に列挙しておくことにする。まずは公明党の全勢力。
 ・衆議院議員31人。・参議院議員24人。・都議会議員22人。・道府県議会議員189人。・政令指定市議会議員187人。・東京特別区議会議員194人。・一般市議会議員1967人。・町村議会議員504人。合計3118人。
 続いては公明党議員の議会における議席占有率が20%を超えた議会数。今回の統一地方選挙の結果、公明党議員の議席占有率が20%を超えた議会は全国で39議会に及んでいる。占有率トップは定数22議席中7議席を獲得し、占有率31・8%の大阪府守口市と門真市。以下、東京都武蔵村山市(6/20 30%)、江戸川区(13/44 29・5%)、足立区(14/50 28%)、大阪府豊中市(10/36 27・8%)と続く。以下、占有率に従い議会名のみ記す。
 東京都板橋区・江東区・昭島市・八王子市・大阪府寝屋川市・四条畷市・東京都大田区・練馬区・新宿区・大阪府枚方市・東京都東村山市・大阪府岸和田市・東京都北区・東久留米市・東大和市・埼玉県川口市・東京都豊島区・大阪府高槻市・泉大津市・東京都墨田区・大阪府八尾市・東京都中野区・小平市・兵庫県伊丹市・東京都世田谷区・品川区・福生市・千葉県船橋市・茨城県日立市・大阪府富田林市・貝塚市・和歌山県和歌山市・福岡県春日市
 ここで注目すべきは20%以上の議席占有率を示した議会は、東京と大阪に偏っている事実である。東京と大阪以外には、茨城・埼玉・千葉・和歌山・兵庫・福岡で20%の占有率を超える議会がそれぞれ1議会あるが、それ以外はすべて大阪と東京の議会だという事実は、創価学会が典型的な都市型宗教、それも構成員が東京と大阪に偏在しているという事実を示している。
 また今回の選挙結果に現れた各候補の得票数からも、綿密な地域割りを実施する創価学会の組織選挙の手法が読みとれる。以下に、そうした事実を示すいくつかの選挙区例を摘示してみたい。
 まずは創価学会本部のある東京都新宿区議選。定数38の新宿区議選に公明党からは9人の候補が立ちすべて当選したが、その得票数は最多得票の2472票から最低得票の2003票にいたるまで、すべて2000票台前半に集中しており、最多得票と最低得票の差は463票しかない。同様に議席占有率トップの大阪府門真市でも、当選した7人の候補の得票差は、最多得票の2710票から最低得票の2185票まで525票の差でしかない。この間に他の5人の候補がすべて入っているのである。
 こうした結果は、候補が2人だった地方の議会選挙により顕著に見られる。例えば北海道の倶知安町では、当選した公明党候補2人の票は、485票と484票、同じく七飯町では809票と804票。なんと埼玉県の寄居町では1106票と1106票と同数だった。
 こうした事実が示すように創価学会の選挙手法とは、その選挙区内の基礎票をきっちりと地域割りし、当選できる候補だけを擁立して確実に当選させるというものなのだ。そしてこうした強固な組織選挙を可能にしているのが、宗教的強制・宗教的呪縛である。本誌の5月1日号の特集に明らかなように、創価学会は各種選挙を宗教上の法戦と位置付け、これに参加すれば功徳・利益があり、参加しないのは背信・背教だと、宗教的な昂揚心と恐怖心を煽ることで学会員を選挙に動員している。
 来るべき参議院選挙でも創価学会は、こうした手法で動員する基礎票をきっちりと計算し、1人区や2人区で、自民党候補を支援することは間違いない。
 その結果が、国家や地方公共団体の動向を左右することを私たちは忘れてはならない。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2007年05月17日

特集/温家宝・池田大作会談を検証する

中国側が最大限利用した「政治家・池田大作」との会談
山村明義 ジャーナリスト

 透けて見える中国のしたたかな計算

 4月12日、中国の温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談した。92年にも池田氏と温家宝首相は一度会談しているが、今回の会談は、まさに「日中友好のための演出づくり」という様相を呈していた。
 ホテル・ニューオータニで開かれたこの会談から1カ月が経過したが、いまだにこの会談の意味を、どのメディアも総括していない。一般の新聞テレビも池田氏と会談した意味は、どのメディアも大きく取り上げなかった。聖教新聞は、「日中友好はアジアの平和の要」と、自画自賛の記事に終始していたが、これは客観的な見方とは言い難い。そこで、もう一度、池田―温会談の意義を検証してみたい。

 温家宝首相ら中国政府が日本側に対し、訪日日程を正式に提示してきたのは、外交慣例としては異例のスケジュールまで1カ月を切った3月中旬のことだった。
 「日本を含む周辺諸国に対する中国外交は、常にその傾向がありますが、自らの演出を重視し、相手国の都合を無視することが多い。今回も最初5日間としていた日程を韓国訪問のために、3日間に短縮し、警備上も必要なプロトコル(儀礼)を守らなかった。例えば、国会で演説するときの原稿を日本側に見せないとか、庶民との対話を重要視するため、代々木公園でジョギングをしたこと。池田大作氏との会談を中国側が延長したため、国交正常化35周年、日中文化・スポーツ交流年の歓迎レセプションに遅れたことなどでした」
 政府関係者の一人はこう語る。
 6年半ぶりの今回の中国首脳の訪日は、日中双方の関係者の話を総合すると、あくまで経済目的といっても過言ではなかった。
 外務省関係者はこう語る。
 「中国政府は、来年の北京五輪や2010年の上海万博まで、経済問題を最重要視する方針。そのため、日本の対中投資が減る原因となった2年前の反日破壊活動など起こすことなど、もはやできない。具体的には金融・エネルギー・環境といった分野で、日本と中国が経済協力を行うというものでした。国内の経済維持という目的を持つ中国政府側の思惑と、日中間の戦略的互恵関係のために今回の会談を成功させようという日本の外務省側の思惑がピッタリ合致していたから、最初から成功は目に見えていた。だから、創価学会がいなくても訪日は成功していたんです」

 それでは、日中首脳会談における創価学会の役割とは何だったのか。
 今回、中国政府側は、正式な外交スケジュールの中に池田氏との会談を入れてきた。中国側は約2週間前から池田氏と会談することを中国国内のマスコミに公表し、会談場所には李肇星外交部長や武大偉外交副部長、王毅大使ら、外交部の幹部も参加している。
 一方、日本政府側は、池田氏との会談を政府の公式日程には入れなかった。外務省が事前に報道陣に配布した「取材要領」という報道資料の中にも、池田氏との会談日程が一切記述されていなかった。ところが、温家宝首相との党首会談が午後3時半に自民党の中川秀直幹事長から始まり、公明党、民主党、社民党、共産党の順に約15分―約20分間で組まれていたにもかかわらず、その後に行われた池田氏との会談は、約30分にも及んだ。

 その違いの裏側には、中国という共産党独裁国家のしたたかな計算が透けて見える。
 「中国側が創価学会を最大限利用したというのが実態でしょう。というのは、政治における交流である党首会談や日中友好議連などの予定が組まれる前に、すでに池田氏との会談がセットされていた。実は、その時永田町では、『なぜ池田氏との会談を先に決めるのか』、『議員より先に、池田氏との会談を入れるべきではない』―などという意見が噴出していました。そのため当初は池田氏との会談は、各党首会談後の約15分間というスケジュールになり、池田氏が『庶民の王者と会って下さい』というセリフになったのです」

 自民党関係者はこう語る。
 この「庶民の王者」発言は、一部週刊誌や日本国内のネット社会の中で、大きな波紋を呼んでいた。冒頭5分間だけ会談を聞いていた記者の耳には、池田氏の発言が、「有り難うございます。庶民の王者に会って下さって」としか聞こえず、会談翌日の聖教新聞に記されたように、「政治家ではなくて、庶民の王者に会って下さい」という表現には、決して受け止められていなかったからだ。
 創価学会側では、「庶民の王者とは誰のことか?」という一部メディアの問いには答えなかったが、ここでの文脈では、「庶民の王者」とは、池田氏自身のことと考えるのが普通だろう。この問題については、枚数が少ないのでこの程度にしておくが、ところで、中国側は池田氏をどう見ているのだろうか。

 池田と会談するのは創価学会が利用しやすいから

 結論から先に言えば、74年に池田氏が初めて訪中して以来、皮肉なことに中国政府は池田氏を「宗教家」ではなく、「政治家」として受け止め続けているのだ。
 池田氏の初の訪中に同行した原島嵩元教学部長は、「池田氏は、元々文化大革命下の中国に憧れを持っていました。ところが、2度目の訪中で初めて会談できた周恩来首相を始め、当時の中国政府幹部は、池田氏のことを“政治家”と呼んでいた」と明かしている。 駐日中国大使館にいる中国政府関係者も、
 「池田氏と会談するのは、創価学会が利用しやすいからです。中国共産党はいま、宗教を使って政治を支配するという方法を学習中であり、特に創価学会は、公明党という政治組織も持っており、お互いに利益がある」
 と私に対して語っていたものだ。

 つまり、中国政府側は、創価学会を「政治的エージェント」、あるいは「政治的な同志」として見ている可能性が高いのである。
 実際にこれまで創価学会が中国政府を公式に非難したことは、私の知る限り一度もない。89年の天安門事件の際にも、95年の核実験の強行時にも、平和・人権的とは絶対に言い難い中国政府の行為を批判しなかった。これは05年の反日デモの時も同じであった。
 彼らは常に「日中友好」という中国側が喜ぶ大義名分の下に、相手に対する美辞麗句だけを乱発してきた。今回も温家宝首相のことを「閣下」と呼ぶ池田氏の持ち上げぶりには、聞いていた報道陣を赤面させていたものである。

 これでは、創価学会は中国政府の言いなりの組織だと言われても仕方がないだろう。
 今回、温家宝首相は、国会演説などで見事なまでに日本に対する敵愾心を隠し、日中友好を演じきった。それは、先にのべたように現在の中国にとっては、時期的に日本の協力が必要となるという中国が後の利益を重視したことに基づく外交政策だった。

 ところが、創価学会はその中国政府の思惑にまんまと乗った。しかも池田氏は会談中、「歴史を鑑に」という、今回は温家宝首相が国会演説ですら口にしなかった言葉まで吐いている。「歴史を鑑に」という言葉は、表向きは日本が軍国主義化しないようにする牽制だが、その裏では、日本が中国に対して反逆する意向を示さないようにするために、中国共産党が多用してきたキーワードなのである。日本の国益をこれまで否定してきた創価学会としても、過去の例をなぞって、温家宝首相ら中国政府が喜ぶ言葉をわざわざ投げかけたわけである。経済中心の日中友好ムードの中で池田名誉会長の健康な姿を内外に示したかった、という学会側の思惑もあったに違いないが、この過剰なリップサービスは、時代に逆行しているといってもいいだろう。

 今後の真の日中友好とは、相手を誉め合うだけでは発展性は期待できない。過去、日中関係は双方が無理に友好ムードを高めても、必ずと言って良いほど失敗してきたからだ。
 日中が互いに国益の違いを認め合い、言いたいことを言い合わなければ、日中関係は必ず元の関係に戻るのだ。創価学会が現在の方針を取る限り、両国の戦略互恵関係は到来しないだろう。

山村明義(やまむら・あきよし)1960年生まれ。早稲田大学卒。金融業界紙、週刊誌記者を経て、フリージャーナリスト。政治・経済・外交をテーマに幅広く執筆中。外務省 対中国、北朝鮮外交の歪められた真相』(光文社)をはじめ著書多数。

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2007年04月01日

特集/池田大作全集100巻・人間革命5000回礼讃の裏事情

全集100巻の刊行を可能にした、池田大作「多作」のからくり

フリーライター 岩城陽子

 信じられない驚異的な多作

 聖教新聞社に勤めている私の後輩が「池田先生は新聞に載る原稿だけでも1日10枚(400字詰原稿用紙)のペースで書かれているのよ」と得意そうに話してくれた。昭和3年1月生まれの池田大作さんは今年で79歳のご高齢の身の上、そんな多作に耐えられるスタミナがあるとは、にわかには信じられない。
 そこで3月に入ってから2週間分の聖教新聞にざっと目を通してみた。あるぞあるぞ、「池田先生」執筆の記事が……。『新・人間革命』は2週間で32枚ほどの分量だし、その他にも長編詩、協議会での講演、国際総会へのメッセージ、謝辞(代読)、幹部会の講演を合わせると、2週間で合計ざっと140枚ほどの分量になる。その意味では後輩の話は本当だったのだ。
 私の先輩には物書きを生業にしている人が何人もいる。しかし、いい年して1日せっせと10枚も書いて発表している博覧強記の猛者は管見にして知らない。かくいう私でさえどんなに頑張っても筆が遅くて平均1日3枚が限度だ。これは物書きの常識だが、書いたものが活字として世に出ればその内容に対する責任がともなう。
 だから事実誤認や相手に失礼のないよう配慮し、資料をうず高く積んで何度もそれに目を通しながら原稿を書いていく。売れない空想小説の量産はいざ知らず、そういう原稿執筆の基本作業を知っているなら、鶏が卵を産むようには簡単には書けないものだ。だから「にわかには信じられない」のであって、むしろ池田さんの多作の「からくり」を疑ってみるのが自然の成り行きというもの。
 後輩の発言がきっかけで聖教新聞をめくっていたら、なんと「池田大作全集が100冊目の刊行」という1面トップ記事が目に飛び込んだ(3月7日付)。しかも聖教新聞社には全部で150巻も出すという壮大な構想があるらしい。そこには、この全集が19年連続でベストセラー第1位だと書いてある。うらやましい限りだ。同じ新聞の中面には今までに出版した100巻の分類と内容一覧が載っていた。創価学会は300万とも500万ともいわれるほどの会員の所帯数を誇っているから、仮に組織を通じて100万所帯に1冊を割り当てて本を販売してもミリオンセラーにはなる。しかしこの膨大な個人全集はいったい私たちに何を示しているのか。
 その手の本をかなり所蔵しているという知人に頼んで、池田大作さんの筆になるという著作の「全集」の類いを調べてもらった。
 初めて池田さんが「全集」らしきものを世に出したのは、彼が第3代の創価学会会長に就任した翌年の昭和36年8月24日発行『会長講演集』だった。これだけでも13巻に及ぶのに、それとは別に昭和37年7月3日から『巻頭言・講義集』が巻を重ねている。
 昭和42年9月1日に刊行を開始した『池田会長全集』は論文・随想・講義・小説と内容ごとに1冊ずつ編集した全集の体裁になっている。そのあと昭和45年1月2日には、またまた『池田会長講演集』の刊行がはじまり、さらに昭和52年7月3日には『新版池田会長全集』の第1巻が刊行された。そして、たぶんこれが池田さん最後の全集になるのだろう、昭和63年に『池田大作全集』の発刊を開始した。つまり池田さんの全集は少なくとも6回は再編集・再改訂され、形を変え、それ以降のものも加えて世に出されているということなのだ。
 まず単行本を出し、改訂して全集として売り、またその改訂版を出して売り、さらにその改訂版を出しては売っている。150巻もの個人全集はたしかに前代未聞だが、内容の同じ原稿をいちいち再編集・改訂して屋下に屋を架し、屋上に屋を架す。そんなふうにして宗教法人が出版業で収益をあげているというのも、これまた前代未聞。

 探すのが難しい「自筆の書」

 池田大作さんの著作とされている本のなかには、日蓮聖人の主要な遺文の講義録もたくさんある。全集モノの調査のついでに、それらの本の序文に目を通してみて面白いことに気がついた。講義録は、そのほとんどを創価学会の教学部が執筆・編集し、それに池田さんが目を通して自分の著作として発行していたのだ。
 たとえば日蓮聖人には「観心本尊抄」という遺文がある。この遺文の講義録は創価学会の第2代会長だった戸田城聖さんが出版したが、戸田さんはこの本の「序」に「本講義にあたり創価学会教学部長小平芳平君の援助に感謝する」と記している。講義録の形態は戸田さんの時代からすでに小平芳平さんによって確立されていた。
 アジテーターで鳴らし、教学畑にほとんど馴染みがなかった池田大作さんは、戸田さんの死後3年を経て会長に就任し、当時参議院の議員(全国区)だった小平さんのスタイルを踏襲して遺文の講義録を出版していった。
 はじめのうちは「本講義の執筆にあたり、教学部長小平芳平氏の絶大なる援助を深謝し、副教学部長多田省吾氏、教授黒柳明氏の名哲なる教学上の援助を心から謝す」(昭和39年4月2日発行=報恩抄)、「本講義の完成にあたり、多繁のなか教学部長小平芳平君の御尽力を心から謝する」(昭和39年11月17日発行=撰時抄)、「原島嵩君の援助を心から感謝して止まない」(昭和40年4月2日=御義口伝)、「この講義録作成にあたり、青年部を代表し多田省吾君、学生部を代表し原島嵩君および桐村泰次君、高等部を代表し上田雅一君の四人の青年教授の方々の多大なる研究編纂の労を心から感謝する」(昭和41年7月3日=立正安国論)というふうに、教学畑で活躍する人たちの名前を「序」に記してその功を称えていた。
 これらの「序」は昭和42年の『池田会長全集』まではそのまま収録されていたが、やがて時代が下って会長のカリスマ化が進むとともに、実質的な執筆・編集を担当した教学部長や教学部教授の名はぬりつぶされていく。そして膨大な講義録は、れっきとした池田さんの著として、いま出している全集に収められている。
 講義録の出版にかかる問題はまだある。たとえば日蓮聖人の「立正安国論」について、池田さんは講義録で「立正安国論とは王仏冥合論にほかならない」「日本の王仏冥合を達成することが、世界平和への最直道であることも明白」としている。至近の全集ではこの部分は省きたいだろうし、おそらく省きたい部分はあっちにもこっちにもあるはず。それも150巻もの全集の管理となれば、有能な管理人が必要だ。聖教新聞の編集局のご苦労が推察される。
 日蓮聖人の遺文の講義録は、むろん池田さんの執筆ではないが、では、どれが池田さんの筆になるものなのか。むしろそれを探し出す作業の方が圧倒的に困難だ。池田さんの主著といわれる『人間革命』でさえ、代作者がいる。しがない童話書きだった篠原善太郎さんだ。これは創価学会の幹部の間では有名な話。篠原さんが原稿を書き、池田さんがそこに若干の手を入れて小説は作られた。ただいま「創価学会会長」で売っている原田稔さんは、かつては『人間革命』の担当記者として、本部3階図書館の脇の書斎で原稿を書いていた篠原さんのお手伝い役だった。だからそのことを原田さんはよく知っている。代作者の篠原さんは池田さんのご威光で東西哲学書院の社長にもなったが、今はもう小平芳平さんと同じくモノを言わない人たちの仲間入りをしている。
 汗牛充棟という言葉がある。牛が引いて汗をかくほどの蔵書の多さをいう。池田大作さんを信奉する創価学会の会員さんの家の書棚は満杯で、さぞ床もたわわに違いない。しかし自己顕示欲の権化のような池田さんが、百万言費やし、金に飽かして出版した全集だとしても、残念ながらその内容といい、影響力といい、私にいわせれば宮沢賢治の一編の詩『雨ニモマケズ』を凌ぐことも、太宰治の短編『走れメロス』に及ぶこともない。
 いくら力を入れて書いているつもりでも、代作スタッフの心の底には「しょせん、あの人の代作ではねぇ……」という、投げやりな気持ちが横たわっているものだ。

岩城陽子(いわき・ようこ)フリーライター。1952年生まれ。業界専門紙記者を経て、フリーに。宗教問題をフィールドワークの一つにする。

4月1日号 目次
閻魔帳 選挙イヤー最大争点としての「政治とカネ」/古川利明
特集/池田大作全集100巻・人間革命5000回礼讃の裏事情
全集100巻の刊行を可能にした、池田大作「多作」のからくり/岩城陽子
質より量!『池田大作全集』の笑止千万/尾崎 洋
人間革命5000回に敬意評した識者の池田大作認識の程度/本誌編集部
特報/調査費問題で揺れる広島市 不正支出のほとんどは公明党市議団の分だった/山田直樹
短期集中連載 創価学会党化した自民党(6) 詐術的・謀略的手段を平気で用いる自民党(その2)/白川勝彦

●連載 今月の「悪口雑言」――「平和と人権」を看板にする団体の“ホンネ”集
信濃町探偵団――創価学会最新動向
世之介の「つれづれなるまま」(61) 桜開花予想/金原亭世之介
雑誌記者の備忘録(78) 大相撲八百長告発報道の背景/山田直樹
ヨーロッパ・カルト事情(111) セクト対策の原点回帰――セクト的逸脱対策関係省庁本部(MIVILUDES)2006年度報告書について/広岡裕児
執筆者紹介 バックナンバー一覧 編集後記

編集後記から  
暖冬だった今年の冬ですが、桜の開花直前の3月半ばになって寒気が襲来。東京も観測史上、もっとも遅い初雪がちらつきました。その結果、桜の開花時期予想が混乱し、気象庁が謝罪するという顛末も生じました。  
その桜を芸名に冠する桜金造の東京都知事選出馬には驚かされました。いくらNHKの人気バラエティ番組「お江戸でござる」で座長役を張ったとはいえ、人気・知名度とも抜群とはいえない桜金造だけに、マスコミも「なぜ」と狐につままれたようでした。  
しかし翻ってみれば、平成11年の都知事選に際して、石原慎太郎氏は、「週刊文春」(99年3月25日号)の池田大作認識を問うアンケート調査に、「悪しき天才、巨大な俗物」と回答しているように、もともと創価学会・池田氏と石原氏は犬猿の仲だったのです。……  それにしても、いくら「お江戸でござる」で名前を売ったとはいえ、B級タレントの域を出ない桜金造の出馬が、創価学会の活動家であるというだけで都知事選の帰趨を左右する可能性があるとは。日本の政治の貧しい現状が、ここに象徴的に現れているといっても過言ではないでしょう。

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2007年03月15日

特集/衆院・予算委の亀井質問を読み解く

安倍・池田会談の事実を追及 亀井静香議員の国会質問

ジャーナリスト 段 勲

 かつては創価学会・公明党研究のエキスパート

 第166回通常国会・衆議院予算委員会(2月13日)に、国民新党の亀井静香議員が質問に立った。自民党時代、運輸大臣も務めたことがある亀井議員は、創価学会の政治活動について、古くから疑問を呈してきた国会議員。かつては国会に、池田大作・名誉会長の録音テープを持ち込み、例の“デェジン発言”を公開した議員でもある。
 あるいは、選挙期間中、公益法人である創価学会の選挙活動に強い不信感を抱き、元警察官僚だった人脈と調査能力を生かし、同会の選挙活動ぶり等を徹底して調査した形跡もあった。
 とくに公明党が新進党に参加し政権を握って以来、自民党内では「創価学会・公明党」研究のエキスパートとして台頭。当時、筆者も何度かインタビューしているが、「政教分離」を問題視する並々ならぬその「決意表明」は、いまだ耳朶に残されている。
 当然、創価学会にとって亀井議員は宿敵となった。ところが周知の通り、新進党が崩壊。自民党は公明党と連立を組んで政権与党になり、さらに亀井議員は小泉内閣時代、郵政民営化をめぐり、自民党から追い出された格好で国民新党を結成した。
 このあたりから“国会の元気男”亀井議員の影が薄れ、表舞台に出る回数もめっきり減った。その最中の衆議院予算委員会の質問である。いまや、小世帯の政党所属とはいえ、どんな質問が飛び出すのか、やはり学会や公明党にとっては、気になる存在であったらしい。
 与えられた質問時間は50分。まず、安倍総理を前にして、
 「総理、あなたに野党の立場で質問することになろうとは私は夢にも思わなかった」
 と、口を開いた亀井議員は、まさに、衆議院予算委員会を舞台にした独演会の様相。総理の答弁など、もとから期待していないようで、一方的に目下の国政、経済問題等を分析しながら、現今の国策を批判した。
 「総理、簡単に言うと、機関車と後ろの客車が切り離されちゃった。連結器が壊れちゃっている。機関車だけ、たたたっと行っちゃった。客車だけ取り残されているんですよ。そういう日本の経済がうまくいくはずがない。やはり総理、ここで、過去にとらわれないで、現実をしっかり見つめて、それに即した経済政策、社会政策をやっていただきたいと私は思います」
 等、語り、質問時間の後半に入ってから、「創価学会・公明党」問題に触れた。亀井議員の得意とする分野である。

 公明党に自民党は吸収合併されたらいいんだ

 創価学会と公明党、自民党、政府の関係がおかしいとし、そのおかしさぶりをこう羅列する。
 「創価学会員は、平和を願い、庶民の生活を守ってほしい」という宗教団体なのに、「イラクの戦争を支持している」また「庶民への負担増を、あっという間に自民党に同調して、支持している」。
 「教育基本法については、あらゆる宗教団体、圧倒的な声を、これを無視しちゃって、創価学会のおっしゃるとおりの教育基本法を強行採決までやってつくった」
 自民党と、公明党の選挙協力にも言及し、選挙で公明党、創価学会に丸がかえされながら、
 「総理、選挙協力と称して、自民党が候補者を出しているところに、出していないところなら別ですよ。出している比例区に公明党、公明党と言う。……今度の選挙でまたやるんですか、それを。我々野党は選挙協力しますよ。しかし、自分の党が候補者を出しているところに、よその党を応援してくれなんて、そんな破廉恥なことはようやりませんよ。……政党政治の堕落じゃないんですか」
 そして、こう結ぶ。
 「これはまさに政党政治の自滅だと思う。……もう公明党に自民党は吸収合併されたらいいんだ」
 質問に、創価学会、公明党の話が頻繁に出てきたためか、大臣席に座る公明党の冬柴国土交通大臣も黙ってはいられない。ほぼ強引に立ってこう答弁した。
 「先ほど来、公明党が何か国家を壟断しているような趣旨の話までされましたけれども、とんでもない話ですよ。……
 そして、イラク戦争を是認したではないかと。私は、イラクの人道復興支援のために一生懸命自衛隊にやっていただいたわけでありまして、平和の問題であります」
 先の「教育基本法」問題についても、ひと頃の亀井議員だったら、もう少し切り込んだはずである。
 公明党が100%の支持、支援を受けている「創価学会」の最高指導者・池田大作氏は、教育基本法の改正については反対をし、その論文まである。なのになぜ公明党は、自民党に同調して同法案に賛成したのか。公明党は、池田氏を無視? 亀井議員には、このあたりも突っ込んでほしかったのである。
 また「イラク問題」について、亀井議員は「公明党が支持した」と質問した。冬柴大臣は、質問の主旨をすり替え、
 「人道復興支援を一生懸命にやってる」
 と、答弁している。「戦争」と「戦後処理」は違う。理由もなく、他国に爆弾を落として国土を破壊。火種を拡大させ、連日、無関係な国民がテロの犠牲者になり、わけもなく死んでいく渦中の人道復興支援? 復興を支援するくらいなら、先にその元凶を糺すのが道筋である。「庶民のため、平和のため」と標榜する政党である公明党は、命を張って「イラク戦争」を阻止したのか。

 「報道を否定」の首相に抗議をしない各紙

 「別に、私は冬柴大臣に答弁を求めたわけじゃありませんが……」
 と、かわした亀井議員は、質問が本題に入って、こう切り込む。
 「総理は、池田大作名誉会長に、あなたは去年の9月頃、お会いになりましたか。……
 お会いになっているということを読売も書き、毎日も書き、日本経済新聞も書いているでしょう。……総理は、いや、会ったことはないということを執拗に否定をしておられる。……創価学会と一国の総理の間に何かやましい関係があるんじゃないか、隠さにゃいかぬ関係があるんじゃないか、そういう疑心が生まれる危険性があると言っているんですよ」
 この質問に対し、安倍総理はこう答弁した。
 「池田名誉会長と私がお目にかかったかどうか。これは、もう既に委員会で申し上げておりますように、お目にかかったことはございません」
 と、きっぱりと否定。亀井議員はなおもこう畳みかけた。
 「一国の総理がうそを言っているのかもしれない……それは読売であろうが、毎日であろうが日経であろうが、あんなにでかく報道されちゃっておる、それについて間違いであるなら記事の訂正あるいは法的措置をやられたんですか」
 この質問に塩崎官房長官や安倍総理も、
 「内閣としては動いていない」、「法的手段に訴えることもしない」
 安倍総理と池田名誉会長が会った事実は、実際、各紙が報道し、読売などは、会談の内容まで克明に報じていたもの。
 安倍総理が「会ってない」と答弁したが、亀井議員の言う「ウソをついている」ことが事実なら、安倍総理は国会で偽証したことになる。
 一方、安倍総理の答弁が事実なら、読売、毎日等、大手マスコミは、会ったことも、会談内容まで勝手に捏造したことにはならないか。“伊藤律会見”ではあるまいし、今どきの新聞社が架空会見を揃って記事にするか。
 事実報道を使命とする報道機関にとって、一国の総理大臣から「捏造」と断定されては、これ以上の屈辱もない。1社でも、安倍総理大臣に厳重抗議をしたのか。――鶴タブーはまだ、依然として残されているのである。
 
 段 勲(だん・いさお)フリージャーナリスト。1947年生まれ。週刊誌記者を経て、創価学会・公明党など宗教問題をはじめ社会・世相、医学・健康等をレポート。近著の『私はこうしてがんを克服した』(日本能率協会)『鍵師の仕事』(小学館)『宗教か詐欺か』『創価学会インタナショナルの実像』(共にリム出版)『定ときみ江 「差別の病」を生きる』(九天社)など著書多数。

3月15日号 目次
閻魔帳 米アフリカ軍新設は中国封じ込めへの布石/太田述正
特集/衆院・予算委の亀井質問を読み解く
安倍・池田会談の事実を追及 亀井静香議員の国会質問/段 勲
衆院予算委での創価学会・公明党問題に関する亀井議員の質問全文/本誌編集部
特報 創価学会フランスが開陳する荒唐無稽なサイトの中身/広岡裕児
短期集中連載 創価学会党化した自民党(5) 詐術的・謀略的手段を平気で用いる自民党/白川勝彦

●連載 信濃町探偵団――創価学会最新動向
世之介の「つれづれなるまま」(60) 早蕨/金原亭世之介
日本見聞録(37) 築地から豊洲へ――東京都中央区築地/本郷 健
執筆者紹介 バックナンバー一覧 

編集後記から  
2月13日に行われた衆院予算委員会。亀井静香代議士と安倍首相の間でたたかわされた創価学会・公明党・池田大作氏に関する質疑を詳報した新聞・テレビはありませんでした。そこで宗教と政治・宗教と社会に関わる諸問題を報じることをモットーとする小誌は、予算委員会質疑のうち、創価学会・公明党・池田大作氏にかかわる部分を全文掲載した次第です。  
小誌既報のように国会では衆参ともに自・公が過半数を制し、その数の力にものを言わせて国会運営を仕切っていることから、創価学会に関する質疑は事実上、タブー扱いとなっています。  
そうした政治状況の中で、衆院予算委員会という国会でもっとも注目を浴びる表舞台で、創価学会なかんずく池田大作名誉会長と安倍首相の会談の有無や自・公の選挙協力の問題など、宗教と政治に関する極めてステディな事柄についての質疑が行われたことは注目に価します。  
しかし今回の亀井質問を契機に、国会で創価学会問題が取り上げられるようになるかと言えば、その期待はほとんどありません。同様に安倍・池田会談を報じた記事を、「虚偽」と断言されたにもかかわらず、その真偽を追及しようとしない全国紙の姿勢を見ても分かるように、全国紙やテレビが創価学会問題を取り上げることも、あまり期待はできません。  
それゆえに小誌は創価学会・公明党問題をはじめとする宗教と政治の事実と真実を報道し続けるのです。

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2007年03月01日

創刊5周年を迎えて

カナリアの囀り

 平成14年3月1日に創刊号を発行した弊誌は、今号(平成19年3月1日号)をもって創刊満5周年を迎えました。
 宗教と社会のかかわりを考える隔週刊誌として、創価学会・公明党問題を正面から取り上げている弊誌に対しては、ご承知のように創価学会や創価学会の関係者が名誉毀損に基づく訴訟を濫発。また「聖教新聞」をはじめとする機関紙誌で、弊誌や弊誌の編集発行人である筆者の誹謗中傷を繰り返しています。その意図は、「聖教新聞」掲載の「デマ雑誌を撲滅しろ」とか「デマ雑誌は高額の賠償金で叩き出せ」「乙骨をマスコミ界から追放しろ」などの表記からも明らかといえるでしょう。
 そうした状況下にあって、5年間・通算121号にわたって弊誌を発行し得たのは、弊誌をご購読くださった読者の皆さま方のご厚意と、弊誌に各種記事を執筆してくださった執筆者の方々、さらには編集・発送等の各種業務に従事し、弊誌の発刊を支えてくださった多くの方々のご尽力の賜物に他なりません。ここに誌上を借りて、衷心より御礼申し上げます。
 さて弊誌の創刊は、創刊号の編集後記に明記されているように、自・公連立政権の発足によって創価学会の政治的影響力が飛躍的に拡大し、その政治的影響力と巨大な資金力の前に、日本の大手メディアが次々と創価学会の膝下に屈していることへの危機意識に基づき、たとえ小なりとも宗教と政治・宗教と社会に関する真実と事実、特に創価学会・公明党に関する正確な情報を報道しようとの目的意識によっています。
 その意識は、創刊から5年を経た今日、少なくなるどころかますます強固なものとなっていることを、筆者は悲しみと苦衷の念を抱きつつ申し上げねばなりません。
 なぜなら残念ながら今日の日本の政界の現実は、国会から地方議会にいたるまで、創価学会票を紐帯とする自・公融合体制に染まりつつあり、日本の政治体制はあたかも創価学会翼賛体制であるかのような様相すら呈するに至っているからです。
 こうした事態と並行して大手メディアの創価学会迎合は強まり、いまや公正・公平であるべき司法界においても、創価学会の政治的影響力に配慮したとしか考えられない異常かつ不可解な判断が相次いで惹起するという由々しき状況に立ち至っています。
 創価学会による言論出版妨害に見舞われた故藤原弘達氏は、その著『創価学会を斬る』の中で、創価学会と自民党の中にあるファッショ的体質が融合した際の危険性を指摘していますが、今日の自・公融合と、それに迎合するマスコミ界等の状況は、まさに思想・信条の自由や信教の自由、さらには言論の自由などが阻害される暗黒社会の到来が間近に迫っていることを示しているとしかいいようがありません。
 かつて創価学会問題を取り上げていた元毎日新聞記者の故内藤国夫氏は、ジャーナリスト・カナリア論を主張していました。このジャーナリスト・カナリア論とは、オウム真理教によるサリン事件の捜査の際、捜査員がガスに敏感なカナリアをかざしながらサティアンに踏み込んでいったように、ジャーナリストは、社会に危機をいち早く察知して報せるカナリアたれとの主張です。
 ファシズムは民主主義や人権尊重の仮面を被ってやってきます。弊誌は、今後とも社会にファシズム到来の危険性を伝えるカナリアたるべく、力の続く限り囀っていく覚悟です。
 今後ともいっそうのご指導・ご鞭撻、ご支援を、誌面を借りてお願いする次第です。

平成19(2007)年3月1日 有限会社フォーラム代表者取締役
「フォーラム21」編集・発行人   乙骨正生

3月1日号 目次

創刊5周年を迎えて カナリアの囀り/乙骨正生
記念特集/創刊5周年に寄せて
テレビ界の「鶴タブー」/有田芳生
言論の自由市場で奮闘/浦野広明
沖縄密約とNHK番組介入 権力と闘わないジャーナリズムの敗北/川崎泰資 
ジャーナリスト魂/斎藤貴男
「FORUM21」創刊5周年を祝う/段 勲
とめどない腐敗膨張に対する闘争の歩み/野田峯雄
言葉の魔力と事実の力/広岡裕児
「言論の自由」とは「書き続ける」ことの中に存在する/古川利明
政治の宗教化進む日本の社会/本郷 健
小泉政権と重なる5年間の意味/松井繁明
監視小屋/溝口 敦
創価学会の瓦解を予兆する制度疲労/山田直樹
創価学会の仏敵/山村明義
怪文書から看る「フォーラム21」創刊から5年間の世相/六角 弘
短期集中連載 創価学会党化した自民党(4) 反自由的で非民主的となった自民党/白川勝彦
世之介の「つれづれなるまま」(59) 十二単/金原亭世之介

編集後記から  

おかげさまで小誌は、今号で創刊満5周年を迎えることができました。  
これもひとえにご購読を頂いている読者の皆さまのご支援の賜物と、あらためて御礼申し上げます。  振り返ってみれば小誌が創刊された平成14年3月は、自・公連立政権が発足して2年余、小泉首相が総理に就任して約1年になる時期でした。小誌既報のように小泉前首相は、首相退任直後の昨年9月28日、東京・信濃町にある聖教新聞社を訪問して池田大作氏と面談し、首相在任中の支援に謝意を表するなど退任の挨拶を行いました。  
この一事が示すように、小泉政権とはまさに創価学会依存政権でした。平成13年11月に行われた公明党大会の席上、小泉首相が現役の首相として初めて、池田氏の名前を挙げて礼賛発言を行ったことは、政界ならびにマスコミ界が創価学会翼賛体制に染まっていくことを示す象徴的事実であり、小誌発行の大きな契機となりました。  
爾来5年の月日が流れましたが、今日の政治状況はますます悪化。自・公の関係が連立から融合・合体へと進んでいることは、自民党の総務局長や自治大臣を歴任した白川勝彦元代議士の論考からも読みとることができます。

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記念特集/創刊5周年に寄せて

テレビ界の「鶴タブー」
ジャーナリスト 有田芳生

 朝日ニュースターで放送されている「ニュースの深層」に出演した。テーマは「統一教会と政治」。キャスターの上杉隆さんの進行で、いまだテレビではタブーとなっている国会議員秘書への浸透などの問題を自由に話すことができた。ところが番組が終った直後に山崎拓自民党元副総裁から抗議電話がかかってきた。上杉さんがただちに「山拓」本人に電話をしたところ、わたしが山崎訪朝は統一教会ルートだったなどと語ったことが事実と異なるというのだ。「アリタは嘘つきだ」「告訴する」とも言い添えたという。
 山崎訪朝が統一教会系の「ワシントンタイムズ」社長から勧められたことをきっかけにしていることは否定できない事実だ。ただちに統一教会のディープスロートに連絡を取ると、いくつかの内部資料を渡してくれた。その1枚は2003年の総選挙時の内部文書であった。そこには小選挙区で立候補している山崎拓氏などの自民党候補に投票するように書かれていた。驚いたことは比例区への指示である。
 「比例区は公明党」と大きく書かれているのである。「全食口」すなわち全信者への指令だ。「キリスト教」を標榜する統一教会が、創価学会を基盤とする公明党を支援していることはどれほど知られているだろうか。30年も統一教会問題に取り組んでいる知人に知らせたところ「知らなかった」という。統一教会の公明党支援の根拠は常に権力にすり寄る体質にある。「類は友を呼ぶ」権力志向が両者にはあるのだ。統一教会の文鮮明教祖は「4権を握れ」と命じたことがある。政治、経済、文化、マスコミだ。ここでもまた公明党=創価学会と同じ志向が現れている。
 わたしが『現代公明党論』で公明党の与党化路線を書いたのは1984年。あれから20年が過ぎ、いまでは自民党と公明党が与党として権力を行使している姿は当たり前の政治風景となってしまった。テレビの世界でも学会員ばかり出演する番組さえ多くなりつつある。そこで宗教的なことが語られるわけでもないが、互助会的な意味合いで入信する芸能人もいるようだ。大物学会芸能人の口利きで番組出演が実現することがあるからだ。学会員プロデューサーやディレクターの「引き」で出演できることも多い。身過ぎ世過ぎの世界にあって、それもまたそれぞれの生き方である。しかしテレビ界でも創価学会タブーが拡大再生産されていることには注意しなければならない。
 そうした実態についてテレビで発言することがはばかられるのは、番組制作上の核心にあたるからだ。さらには池田大作名誉会長の報道もまたタブーとなっている。たとえば国会で池田名誉会長のことが取り上げられたとき、テレビ局によっては、あえてそのニュースを取り扱わない場合がある。あるいは取り上げても、国会議員の発言のなかで池田名誉会長の名前が流れても、字幕ではあえて表記しないこともある。こうした実情を教えてくれたあるタレントも「名前は絶対に出さないでくださいよ」と言うのだった。いまだ「鶴タブー」は生きているのだ。
 週刊誌などでは創価学会批判は比較的自由に行われているようだ。それでも知られざる由々しき問題が生じている。ある創価学会員のブログでは「週刊新潮」編集部の内部情報がしばしば明らかにされている。「驚きましたよ。内部にいるものでも少数しか知らないことが漏れているんですから」とはある編集部員の話だ。公明党=創価学会は不気味で面倒な相手なのだ。
 そんな「巨像」に真っ向から対峙する「フォーラム21」が5周年を迎えたという。たとえ小さくとも確信ある主体は多数に影響を与えることができる。戦前の大政翼賛体制は日本的全体主義であった。いまは新たなる翼賛体制が形成されつつある。その推進者が自民党であり公明党=創価学会なのである。批判の自由が狭まる度合いは、全体主義への傾斜に比例する。タブーに風穴をあけ、民主主義のこれ以上の破壊をとどめるために「フォーラム21」のさらなる発展を期待したい。


(ありた・よしふ)1952年生まれ。出版社勤務を経て、86年からフリーとなり『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンに参加。同誌休刊後は『週刊文春』などで統一教会報道。都はるみ、テレサ・テンなどの人物ノンフィクションを『AERA』『週刊朝日』『サンデー毎日』に執筆。現在は日本テレビ系「ザ・ワイド」に出演。『現代公明党論』『(白石書店)『「幸福の科学」を科学する』(天山出版)『歌屋 都はるみ』(講談社、文春文庫)『有田芳生の対決!オウム真理教』(朝日新聞社)『「コメント力」を鍛える』(NHK新書)『私の家は山の向こう』(文藝春秋)など著書多数。

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2007年02月15日

特集/自・公融合の深刻な実態

「自公融合」によって進む安倍晋三の「池田大作化」

ジャーナリスト 古川利明

 「安倍の変化」の本質にあるもの

 統一地方選と参院選が重なる12年ごとの「選挙イヤー」となる亥年が明け、1月17日、自民党大会が開かれた。不透明な事務所費計上をはじめとする「政治とカネ」の問題で、昨年末に行革相・佐田玄一郎が引責辞任に追い込まれ、さらに相次ぐ閣僚の失言によって、安倍内閣の支持率が下落を続ける中で、一際、あいさつに力が篭もっていたのが、一緒に連立を組む公明党代表の太田昭宏だった。
 太田は「統一地方選に何としても勝利し、“天下分け目”の参院選に挑む」としたうえで、中国の明の文人・劉基の「万夫力を一にすれば、天下に敵無し」の言葉を引用しながら、自公両党が協力し、「何としてでも、与党で過半数を制さなければならない」と強調した。
 ここらあたりの意気込みは、聖教新聞紙上で連日のように、敵対する人間たちへの「法戦」に向けて檄を飛ばしている池田大作の姿を彷彿とさせるが、そうした緊張感のある空気に触れたせいなのだろうが、安倍が自民党大会の翌々日の1月19日、唐突にも、「共謀罪新設法案」(組織的犯罪処罰法改正案)の今通常国会での成立を指示したのである(もっとも、その後、この発言については「政府として提出した法案はすべて成立を目指す。しかし、いろいろ議論のある法案でもあるので、党とよく相談するよう法相に指示した」と、事実上、撤回している)。
 既にこの共謀罪の問題点については、本誌でも繰り返し取り上げられているが、この法案の致命的な欠陥は、犯罪の実行行為がなくても事前の協議だけで処罰することができる点に尽きる。それゆえ、「思想や言論・表現を処罰するものだ」として、「現代の治安維持法である」と強く批判されてきたのである。過去2度も廃案となり、郵政解散直後の05年秋の特別国会に3度目の提出となったものの、その後もこうした世論の強い反対から継続審議の状態が続き、昨年秋の臨時国会では審議入りすらできなかった、曰く付きの法案なのである。「君子豹変す」ではないが(もっとも、この諺の本来の意味は「君子は過ちをただちに改める」だが)、折りしも、支持率の急低下による「あせり」もあったにせよ、安倍がこうした言動に踏み切る背景にあったものは何かと推察するとき、まず、考えられるのは、安倍自身の内面における「変化」である。
 そして、その本質にあるものとは、「自公連立」から「自公融合」へと突き進んでいる現在の政治状況の中で、安倍自身が「公明党=創価学会・池田大作」的な体質へと確実に変わっていっている、というのが、筆者の見立てである。本稿ではこうした論点で進める。

 意外にリベラルなタカ派だったが……

 確かに安倍晋三自身は、「岸信介の孫」に象徴されるように、「タカ派的体質」を持った政治家というふうにみられている。そのこと自体、否定するつもりはないが、ただ、ひとつだけ、筆者がこれまでの安倍の姿勢で評価する点は、前回04年の参院選で自民党が49議席しか取れずに惨敗し、小泉純一郎をはじめ他の党執行部が「責任逃れ」に終始していた際、幹事長だった安倍は唯ひとり、「敗北の責任を取る」と明言し、その職を辞したことである。
 やはり、人間は出処進退のケジメが大事というか、すべてである。つまり、それは「行動」によってはっきりと示すということだが、こういう潔さを見せることが、往々にして、その後の飛躍につながっていくものである。実際、このとき、安倍は幹事長代理に降格されたが、そこで安倍が打ち出していた「公募制の本格導入」や「新人のチャレンジの機会拡大」の方向性は、05年の郵政解散・総選挙の際に適用され、自民党の無党派層の取り込みに大きく貢献している。
 93年に初当選した安倍は、当初、四月会に所属し、創価学会を批判するなど、もともと本人自身は、前任者の小泉純一郎と同様、「公明党=創価学会・池田大作」とは距離のある政治家だった。案外、見落とされているが、「憲法改正」や「教育基本法改正」を声高に主張する自民党内の「タカ派」と称される政治家たちの中には、意外にも「思想・信条や言論の自由」に対して理解を示す者も多い。
 例えば、公明党(=創価学会・池田大作)が強硬に主張した“池田大作情報保護法案”(=個人情報保護法案)について、当時、「言論・出版・表現の自由に対する侵害という点から、問題がある」と反対していたのが、主に自民党内の志帥会(当時の江藤・亀井派)に所属する議員たちだった。そうした自民党内の「党内政局」によって、とりわけ、ゲリラ的なスクープ記事を連発する雑誌媒体の取り締まりを目的としていた旧法案は、02年12月の臨時国会で廃案となった経緯がある。
 また、同様に「メディア規制」として強い批判に晒されていた「人権擁護法案」についても、ちょうど05年の通常国会で、郵政政局と同時並行で自民党内では法案提出か否かで水面下での駆け引きが続いていたが、これを最終的に潰したのが、「平沼赳夫―城内実」の「タカ派のライン」だった。奇しくも、2人とも郵政民営化法案に反対したために「刺客候補」を立てられ、城内の方は落選してしまうが、森派に所属していた城内は、言わずと知れた「安倍晋三の秘蔵っ子」である。郵政法案はともかく、人権擁護法案については「党内政局」で“廃案”となったのは、こうした動きに対する安倍晋三の理解があったからだともいわれている。
 このように意外にもリベラルな側面も併せ持っていた安倍だが、昨年9月に自民党総裁に選出されると、さっそく、池田大作のところに面会に行き、「祖父(岸信介元首相)や父(安倍晋太郎元外相)は、戸田城聖・第2代会長や池田名誉会長と大変親しくさせていただいたと聞いています」と、小泉政権時代の「選挙協力」について頭を下げた、という(06年11月1日付読売新聞朝刊)。その甲斐あってか、昨年秋に相次いであった衆院補選(とりわけ接戦が伝えられていた大阪9区)と沖縄県知事選を制したのは、まさしく、「学会票」だったといってもよい。この2つの「政治決戦」を制したからこそ、重要法案に位置付けられていた教育基本法改正案と防衛庁省昇格法案を、何とか成立にこぎつけることができたのである。

 追及しなければならない「政権与党の膿」

 自民党の正式名称を「自由民主党」という。もし、「名は体を顕わす」というのが事実であれば、この政党は、何よりも人間の自由を重んじ、そこから生み出される民主主義が確立された社会を目指すものだと、誰しもが思うであろう。
 しかし、公明党(=創価学会・池田大作)が政権与党入りした99年以降、信濃町が回す「学会票」の力によって、かつてはおおらかで、さまざまな批判に対しても寛容的だった自民党の体質も大きく変わってしまった。それはすなわち、「創価学会化=全体主義化」ということに他ならないが、その詳細については、本誌の1月15日号から連載が始まっている、自民党の宏池会に所属していた白川勝彦・元衆院議員の「創価学会党化した自民党」を読めば、一目瞭然である。「朱に染まれば赤くなる」の諺のとおり、自公連立による「融合現象」によって、「本当は全体主義がいちばん理想の形態だ」とうそぶく人物(=池田大作)の体質が、自民党議員にも広範に染みついてしまったのだ。その意味では、「池田大作化してしまった自民党議員」は、安倍晋三だけではない。
 確かに、この「共謀罪新設法案」は、もともとは法務省マターの法案ではあるが、だが、かつての自民党であれば、国会に提出することすらできなかったであろう。「自公連立」であるがゆえに、国会に出され、さらには、2度も廃案になったにもかかわらず、ゾンビのごとく、また、「棺桶の中」から引っ張り出されてきたのである。
 ただ、幸いにも、今年は選挙イヤーであるため、こうした「世紀の悪法」については選挙という民主的な手段によって、有権者は葬り去ることができる。「政治とカネの問題」と並んで、こうした悪法についても徹底して争点化し、「政権与党の膿」として、野党、そして、我々ジャーナリズムは断固として追及しなければならない。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

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2007年02月01日

特集/創価学会・公明党がまたも露呈する虚飾と虚偽体質

告発された浜四津発言が示す虚偽体質

ジャーナリスト 乙骨正生

 住民の反発招く学会施設

 1月20日付「聖教新聞」に、アメリカ合衆国の首都ワシントンDCに、アメリカ創価学会が会館を建設する計画であるとして、その完成予想図が掲載されている。「アメリカの首都に建設 ワシントンDC文化会館」と題する記事には、「ホワイトハウス、国会議事堂、連邦最高裁判所、中央官庁などがひしめく全米の政治・行政の中心地ワシントンDC。新会館の建設地は、各国大使館が並ぶ閑静な『マサチューセッツ・アベニュー』」と記されている。
 昨年12月3日に起工式が行われ、1年後には完成する予定という「ワシントンDC文化会館」。「聖教新聞」は「SGIの幸福哲学を発信」との副題のもと「アメリカの友は喜びに燃えている」と書いている。だが、この「文化会館」の建設に対して、周辺住民から反対の声が上がり、抗議行動が続いている。その意味では「ワシントンDC文化会館」の建設は、「SGIの幸福哲学を発信」するどころか、周辺住民に多大の“迷惑”をもたらしているということになろうか。
 かつてアメリカでは、創価学会傘下の学校法人である創価大学ロサンゼルス分校の増設に対して、周辺住民から強い抗議の声があがり、カリフォルニア州のABC放送が、「カルトスクール」として特集した経緯もあるが、こうした創価学会ならびに創価学会の関連施設の建設が、周辺住民とトラブルを起こすケースは、日本でも続出している。
 特に創価学会が「生死不二の永遠の都」などと形容・讃歎する墓苑建設では、全国各地で地元住民が反対運動を展開するなど、トラブルが頻発している。そうした事例は、日本最大の墓苑である兵庫県にある関西池田記念墓苑や広島県の中国池田記念墓苑をはじめはるな平和墓苑に富士桜墓苑と枚挙に遑がない。
 しかし創価学会はこうした事実を伏せ、あたかも墓苑が地域で受け入れられ、歓迎されているかのように喧伝する。自らにとって不都合な事実は隠蔽し、都合のいい事実を誇大に喧伝するという手法を創価学会が恒常的に繰り返していることは、すでに本誌で度々指摘している通りである。
 「聖教新聞」掲載の首脳座談会において、各種企業のトップらが元旦早々から学会本部前に列をなしており、創価学会は社会から高い評価や信頼を得ていると得々と喧伝するのも、こうした創価学会のプロパガンダの一環に過ぎない。
 そうした一方で創価学会は、自らの勢力拡大・伸張に阻害要因となる事柄に対しては、昨年3月に出された東京地裁判決で、宗教法人創価学会と秋谷栄之助会長(当時)・青木亨理事長(当時)・原田稔副理事長(当時・現会長)らが、日蓮正宗僧侶に対する事実無根の誹謗中傷による名誉毀損を認定され、損害賠償の支払いが命じられた事実が示すように、激しい攻撃、それも虚偽を含めた攻撃を展開する。

 沖縄の“お”の字もいわない

 そうした創価学会の体質を典型的に示す事例として、公明党の浜四津敏子代表代行が、昨年11月に実施された沖縄県知事選で行った発言があるので紹介しよう。なお、この浜四津氏の発言は、糸数慶子候補(元参院議員)の陣営が、沖縄県警に公職選挙法の虚偽事実公表罪にあたるとして刑事告発している。
 問題となったのは、昨年11月12日に那覇市の中心街で行われた当選した仲井眞弘多候補を支援する集会での浜四津代表代行の発言。そこで浜四津代表代行は次のように糸数候補を批判したのだった。
 「(仲井眞候補は)何の実績もない(糸数)候補とは天と地ほどの違いです。私は(糸数候補とは)同じ参院議員。参議院の中で(糸数候補からは)沖縄の“お?cの字をいうことも聞いたこともありません」
 「沖縄のために何ひとつ相手候補はやっていない。これまでやってこない人が、いくら“やるやる”といっても誰が信じるでしょうか。これまでしっかり仕事をやってきた仲井眞だからこそ、これからもいい県政が実現できるんです」
 この発言の中で浜四津代表代行は、糸数候補が参議院議員時代に、「沖縄の“お”の字」も言ったことがないと批判。また糸数候補は、「沖縄のために何ひとつやっていない」と発言した。
 ところがこの問題を報じた「週刊新潮」にコメントした糸数氏の代理人を務める池宮城紀夫弁護士によれば、糸数候補は参議院議員時代に合計45回、述べ時間にすると935分にもわたって沖縄の基地問題や環境問題、さらには経済問題などについて質問を行っているという。実際、国会の議事録には、各種の委員会で沖縄の問題を質問する糸数議員の発言が記載されているし、糸数議員は沖縄県に関する諸問題について内閣に対する質問主意書も提出している。例えば平成17年8月12日付で扇参議院議長に回答された小泉内閣総理大臣名の答弁書には次のようにある。
 「参議院議員糸数慶子君提出在日米軍の施設及び区域における廃棄物等の処理及び環境調査に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する」
 この質問主意書において糸数議員は、米軍基地による環境汚染の問題について11項目にわたって詳細な質問を行っている。だが浜四津代表代行は、公衆の面前で糸数候補は、参議院議員時代「沖縄の“お”の字」も言っていないと誹謗したのだった。
 先述のように昨年3月、東京地裁は創価学会の秋谷会長、青木理事長、原田副理事長以下の学会最高幹部が、日蓮正宗の僧侶に対する事実無根の虚偽発言で名誉を毀損したとして、日蓮正宗僧侶に対して損害賠償を支払うよう命じる判決を下した。この判決は、被告の創価学会や秋谷会長らが控訴しなかったため確定したが、創価学会を母体とする公明党の最高幹部である浜四津代表代行もまた、創価学会の最高首脳と同様、虚偽発言で政敵を誹謗しているのだ。こうした人物を最高首脳とする宗教・政治集団が、国政のキャスティングボートを握り、日本の政界で多大な影響力をもっていることの危険性は改めて指摘するまでもないだろう。
 なお蛇足だが浜四津氏は、人権を尊重すべき立場の弁護士でもある。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2007年01月01日

特集/神格化される池田発言の虚飾と欺瞞

手品師よりタチが悪い!? 池田流「世界が賞賛」の創造力

ジャーナリスト 野田峯雄

 詐欺師の手口は高度化していく

 くれぐれも詐欺に注意したい。聖教新聞(12月14日)が力をこめてそう忠告してくださる。同感だ。ホント詐欺には気をつけなければならない。同紙は詐欺師をみごとに罵る。手品師よりタチが悪いぞ、と。
 「鮮やかに見る人の目をくらます手品師とは違って、詐欺師は陰湿だ」
 さらに、こんな注釈を垂れる。
 「手の内を悟られないよう、人の心を欺く手口は高度化・複雑化されていく」
 まさに。詐欺師は騙しの手口をどんどん高度化・複雑化させ、ついに自分が詐欺師であることを忘れてしまうようでもある。つまり自他ともに謀る。どんどんのぼせあがっていき、狂いの極点に立って、あとはオボロ月夜、なにがなんだかさっぱり分からない状態に陥り、「決して自分を『偉い』などと勘違いしてはならない」と宇宙へ向かって獅子吼したり、やたら札束裁判を連発して(訴権乱用)、それがまあスポイト1〜2滴の勝率なのに「連戦連勝」などとバカ騒ぎをするからじつにややこしい。
 とにかく、いつもだが、さすがこのクォリティ・ペーパー(聖教新聞)は鋭く冴えわたっている。すごい。それに比べるとたとえば朝日新聞や産経新聞、ニューヨーク・タイムズなどは、失礼ながら「ゴミ」だ。で、聖教新聞の小気味良い詐欺師注意コラムのちょっと上に視線を転じれば、おおッ。
 「アメリカ・カリフォルニア州、ウォルナット市が宣言 ダイサク&カネコ・イケダの日」
 左下に視線を転じると、「池田博士のように、人類に無限の愛情を注ぐ偉人よ出よ」「風邪やノロウィルスに警戒。防寒とうがい・手洗いを怠るな」の厳かだが愛情あふるる叱咤。ダイサク&カネと風邪菌&ノロウィルスの4者が仲良く手をつないで散歩をしているではないか。思えば、センセ78歳の2006年は小泉前首相・安倍新首相からの謁見要望の裁可といった国政裏芝居、および神崎さんと秋谷さんのナマクビ切り、しかも202にのぼる前人未踏の名誉学術称号の入手達成というふうな、あまりにもキラキラとまぶし過ぎる華麗と栄光と幸福に包まれきった日々であった。

「世界が賛嘆」の原文を見れば

 そして、もっと大きな勝利と幸福と傲慢を、もっともっとワシ掴みにするぞと猪首を振り立てて雄々しく07年(79歳)へ突進なさったのだが、目がつぶれそうになるのを覚悟し、もう少し池田賞賛の嵐を、毎夕のNHKTV天気予報に登場する半井小絵さんを真似て適切かつ 嫋 にチェックしておきたい。ちなみに、それらの賞賛の数々はなんせダイサク本人も常々口にしていることだからけっして間違いないのである。
 「(ダイサクを)全世界が必要としている」「(ダイサクは)仏法の智慧で人類の明日を照らす和の光彩」「(ダイサクは)模範的な平和の闘士」「(世界がダイサクの)広大な知性に敬意」(以上は11月18日『創価学会創立記念日』前後の聖教新聞)
 さらに、この方は故トインビー氏(英歴史学者)をむちゃくちゃ振り回し、あふれかえる「英知」でなんと「千年」をズバッと貫いてしまうのであった。そうなると汚れ砂利ごとき庶民はもう驚愕や恐怖なんて次元をはるかに超えて口をパックリと開けているほかない。
 しかし、それにしても前述したカリフォルニア州ウォルナット市が「12月2日をダイサク&カネコ・イケダの日に宣言した」というのは少しおかしいんじゃないか? イケダ&セイキョウは、ウォルナット市のほかにもメキシコのベラクルス市が11月18日を創価学会の日に“制定”、またアメリカ・カリフォルニア州のピッツバーグ市も11月6日をダイサク・イケダ平和大使の日に宣言したと胸を張り、しきりに「世界が賛嘆」などとはしゃぐ。としたら、ぜひ同原文にじか当りしてみたい。「おらがダイちゃんも偉くなったもんやな」と喜びを共にさせていただきたいのだが、根が奥ゆかしく慎ましい聖教新聞は、きっと「ひけらかすほどのことじゃないよ、些細なこと」と言いたいのだろう、記事中、英文をブヨの赤ちゃんの目ン玉より小さく扱っている。そこで、超拡大鏡を買ってきて比較的文字の大きな「ウォルナット市の宣言書」なるものを読む。
 まず、聖教新聞による翻訳文は、
 「池田大作氏、香峯子夫人は、恩師・戸田城聖先生の激励のもと、SGIの世界的な運動の推進に貢献してこられました。わが市は、暴力と差別と不正のない世界を築かんとされる、お二人の理想の実現に向けて、協力を惜しみません」

 あまりにも違う聖教新聞の翻訳文

 でも、なあんだ、これ(宣言書)って、つまらない紙っぺらじゃないか。ダイサクもカネコもジョーセイもまったく素裸。3人の名前には「氏」も「夫人」も「恩師」も「先生」も付いていない。
 また翻訳文「お二人の理想の実現に向けて、協力を惜しみません」の原文はThe City of Walnut joins your quest for…。「あなたがたのquest(探求などの意)に加わるよ」という、せいぜい協力意思の表明。さらにそれは、米国社会ゆえ内部でいろんな言語を使うであろう米SGIのなかの民族語グループ(National Language Conference)の(活動の)成功を期待(Wish)しますというもの。
 聖教新聞の言う宣言書はじつは当地の“良い子ちゃん表彰”程度の、同市にとっては、たとえばトイレ設置の紙ぐらいのしろものでしかなく、「12月2日をダイサク&カネコ・イケダの日に宣言した」なんて大ボラも大ボラだ。聞いているほうが恥ずかしくなる。「12月2日」は単にウォルナット市が“頭を撫でてあげた日”でしかない。それもそのはず。いくらウォルナット市が多民族・他人種、寛容な社会(町)であってもキリスト教関係の信奉者がほとんどだろうし、そこに、いわば「札束を抱えた極東のなんだかワケの分からん宗教かぶれの禿頭」が顔を突き出して自分と女房の顕彰記念日を、たとえば日本の天皇誕生日のごとく設定せよなどと要求(希望)したら、たちまちワイアット・アープもドク・ホリデイもクラントン・ファミリーも蘇り、シュワ知事も現われ、街路はライフルやマシンガン、ロケットランチャー、手榴弾、化学諸兵器、超小型核爆弾なんかで武装した連中であふれかえり、現市長たちは哀れにもヒトの姿をとどめない粉々の運命。
 そもそも「ダイサク&カネコ」ってなんやの。いい年をぶっこいてからに。

 和歌の一部を読みかえろ

 このような無残きわまりない姿の披露(前述の大ボラなど)はひとえに聖教新聞のせいであって、れっきとした英知の塊であるダイサク&カネコに発したものであるはずがない。そう思いたいのだが、これは砂漠でマグロのトロを求めるよりむなしい願望のようだ。
 12月14日付聖教新聞のウォルナット市の一件記事の左隣りに、宇宙規模の大詩人ダイサクが「全国の多宝の友」にプレゼントした自称“和歌”が3つ載っている。そのなかのひとつは、
 「何という 偉大な創価に なりにけり 多宝の会の 方々 讃えむ」
 寝言だ。小学3年生のほうがまだマシ。だが、それは作者の能力ゆえ、これ以上あれこれ言うまい。それより何より驚くのはこの“3つの寝言”の下部の「注」である。次のように書かれている。
 「宝寿会、錦宝会の方々は、和歌の『多宝の会』の個所を、『宝寿の会』『錦宝会』と読みかえてください」
 多宝会は老創価学会員の全国的組織、うち宝寿会は東京エリアを、錦宝会は関西エリアをカバーする。普通なら、「おいおい、特定の者へ贈ったはずの言葉なのに相手の名前の『読みかえ』はないだろうが」と思うけれど、ダイサクさんたちにはあっけらかんと通用しているようなのだ。お飾りになればそれで十分??
 そんなことよりこっちのほうこそ大事なのかもしれない。新会長の原田稔さんが「07年」を睨む12月7日の本部幹部会でこう強調した。
 「すでに振り込みが始まっている財務については、…大福運の財務となりますよう心からお願い」
 やはり、今年の大ボラ連発にも“人差指と親指でつくるマル(大福運)”の裏付けがないとド迫力に欠けるのである。私は秋谷さんの決起を望む。

野田峯雄(のだ・みねお)フリージャーナリスト。1945年生まれ。同志社大学卒。週刊誌や月刊誌等を舞台に国内外の政治・経済・社会問題等をレポート。最近著『闇にうごめく日本大使館』(大村書店)ほか『池田大作金脈の研究』(第三書館)『破壊工作―大韓機“爆破”事件の真相―』(宝島社文庫)など多数。

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2006年12月15日

特集/公明党目黒区議団総辞職と創価学会・公明党

税金を食い物にしていた公明目黒区議団の破廉恥

ジャーナリスト 山田直樹

 牧口・戸田ゆかりの目黒区

 東京都目黒区といえば、初代会長・牧口常三郎が同区の白金小学校校長を務めたり、二代目・戸田城聖が居を構えたりと創価学会には何かとゆかりのある地といっていいだろう。区議会の定数は36。最大会派自民(10人)に次ぐ勢力(6人)を持つのが公明党である(民主党系会派も同数)。以下、共産党5人、「独歩の会」(無所属)4人、無会派3人という構成だ。(2名欠員)
 その公明党区議が突然、全員辞職した(11月30日)――。政務調査費の「不適正使用」に端を発した引責辞職ということに建前上はなっている。がしかし、この安直な辞職で説明責任が果たされたとはとても言えない。
 そもそも政務調査費とは何なのか。目黒区は「交付に関する条例」と「交付に関する規定」を定め、2001年度から会派または議員に対して月額17万円を支給している。地方自治法に則り、会派や議員が「地方行政等の諸制度や動向を調査し、専門的知識を得るための経費」として支給されるもの。原資は血税である。目黒区公明党の場合、議員数×17万円×12カ月分であり、〆て1224万円也――。世田谷区の月額24万円には及ばないが、23区のほぼ平均値に相当する。
 ちなみに読売新聞の調べでは、23区議会のうち政務調査費に領収書の添付を義務付けているのは8区。ただし、領収書原本を求めているのは千代田区と品川区のみで、残りはコピーで可。以上の点から言えるのは、政務調査費が議員の「ウラ給与」として使われても、ほとんどチェックが効かない現実があるということ。今回、問題となった目黒区でも「領収書のコピー」さえあれば通るワケで、その中身をクロスチェックしてみないと実際の使途は不明のままなのだ。ご立派なことに目黒区には、「政務調査費決定事項」なる決まりがあり、こんな風に書かれている(一部抜粋)。
 「領収書」―宛名、日付、発行者の氏名、内容等が書いてあれば領収書として認める。なお、レシートの場合は内容等の説明があれば可とする。
 「年会費 校友会費」―政務調査費として認めない。
 「懇親会 新年会」―招待を受け、実際に出席をして挨拶等をし、さらに目黒区全体に関わるものに限る。また会費は社会通念上認められる金額であれば可とする。(例、〇商店街連合会の懇親会 ×商店街)

 「不適正」とはどんなものだったのか。筆者の手元には、公明党目黒区議団が提出した調査費の収支報告書と、それを慌てて訂正した3つの修正報告書がある。そこにある呆れた使いっぷりに関しては、後ほどじっくり明らかにする。まずはここに至った経緯をざっと振り返ろう。

・06年10月30日――梅原辰郎元区議(保守系市民団体『目黒オンブズマン』代表)が宮沢信男議長(自民)と公明党区議団に対して、政務調査費の住民監査請求を起こし記者会見を開く。ちみなに監査請求に対しては監査委員が60日以内に結論を出す決まりになっている。この時点で委員は区議OB、税理士、公明党区議、無所属区議の4名で構成され、議員自身の支出に係る問題のため区議の2人を除斥して監査が行われる。
・11月1日――毎日新聞がこの件を取り上げ「目黒区議会『抱き枕など不適正』政務調査費で住民監査請求」の記事掲載。
・11月9日――独歩の会の増田宣男議員がこの問題につき一般質問通告書を提出。議長と公明党に激震が走り始める。
・11月17日――公明党区議団は「調査研究費」(政務調査費の科目のひとつ)7054円(!)の削除手続を行う。この中に那覇市のタクシー会社の領収書へ「上目黒3丁目→北新宿」と手書きで走行経路を書き込んだものがあった。沖縄のタクシーが都内で客を拾った(?)という実に不思議な収支報告である。
・11月20日――増田議員の一般質問。議長は突然、本会議場での撮影禁止(前例なし)を命じ、報道陣との間で混乱が起こる。
 同日、TBSがその様子をニュースで流し一躍“全国区”の話題となる。(TBSは以後、連日、この件を報道)
・11月22日――公明党区議団が766万円の返還を申し出たことが判明。しかしこの日午前の議会運営委員会(公明党委員も出席)ではその事実の報告なし。この席上、共産党議員による収支報告書のチェックを議会事務局がきちんと行っていれば、今回のような不当・違法な支払いは発見できた旨の発言に対し、出席していた公明区議・寺島芳男が、
 「そんな傷に塩を塗るようなことを言わせるな、やってられない」
 と怒鳴って、委員会室から退場するという珍事発生。
・11月24日――午後5時半、都庁記者クラブで高木陽介公明党都代表代行が記者会見し、区議6名の辞職を表明。午後6時に、目黒区公明党区議団が議長へ辞表を提出した。高木代行は記者から不適正な支出の詳細について質問されると、「区議団が自主調査したので詳しい報告を受けていない」と具体的中身を明らかにしなかった。
・11月30日――宮沢議長辞職。公明党区議の議員辞職を本会議で承認。

 以上がざっくりとした経緯である。11月24日の常任委員会まで出席していた公明党区議は、その後“雲隠れ”。委員会にも本会議へも出席せず。現在(12月7日)に至るまで、彼ら自身の口から今回の事態に関する説明、釈明、謝罪等は一切ない。
 それでは公明党区議が何を不適正、つまりヤバイと思って返してきたのだろう。領収書のコピーを精査すると、この集団のあまりのデタラメぶりに声も出なくなる。最初に断っておかねばならないが、政務調査費は一律に支給されていて、実費分を後から清算する方式ではないのだ。公明党の場合、1224万円の支給に対して、支出は1374万余。つまり「全額使い切ってアシが出た」という報告書を提出している。どうやら役所の予算同様、何としても使い切りたいという意図がミエミエだ。追々述べるが、なまじ領収書添付が義務付けられたため「何でもかんでも取れる(領収書を)ものを掻き集めて」しまった印象である。整合性を問われて、ボロが出たといえる。

 研修費でほうとううどん

 さっそく中身を見ていこう。政務調査費はいくつかの項目に分けられて細目が立っている。
・調査研究費
・研修費
・会議費
・資料作成費
・広報費
・事務費
 ――これらに領収書のコピーが添付されているが、宛名は議員個人名だったり区議団名の他、単に「上様」、あるいはレシートもある。
 一躍話題になったのは「調査研究費」内にある「調査研究中の故障修理」だ。
 これで5万円以上の経費を落としているのが島崎孝好議員や中島洋士議員である。自身の車の整備費用を「故障修理」にしてしまった。オツムの方が故障しているとしか思えない。病院の駐車場代(200円、東京共済病院)やCD制作費(2000円、目黒区立第二中学校)というセコイのもある。
 とまれこの調査研究費、3回に分けて訂正して取り下げた額は21万円余。総額122万円の約17%が不適正だった。
 一方、総額146万余のうち117万円、実に8割が不適正だと取り下げてきたのは研修費の項目。
 05年8月6日付「貸切バス代金」73500円也を添付してきたのは前出の島崎議員。支出内訳は「旅費」だと。この日、島崎議員は「甲州ほうとう小作 石和駅前通り店」で31100円を使い(お食事代とある)、「会議に伴う食事代」として計上(項目は『会議費』)している。研修費をよくよく調べると、こんなシロモノがあるではないか。
 「高速代」(支払先は首都高や道路公団)高井戸・八王子(調布料金所・車種特大)1650円〜一宮御坂(中央高速・特大)5150円〜八王子本線(特大)6350円〜永福本線(大型)1400円。
 つまりこういうことだ。バスを貸切り、山梨に出かけ、石和でほうとうを食してお帰りになった。これのどこが政務調査なのだろうか。ありていに考えれば、支援者や業界関係者と想像しうる一団が日帰り旅行をし、それを会議費や研修費で落としているというふうにしか見えない。
 さらに上をゆくのが川崎恵利子区議である。テレビで何度か取り上げられたが、見逃した方のためにお復習いしてみる。昨年11月23日の勤労感謝の日。この日付で川崎議員は3枚の領収書を出している。支払先別に見よう。
・甲府市の「かいてらす」内、「ワインクラブ」で「お食事代」の74970円。
 「??山梨県公園公社」で「チケット代」の16500円。
 「山梨県立美術館」で「観覧料」の12800円。
 一方、同日付けの高速領収書もある。島崎議員のケース同様、中央高速や首都高の領収書、〆て13840円分が研修費内の「旅費」に計上されている。そのいずれもが車種を特大や大型としているから、やはりバスを貸し切った日帰り旅行に相違あるまい。ちなみにそのバス代だが、この年の12月28日付で不思議な領収書が存在する。宛名は「公明党目黒区議団様」で、504000円。切っているのは東京シティ観光。バス会社である。この領収書には細目があり「大型バス借上代(11月3台分、12月3台分)」と記載されている。単純に台数分で割ると、1台あたり84000円。
 同じく23日付で、別の高速道路の領収書とバスの駐車場代が添付されている。これらはすべて研修費内の「旅費」で処理されているが、つなぎ合わせるとこういうことが分かる。川崎区議以外の公明党区議の誰かが、神奈川県方面に日帰り旅行に出かけた。領収書の車種から判断すると、これもまたバスが使われた可能性が高い。
 翌12月3日。研修費内の支出内訳「研修に伴う食事代」領収書を出してきたのは公明党区議団団長の俵一郎氏。食事代計、142800円ナリと豪勢である。発行元の「マホロバマインズ」をオンブズマンが調べると、そこはなんと「オーシャンリゾートホテル」だった。温泉入浴付きのランチプランをこのホテルは用意しているが、いったいどんな研修をなさったのだろう。
 この収支報告書と領収書で目につくのは、なにもこうした日帰り旅行ばかりではない。「調査研究費」の支払い内訳「ガソリン代」と記された領収書(06年1月3日付)には、「洗車 1680円」と明細が載っている。しかも小さい字で「手」とある。何のことはない、値段から言ってもこれは「手洗い洗車」の料金だろう。洗車が「調査研究」とは、恐れ入る。

 ディズニーシーで会議?

 続いて「会議費」に触れる。総額は145万円余と研修費に並ぶボリュームを公明党はお使いだった。で、返還額は70万円弱。つまりデタラメの費用で半分近くの会議が行われていたことになる。しかし何より驚くのは、この人達の食いッ振り。
 弁当代を正々堂々と政務調査費で落とす無神経さにはおどかされる。宛名は区議団で、65000円(05年4月5日付)、40080円(同6月4日付)、93000円(同9月7日付)、90000円(同12月30日付)の領収書が添付されていた。先の川崎議員は、お食事大好き、お菓子大好き人間にみえる。同議員宛ての領収書をランダムに挙げる。
・カルディコーヒーファームで4415円(05年4月6日)
・同じ店で1060円(05年4月27日)
 まさか自宅用のコーヒー豆購入に、使ったのではあるまいな。まだある。東急百貨店東横店も行きつけらしい。
・同店内「花園饅頭」で2100円(05年4月24日)と生鮮売り場で4843円(同26日)。
 7月30日には、「アメリカンクラブハウス」で26300円のお食事。さらには「ヤクルト御品代 5214円」(同9月8日)というものまである。支出内訳は「茶菓代」で、項目「会議出席者用お茶ジュース代」となっているのには笑うしかない。
 川崎議員はこの年の年末、続けて3枚の領収書を出しているが、読者はどうご覧になるか。いずれも「茶菓代」や「食事代」で会議に伴うと記してある。12月27日には、藤沢市片瀬海岸の御菓子司なる店で、2680円ナリの「もなか」他をお買い上げ。同じ日、恐らく近所であろう片瀬3丁目は湘南モノレール駅1階の店で12600円のお食事。干物か何かは知れないが、同日、片瀬海岸の「海産物専門店」で5775円のお買い上げ。翌日は中華街有名店の聘珍楼で44780円のお食事をなさっている。いやはやどんな会議が開かれたのか……。常識的に考えれば、これらはフライペートの食事や菓子購入だろう。
 傑作なのは前出の島崎議員。よせばいいのに、ドン・キホーテ平和島店の品目入り領収書を出している。この組織の“現世利益”ぶりが十分理解できると考えるので、これを誌上再現する。品目のカタカナ書きは、読みにくいとも思うがご寛恕いただきたい。
・アダチショクヒンミックス     ¥933
・チッコパイFS 5コ       ¥1290
・カキノタネ&ピーナッツ6P 8コ ¥1104
・オトクヨウモナカ 2コ      ¥396
・ウメシバ 3コ          ¥894
・コエンザイムQ.10キャン     ¥168
・ハチミツユズチャノドアメ     ¥178
・カスガイスミヤキコーヒー1    ¥138
・17Pカットヨッチャン 3コ    ¥1194
・ヨッチャンチーカマ        ¥950
・ハルサメヌードルタンメン     ¥131
・ハルサメヌードルピリカラ     ¥131
・ハルサメワンタンショウユ     ¥131
・カスガイオオブクロワサヒ 2コ  ¥976
・カワグチヒトミハブルーヘ     ¥158
 ――以上、〆て9210円のお買い上げ。トホホ……である。
 宛名なしのレシートには、こんなものもある。
 「栗きんとき12P ¥1200 保冷Bag(小)¥80」
 で、これを買ったのは羽田空港第一ターミナルビル内の「東京ばな奈ワールド」。期日は05年12月4日(日)の19時59分。支出内訳は会議費の「茶菓代」で、「会議に伴う茶菓購入」とある。場所柄どう考えても、東京土産を羽田で買って飛行機に乗ったか、あるいは帰りに買ったかだろう。ちなみにこのレシート分は、公明党は取り下げていないのだが……。
 同じくレシートにはこんなものがある。発行元は「東京ディズニーシー マーチャント・オブ・ヴェニス コンフェクション」。お買い上げ内容は、
・センベイアラレ ¥1050
・UTS ライスクラッカー2個 ¥2100
 注目すべきはその日付。05年12月30日とある。目黒の公明党区議はディズニーシーで会議を開くのか? そうではあるまい。お土産品をちゃっかり経費で落としているようにしか常識的には見れない。

 公選法違反で地検に告発

 公明党目黒区議団が最大の支出を行っているのは広報費である。その額約514万円。政務調査費の約4割を、これに充てている。そして返還額の総計は22件、4767000円ときたのには驚いた。要するに広報費の9割以上が「不適正の支出」だと認めた訳だ。
 簡単に述べると、公明区議6名全員の出している「広報紙」の発行費用をすべて取り下げてきた。たいした不正支出もあったものだ。
 取り下げてきた比率から言えば、事務費も相当のものになる。収支報告書には355万円、政務調査費全体の約3割。このうち約200万円分を削除している。この中にはカーナビ代約15万円も含まれる。つまり事務費の半分強は、不正な支出だというわけ。
 詳細を記す余裕はないが、彼ら6名の公明党区議は複数の携帯電話を所有し、その通信費を“公私”の区別なく政務調査費で落としていたのである。
 では、なぜ彼らは辞職を急いだのだろうか。公明党に限らず、他の会派でも酷い政務調査費の使い方はいくらでもある。ある区政関係者によると、来年に控える地方選対策ではないかというのだ。これに立候補する(被選挙権)には、最低でも3カ月の居住実態が必要とされる。時間的に逆算すると、候補をよその地域から持ってくるにはギリギリの状況だった。オンブズマンはすでに東京地検へ告発状を出している。悠長に構えている余裕はなかったのである。
 詳細を記したように、公明党議員の日帰り旅行は有権者への寄付行為を禁じた公職選挙法に抵触する可能性が大きい。監査とは別に、地検のやる気がどれほどか見物ではある。

山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。

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2006年12月01日

特集/創価学会会長交代・その意味と背景

26年の最長不倒を記録し、組織の片すみに追いやられた能吏
元・創価学会顧問弁護士 山崎正友

 池田大作の「罵倒」で続投意欲なくした秋谷氏

 26年にわたって創価学会会長の座にあり続けた秋谷栄之助氏が、ついに席を降りる日を迎えた。
 昭和54年4月、池田大作が宗門問題により引責辞任したあとを受けて4代会長に就任した北條浩氏が、2年余りで急死したあとを受けて5代会長に就任した時は、これほど長期にわたって会長を続けるとは誰も予想しなかったが、大方の予想をくつがえして26年間という、池田大作の会長在任期間を超える“最長不倒記録”を打ち立てたこと自体に秋谷氏の真骨頂が見られ、そして同時にこの間の創価学会が置かれ続けた状況の異常さを物語っている。
 秋谷氏が会長に就任した昭和56年という年は、昭和45年の「言論問題」の痛手からようやく立ち直ったと思った矢先に、池田大作が呼び起こした「民社党質問主意書問題」「宗門問題」という台風に見舞われ、池田大作会長の総講頭引責辞任、原島嵩氏と私の造反、「正信会」騒動と続いた危急存亡ともいえる状況から、日蓮正宗新執行部に抱え起こされやっと立ち直りかけた時期であった。
 宗門問題の戦犯扱いされ、表に出られず裏から院政をしいて創価学会支配を行うしかなかった“地下暮らし”が続いていた池田大作にあやつられる、カイライ執行部の責任者として、ひたすら池田大作の言うがままに演じることから始まった秋谷氏の会長生活は、その後26年間、本質的に変わることがなかった。
 池田大作の健康不安が生じた頃、秋谷氏が創価学会の実権を握り、池田大作はタナ上げされたのでは、と見られた時期もあったが、池田大作が回復すると再び「やとわれママ」「操り人形」生活に逆戻りした。
 池田大作が復権し、表舞台に戻った昭和60年以降は、絶えず“秋谷更迭説”が流れた。
 しかし、平成3年、日蓮正宗からの破門騒ぎで、ベテランの事件処理能力が必要とされ、秋谷氏の会長寿命はまた延びた。
 ひたすら脇役に甘んじながら、創価学会の選挙マシーン化した組織を握り、そして、受け身に回ると滅法強い秋谷氏のナンバー2の座は、細川政権、新進党、自・公連立と続く“政局の時代”を経てますます磐石となり、池田大作が死ぬまでナンバー2を続け、そしてその死後は、池田大作の息子や若手をおさえて、スターリン死後のブレジネフ政権的な体制を作り、ナンバー1の座に就くのではないか、との予測も流れた。
 この間、池田大作が本願寺における大谷家のような“開祖化”、あるいは徳川幕府のような「池田幕府樹立」による池田家世襲化、永久支配を目指し、子供の時から帝王学を授けてきた次男・城久氏が若くして急死し、森田一哉、青木亨、山崎尚見といった世代が使いつぶされてしまい、そして池田大作側近ナンバー1として秋谷氏と並ぶ実権を握ってきた野崎勲氏も、平成16年に急死するという、「一将功成りて万骨枯る」現象が顕著な創価学会中枢勢において、しぶとく生き延びてきた秋谷氏のナンバー2の座は終身制化するかと思われたが、しかし、池田大作の長男博正氏が聖教新聞等で池田大作に次ぐ扱いをされ、池田大作の名代としてデビューしてから、にわかに秋谷氏の影が薄くなり、今年初めから、元気さを回復した池田大作が、大勢の幹部の前で秋谷氏を立たせて無能呼ばわりして罵倒することが続いたことから、7月の任期終了の際、更迭されるのではないかと見られていた。
 しかし、博正会長実現までのつなぎと見られる6代会長候補として挙げられた正木氏は、いかにも頼りなく、婦人部の受けが悪いことや、自民党総裁交替、公明党党首交替と重なり、9月から来年7月の参院選まで続く選挙への対応策を考えると、秋谷氏を更迭するわけにもいかず、留任させ、更に5年の任期を支えたかのように見えた。
 しかし、池田大作の春先からの「罵倒」によって権威と求心力を無くした秋谷氏に、続投の意欲もなく、安倍政権の状況、補欠選挙を通じて自公の関係が不動のものとなったことを見極めて、来年の参院選から逆算してギリギリの時期を見計らって、秋谷更迭に踏み切った。
 そして、そのあとに、野崎、原島、山崎(私)ら「御義口伝世代」1期生の唯一の生き残りとなった原田稔氏をとりあえずすえた。
 原田氏は、東大卒業後、ただちに学会本部に入って聖教新聞記者を経て、若くして池田大作の秘書団であった「第一庶務部長、室長」を長く務め、会務全体に通じ、青年部長、北海道担当副会長、東京総合長を歴任するなど、キャリアも豊富である。
 性格も真面目で闘志もあり、仕事ぶりは正確で手堅い。
 ただし、能吏タイプで、秋谷氏や神崎武法氏と同様、事務処理能力は優れているが同様にカリスマ性はない。65歳という年齢から見ても、1期限りの、博正氏までのつなぎとして、秋谷氏と同様の「脇役」に徹すると思われる。

 更迭された“面従腹背”の能吏

 秋谷氏が創価学会に入ったのは戸田城聖時代の草創期であり、戸田氏に目をかけられ石田次男氏のあとを受けて、聖教新聞編集長に抜擢された。以来、ほとんど編集畑を歩き、組織では若くして青年部長、総務、副会長とエリート街道を歩き続けた。
 戸田会長時代、同氏に心酔し、渡部一郎氏と共に“城”の字をもらって、「秋谷城永」「渡部城克」と名乗っていたが、池田大作が会長就任後、「僣越だ」「おこがましい」と言われて、元の名に戻った。
 昭和40年代の前半、池田大作の怒りに触れ、徹底的に総括され干されたことがある。頑固さと自負心が強く、しばしば池田大作の指示を無視したためだとか、部下の福島源次郎氏、池田克哉氏らに讒訴されたとか、あるいは池田大作が可愛がっていた第一庶務の女性にちょっかいを出したせいであるとか、うがった見方まで飛び出したが、「言論問題」の前頃から復権し、池田大作の命令で藤原行正氏と共に、『創価学会を斬る』の出版をやめろと著者の藤原弘達氏を脅しに行ったこともあった。
 筆者が秋谷氏と直接接触したのは、昭和38・39年の学生部常任幹事任命などの面接が最初であった。
 司法修習生の時代、昭和39年初めから東京に赴任した時、秋谷氏が本部長であった「東京第4本部」(かつて池田大作が支部長代理を務めて組織を拡大した文京本部の後身)に所属変えとなった。
 以来、学生部幹部時代は青年部長として、昭和45年から学会本部に入ってからは副会長として、私の上司であり、仕事を通して関係が深かった。
 昭和47年には、秋谷氏、原島氏と3人で「妙信講」(現顕正会)講頭浅井昭衛氏と7回にわたって法論対決をしたことも、記憶に残っている。
 秋谷氏は、私に随分目をかけ、抜擢したりなにかと起用したが、私の見るところ、必ずしも池田大作の指示に対して全面的に従うというのではなく、批判的なところもあり、「自分流」にこだわるところがあった。
 後に造反した藤原行正氏、矢野絢也氏とも親しく、学会につなぎ止める役割を果たしていた。矢野氏を介して内藤国夫氏とも密かにパイプを通じていたという説もあり、私自身、内藤氏から自慢話として聞かされたことがある。
 原島氏などは、秋谷氏のそうした態度を“面従腹背”ととり、「明智光秀」になるのではないか、と言っていたが、これは秋谷氏が原島氏をあまり信用していなかったことも関係していたと思われる。
 私が見た秋谷氏は、創価学会における能吏ナンバー1であり、組織力も、時には池田大作を超えるのではないかと思われることもあった。
 事件処理の判断も適切で、「創共協定」の後始末で二枚腰を発揮して、協定の空文化をはかった。
 私が信濃町の「光亭」という料亭で池田大作と二人きりで食事したあと懇談していた時、私が秋谷氏を褒めすぎたところ、池田大作は横になったまま聞いていたがむっくりと起き上がり、私に顔を向けて、
 「いいか、あんな男、おれの指先一本でどうにでもなる。こんなもんだ」
 と、小指を曲げてみせた。それ以来、池田大作の前で秋谷氏のことを言うのはやめた。
 会内では秋谷氏は、北條浩氏が池田大作に対する忠義一辺倒で、市川雄一氏(元公明党書記長)らから「乃木将軍」と呼ばれていたのに対し、「要領がよくて、傷つかないように立ち回る人物」と見られたところがあった。
 池田大作から、よく「お前は要領がよくて、責任を全部北條に押しつける。ずるい奴だ」と言われていた。
 私は、秋谷氏は学会首脳の中で1、2を争う切れ者であり能力の持ち主だと評価しており、平凡な早稲田の夜学生(同窓で、同氏と付き合いのあった弁護士から聞いた話である)であった秋谷氏に目をつけ、抜擢した戸田城聖氏の眼力に敬服した記憶がある。
 私が造反したあと、秋谷氏が創価学会の改革に力を発揮するのではと少しばかり期待したこともあったが、しかし、秋谷氏は池田大作への忠誠を守り、私を「恐喝犯」におとし入れ、葬ることに最も力を入れたりで、最大の強敵となった。今では、陰険さばかりが印象に残っている。
 しかし、一生を創価学会に尽くした結果、このまま組織で片すみに追いやられた秋谷氏に、いささかの同情を覚える。

山崎正友(やまざき・まさとも)1936年生まれ。京都大学法学部卒。64年東京弁護士会弁護士登録。創価学会顧問弁護士を務めるとともに、創価学会総務、創価学園・創価大学理事、日蓮正宗法華講大講頭などを歴任。著書に『盗聴教団』『闇の帝王、池田大作をあばく』など。

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2006年11月15日

特集/教育問題と創価学会・池田大作

憲法改正への露払いに進んで手を貸す公明党の行状
ジャーナリスト 山田直樹

 わずか4年で前言を翻す公明党・創価学会

 盗聴法成立の時もそうだった。イラクへの自衛隊派遣の際も同じだった。公明党は、土壇場で必ず“寝返る”。今回の「教育基本法」改正議論でもまったく同じだ。
 『国家主義的方向への逆行を危惧』と題する記事が創価新報に掲載されたのは4年前の正月のこと。この創価学会青年部機関紙で、どのような主張がなされているか引用してみる。
 〈花子 森前首相は、『教育勅語』を再評価するかのごとき基本法改正に意欲的だったけど、今回もそうした流れなのかしら?
 太郎 だろうね。教育勅語の思想は戦後、GHQによって外された。それを復活させたいという動きがある。自民党の一部には『もっと愛国心を育むべきだ』という意見が根強い。(略)『教育の憲法』とされる教育基本法改正の動きは、憲法改正を視野に入れたものであることは間違いない。
 花子 池田名誉会長は真っ先に反対意見を表明したわね。
 太郎 西日本新聞に名誉会長のインタビュー記事が載っている。
 『基本法見直しを憲法改正につなげる政治的思惑には絶対反対だ。教育を国家主義的方向に逆行させてはいけない』と明快だよ。戦前の暗黒時代への逆行は絶対に避けなければならない〉
 わずか4年にして、この主張は引っ込められたのか。現実に起きているのは、創価新報の「絶対に避けなければならない」そのものである。実は小泉前首相在任当時、自公は教育基本法改正でほぼ合意がなされていた。実際、「愛国心」を「国と郷土を愛する心」とするか否かぐらいしか不一致点はなかった。評論家の立花隆氏は、こう指摘している。
 〈憲法改正を真っ正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそれを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方ないのだろう。憲法改正を実現するために、『将を射んとすればまず馬を射よ』の教えどおり、まず憲法の馬(教育基本法)を射ようとしているのだろう〉(11月6日付・朝日夕刊)
 ところがその“馬”を射る前に、文部行政のとんだ馬脚が現した。単位履修漏れ、いじめを原因とする相次ぐ自殺事件。さらには青森県八戸市でのタウンミーティングでの“ヤラセ質問”等々……。であるにもかかわらず、これらを解決するには、「基本法の改正が必要」と本末転倒の主張を行っているのが創価学会の支持する公明党自身である。「ゆとり教育」は、結局、塾や予備校業界を潤しただけで、学力の低下と格差拡大を招いた。こうした失政を省みることなく、「教育基本法のボリュームで80時間以上審議した例はほとんど見当たらない」(伊吹文明文科大臣=10月20日の衆院文部科学委員会での発言)と与党側は、改正強行の構えを崩さない。ただし本稿校了時にはまだその帰趨を見極めることは出来ないが、安倍内閣の“看板法案”ゆえ衆院通過の流れを止めることは不可能だろう。
 池田名誉会長は再三、こう述べている。
 〈昨今、教育改革が政治日程に上るなか、小泉政権下でも『教育基本法』の見直しが論議されている。
 私自身は、拙速は慎むべきであると考える。基本法の眼目である『人格の完成』など、そこに掲げられた普遍的な理念は、教育の本義に則ったものであり、新しい世紀にも、十分、通用するからだ〉(01年5月23日付朝日)
 〈断っておきますが、私は『教育基本法』見直しについては、拙速を慎むべきだと思っております〉(聖教新聞紙上の教育提言)
 ここで言う「拙速」とは、つまり審議時間の長短に関してだろうが、逆に捉えれば「十分審議した」条件が付けば、賛成するという意図が透けて見える。小泉政権下で50時間も議論したのだから、もう十分とでも言うのだろうか。教育提言が大好きな池田氏は、今こそ「拙速はやめよ」と発言すべきであろう。でなければ、前言を撤回なさるのがスジ。

 国家主義者・安倍首相の従順なる共犯者

 公明党ホームページによれば、
 〈与党内で検討を重ねてきた結果、焦点となっていた『愛国心』をめぐる表記について、国の3要素である、国土・国民・統治機構の中で、法案でいう『国』の概念には、『統治機構は含まない』ということが共通認識として醸成されました。
 こうしたことから、法案では、『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』という表現になりました。
 国家主義的な意味合いが強くなる『ネーションステート』ではなく『カントリー』に近い『国』の表現とすることで、国家主義の懸念は払しょくできたと考えています〉
 と、自画自賛するが、「伝統――」以下の二重括弧内文言は、かねてより池田氏自身が提言していたそれとほとんど同一である。これを“潜り込ませ”、「愛国心」を削ったから賛成するというのは、毎度お馴染みの公明党の鵺的立ち回りである。一方、教育基本法は改正の必要なし――というのが先の立花氏の立場である。そして、
 〈そもそもなぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている『教育基本法改正』が『やっぱり必要だ』という空気を作りたいとしかいいようがない。
 しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決する問題でもない〉
 と、一刀両断。続いて、こう結語する。
 〈教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家の奉仕者に変えようとしている〉
 もちろん、公明党はその従順なる共犯者と言わねばなるまい。前出の創価新報を再度、見てみよう。
 〈花子 識者の中には『基本法を見直すことより、基本法の精神を生かす方が先決』という意見もあるわ。(池田先生も確かにそう仰られてましたっけ=筆者注)(中略)学級崩壊や登校拒否などさまざまな問題があることは認めるけど、その原因が基本法にあるわけではないわ〉
 あれよ立花氏とまったく同じ事を言っているではないか。こんなくだりはどうだろう。
 〈行政の介入が強まる教育は決して望ましいものではない〉と。
 それは要するに、「教育が国家の手段と化していた」(立花氏)ことへの反省から制定された現行法に「改正」の必要なしと、この時点での創価学会青年部は主張してたのである。
 ちょうど1年前、一旦は廃案になりかけた「障害者自立支援法」が成立した。これは郵政解散の煽りを受けて衆院で審議未了となり、自民党圧勝後、いきなり参議院に諮られ通過。衆議院に戻ってきて成立したといういわくつきの法案だった。筆者はこれを「障害者自立阻害法」と呼んでいるが、事実、「応益負担」という仕組みが導入され、1割自己負担に耐えかねてサービスの利用を諦めたり、施設や作業所から自宅へ引きこもらざるを得ない障害者が急増している。公明党は新教育基本法において「障害者への配慮を教育の機会均等の条文に明記した」(主旨)と胸を張るが、現実に置かれている障害児(者)の有り様を見れば、それがいかに詭弁を弄したものかはっきりする。
 現行の教育基本法は前文と全11条からなる、極めてシンプルな法律だ。これにコテコテと「教育の目標」なる条文などを貼り付けたのが改正案の骨子。「情操と道徳心」、「愛国心」等々、ざっと20余の「徳目」が目標に掲げられている。これらを付け加える必要は、どこにもない。格差社会を拵えておいてから「国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」(第3条 生涯学習)とは、いったいどういう了見なのか。
 第2条4には、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」とある。我々が直面しているのは、ちっとも「美しくない日本」である。条文の言うのは、絵空事であり、こんな法案を通すより解決すべき問題はいくつもある。よって立花氏が指摘する通り、本当の狙いは憲法改正への露払いだろう。それに進んで手を貸した公明党の行状を決して忘れる訳にはいかない。

山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。

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2006年11月01日

特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で

四月会で創価を「危険」と評していた安倍氏の豹変
ジャーナリスト 乙骨正生

メディアの報道は全て誤報なのか?
 自民党総裁に選出され総理大臣の指名を目前にした安倍晋三官房長官が、9月22日、都内の創価学会施設で池田大作創価学会名誉会長と面談したと報じられた。続いて9月28日には退任したばかりの小泉純一郎前首相が、聖教新聞社に池田大作氏を訪ね、退任の挨拶を行った。
 このうち安倍・池田会談は、参議院予算委員会での民主党の質問に対して安倍首相が、「そうした事実はない」と否定。創価学会も否定しているが、そうであるならば、安倍・池田会談を報じた日経・毎日・朝日・読売の各紙や、会談の事実を詳報した週刊文春の記事はすべて誤報だったことになるが、安倍首相や創価学会が抗議や訂正を申し込んだとの話は、寡聞にしてか聞いていない。
 むしろ平成11年9月に、創価学会の秋谷会長が読売新聞社の渡辺恒雄社長や丹羽雄哉元厚生相(現自民党総務会長)と千代田区内の高級料亭で面談していたと、高級料亭から出てくる写真付きで写真週刊誌のフライデーで報道されたにもかかわらず、創価学会は「そうした事実はない、料亭にも行っていない」と強弁した事実に鑑みるならば、総理就任直前の自民党総裁と池田氏が面談していた事実が明らかになれば、池田氏ならびに創価学会に対する政教一致の批判が強まるとの判断から、双方が否定することで口裏を合わせた可能性がある。
 これに対して小泉前首相と池田氏との会談は、任期を終えて退任した前首相ということもあってか、創価学会ばかりか公明党の太田代表もすぐにその事実を認めた。小泉・池田会談を10月12日付「朝日新聞」は、次のように報じている。
 「公明党の太田代表は11日の記者会見で、小泉前首相が退任直後、創価学会の池田大作名誉会長と会談したことを明らかにした。『ごく短時間、30分ほど会ったと聞いている』と述べた。一方、安倍首相が就任前に池田氏と会ったとされる点については『全く承知していない』と語った。
 創価学会広報室によると、小泉首相から池田氏に退任のあいさつを申し入れ、9月28日に東京都内の聖教新聞本社で会談した。小泉前首相は『外遊中に池田名誉会長の存在感を改めて認識した』と語り、池田氏は識者との交流や、大学での講演について述べたという。創価学会の秋谷栄之助会長や草川昭三・公明党副代表らが同席した」
 周知のように小泉前首相は、平成13年11月に行われた公明党大会の席上、同年夏に南アフリカで行われた環境サミットに出席した際、国連NGOとして展示を行っていた創価学会インタナショナルのブースに足を運び、出展されていた池田氏撮影の写真を見て感激したと、池田氏に対するおべんちゃらを述べた(この時の駐南アフリカ大使が学会員キャリア外交官の筆頭格にある榎泰邦氏だった)。
 小泉首相や小泉首相の側近と言われる人物は、小泉氏の首相就任直後、周囲に「公明党とは手を切って民主党の一部と組みたい」との意向を明らかにしていた。こうした事実や、小泉氏の離婚した夫人がかつて創価学会に在籍していたこともあって、小泉首相は創価学会嫌いと取り沙汰されていた。だが、その小泉首相が豹変して公明党大会で池田氏に対するおべんちゃらを述べたのは、公明党大会の前に5選挙区で行われた衆院補欠選挙で、自民党が創価学会・公明党の全面支援を受けて、4勝1敗(自民党が負けたのは無所属の江田憲司元橋本首相秘書官)と、民主党候補に圧勝したことが大きな要因だった。
 仮にこの衆院補選で自民党候補が、民主党候補に競り負け2勝3敗と負け越していれば、選挙に勝つことだけを目的にあえて「変人」と言われた小泉首相を担いだ自民党議員が急速に小泉離れを起こしたことは確実で、小泉首相の求心力は一気にダウンし、政権が崩壊していた可能性は少なくない。
 それだけに小泉首相は、それまでに公明党大会に出席した小渕・森の両総裁が、政教分離の建前から、一度も口にしたことのなかった「池田大作」の名前を挙げ、池田氏に対するおべんちゃらを述べたのだろう。

 選挙での創価学会票欲しさの池田詣で
 そして以後、5年間にわたる小泉政権下で実施された各種選挙で、創価学会・公明党が文字通り小泉政権の「生命維持装置」としての役割を存分に果たしてくれたからこそ、首相退任直後に、小泉氏は池田氏にお礼参りに出かけたのである。
 今回、安倍氏が池田詣でを行った背景に、10月に行われた神奈川・大阪での衆院補欠選挙での支援と、明年夏に実施される参院選挙での創価学会の支援要請があったことは間違いない。小泉首相同様、安倍首相もまた補欠選挙で取りこぼせば政権の求心力は低下する。まして15議席の帰趨で勝敗の決する参院選で敗北すれば安倍首相は退陣を余儀なくされることになる。
 また小泉政権下でかつてないほど悪化した日中関係を改善する上で、中国との太い関係を誇示する池田氏ならびに創価学会に仁義を切り、そのパイプを利用する必要があったものと見られている。
 本年2月に池田氏と王毅中国大使が会談していること。本年3月に池田氏の長男・池田博正創価学会副理事長が、台湾から直接に中国入りし、北京で唐家セン国務委員と会談したこと。9月28日に行われた中国の建国57周年祝賀パーティに創価学会から秋谷会長と池田博正副理事長が、公明党から神崎代表と太田幹事長代行(現代表)が出席、その翌日の29日に池田氏と王毅大使が今年2度目の会談を行っていることからみて、9月22日の安倍・池田会談で日中関係についてのなんらかの話し合いがなされた可能性は高い。
 「公明党の新代表に就任した太田氏が、安倍首相は靖国神社には参拝しないと自信満々に発言している。安倍首相は、日中関係の阻害要因となる靖国神社参拝は控えるとのなんらかの密約もしくは確約を創価学会もしくは中国との間で行ったのではないか」(政治評論家)
 新・旧の総理大臣が相次いで行った池田大作詣では、この国の政治がいかなる状況にあるかを雄弁に物語っている。
 ちなみに平成6年11月1日に、国会に隣接する憲政記念館で行われた「四月会」主宰のフォーラムに出席した安倍晋三代議士は、自身が創価学会から支援をもらっていたことを明らかにしつつも、創価学会が政界での影響力を拡大することに「これは危険な段階だ」と次のように警鐘を鳴らしていた。その時の発言を紹介しよう。
 「私が立候補した時には、公明党の候補者がおらず、そういう関係で創価学会の皆さまにはご支援をいただいております。ですから、この運動に参加することには、大変躊躇しております。
 その中で、自民党の中に『憲法20条を考える会』が設置され、私もその会に参加いたしました。その段階では私はまだ躊躇しておりましたが、ごく内輪の自民党内での会合が開かれた次の日、私の選挙区の公明党の大幹部から電話が入り、“安倍クン、君は創価学会を誹謗中傷する会に出席したそうじゃないか。君の姿勢を考えてもらいたい。慎重に行動してくれ”と。
 その場で私は、これはあまりに危険な段階だ、と思いました。創価学会を除外しようというのではありません。あくまで政治的野望を捨てていただきたいのです」
 ここで安倍氏が「ごく内輪の自民党内での会合」と称しているのは、「憲法20条を考える会」が主宰して開催した一連の創価学会に関する勉強会のこと。安倍氏はその勉強会のうち、山崎正友元創価学会顧問弁護士を講師に迎えて行われた勉強会に出席したところ、すぐに地元の創価学会関係者から抗議の電話があったということを、一連の勉強会に出席していた筆者に対してかつて語ったことがある。

 安倍氏と池田氏次男は同窓生
 あれから12年、時世時節の変転とともに安倍氏もまた大いに変節したというべきか。それとも本誌先号で指摘したように、岸信介・戸田城聖、安倍晋太郎・池田大作という濃密な関係の系譜上にいる安倍氏は、創価学会シンパに先祖帰りしたと言うべきなのかもしれない。
 もっとも成蹊高校・成蹊大学出身の安倍晋三氏と、昭和59年に死去した池田大作氏の次男・池田城久氏は成蹊高校時代の同期生。その意味では、岸・安倍家と創価学会は、岸・戸田、安倍晋太郎・池田大作に続いて、安倍晋三氏も池田城久氏と接点を持つという“奇しき縁?瓩忘未蕕譴討い襪箸いΔ戮?なのかも。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2006年10月15日

特集/3代の業を背負った安倍新政権と公明党新体制

岸信介=戸田城聖・安倍晋太郎=池田大作の因縁抱える「連立第2期」政権
ジャーナリスト 乙骨正生

竹入・矢野両元委員長の糾弾を宣言

 公明党の全国大会が9月30日に開催され、新たに太田昭宏代表、北側一雄幹事長が就任した。昭和39年の結党以来、委員長・代表という党のトップの交代に際して、一度も選挙を行っていない事実が示すように、今回もまた予定通りに創価学会の男子部長・青年部長を歴任した創価学会プロパーの太田昭宏代議士が代表に就任。そして創価学園・創価大学1期生である北側一雄前国土交通相の幹事長就任となった。
 代表に就任した太田氏は、大会の挨拶の中で、「新しい公明党」を目指すと宣言。そのために、
 (1)創立者である池田大作創価学会会長が示した立党の原点に根ざし、民衆勝利の闘争の展開
 (2)二度と再び腐敗・堕落した不知恩の議員は出さないための不断の党改革の実施
 を断行すると強調。また安倍晋三新総裁となった自民党との連立関係については、
 (3)「言うべきことは言うという連立第2期」
 にすると主張。明年の統一地方選を完全勝利し、天王山である参議院選で必ず勝ち、自・公両党での過半数の維持をめざすと訴えた。
 ちなみに大会の質疑でも、太田代表は「連立政権のあり方」や「新しい公明党」について、こう具体的に言及している。
 「党の基本姿勢としては、『闘う人間主義』『生活現場主義』を掲げ、連立政権では『言うべきことは言う』姿勢で頑張っていきたい。――私は教育基本法の協議を担当した一人だ。今後も、信頼関係の中で、言うべきことは言いながら、公明党の存在感や考え方を明確にしながら、粘り強い議論、対話ができると確信している。その中で公明党の存在感も増していく」(10月2日付「公明新聞」)
 「かつて委員長の立場にありながら、立党精神を踏みにじって、多くの方たちの真心に反する行動をとっていた人物がいた。学歴詐称や金銭の不正疑惑など数々の不祥事が出てきていることを考えると、竹入・矢野の両元委員長をさらに徹底して糾弾、総括していく決意だ。二度と再び、こうした政治家を出さないために、彼らの腐敗、堕落ぶりを今後も指摘し、公明党議員のあるべき姿の反面教師としていきたい」(同)
 一連の発言からは「新しい公明党」なるものの輪郭が明確に浮かび上がってくる。すなわち公明党の創立者である池田大作氏の意向を踏まえて、政権ならびに政界での影響力を拡大するとともに、裏切り者を排除し、ポスト池田大作体制の構築を目指すための地均しを行う番犬政党という形である。
 麻生太郎外相が太田氏のことを「原理主義者の匂いがする」と評したが、創価学会プロパーの太田氏はまさに、創価学会・池田大作氏のための公明党であれとの「原理主義」を強化していくつもりなのだろう。

 “特別な運命”

 そしてこうした「新しい」どころか先祖帰りとも思える「古い」公明党に戻る姿勢を明確にした公明党に対し、全国大会での来賓挨拶において安倍首相は、自らと公明党=創価学会の関係が特別なものであるかのように、次のように発言した。
 「私は去る26日、本会議における首班指名選挙において、公明党の皆さまの支持をいただき、第90代内閣総理大臣に任命された。皆さまの力強い支援、支持に感謝を申し上げたい。(中略)
 私の祖父の岸信介も、父の安倍晋太郎も御党と交友関係の深い間柄でもあった。両党が50年の歴史を経て、今、第2期の連立政権時代を迎えるに当たって私が自由民主党の総裁として、そして連立内閣の首班として、連立を率いていく立場になったことは、何か特別な運命を感じている」(同)
 周知のように創価学会は戸田城聖会長のもと、日蓮正宗の総本山である大石寺に大講堂が落慶したことを契機に、「広宣流布の模擬試験」なる行事を昭和33年3月16日に実施した。これに戸田会長は自民党の南条徳男代議士らを通じて岸首相を招待。岸首相は参加する予定で御殿場の別荘まで足を運んでいたが、側近の池田正之輔代議士の反対により、急きょ、参加を見合わせ、代理として夫人と女婿である安倍晋太郎秘書官夫妻を大石寺に派遣したのだった。
 岸首相の突然のキャンセルに戸田会長は落胆したものの、式典の席上、戸田会長は「日本の政権を保って、社会党と共産党をおさえて行ける人は岸先生しかいないということを、あの人が幹事長の時に心から深く思って、尊敬していたんです。―中略―岸先生がこれからどんな立場になってもわしは悪い人だとは思いません。それが友人のまごころじゃないでしょうか(拍手)。君らも、そういう心で、岸先生とつき合ってください。
 私は宗教団体の王様なんだから(拍手)。岸先生は政治団体の王様なんだ」(昭和33年3月21日付「聖教新聞」)
 と発言。岸首相を高く評価し、岸首相との関係を維持していくように創価学会の青年部員に訓示した。同年4月20日に青山斎場で行われた戸田会長の創価学会葬には岸首相も参列、一般に創価学会と岸首相の深い関係を印象づけた。
 そして池田大作氏もまた、本誌7月15日号特集記事「福田首相・安倍元外相との関係誇示する池田大作」で詳報したように、安倍晋太郎元外相とたびたび会談した事実を「聖教新聞」で明らかにするなど、安倍晋太郎氏との濃密な関係を誇示。「(安倍晋太郎氏は)岸総理が戸田会長と親しかったという心を継いで、創価学会を大事にしようという心が感じられた。きれいな心で、学会のこと、世界のこと、人間と社会の話などを、私と語り合うことを、楽しみにしてくださっていたようである」(平成13年3月11日付「聖教新聞」)などと、安倍晋太郎氏をもちあげている。
 安倍首相は「祖父の岸信介も、父の安倍晋太郎も御党と交友関係の深い間柄であった」と述べているが、それは「御党」すなわち公明党ではなく、創価学会ならびに戸田・池田の両会長との「深い間柄」に他ならない。
 要するに「連立第2期」の安倍晋三氏を首班とする自・公連立政権は、この岸信介=戸田城聖・安倍晋太郎=池田大作という濃密な関係に裏打ちされた、いわば3代にわたる宗・政癒着の“因縁”を背負った政権なのである。

 政策よりも宗教的情緒を優先

 それゆえ創価学会は、9月22日付「聖教新聞」で急きょ、「池田先生と中国方面」なる記事を掲載。そこで以下のように戸田・池田の両会長と岸・安倍晋太郎両氏との間には・深き縁”があることを学会員にアピール。本来、憲法問題や靖国問題などで齟齬を来す関係にある安倍首相率いる自民党と、公明党が連立政権を組むことの矛盾を糊塗するためのレトリックを、学会員の前に提示したのだった。そこには次のようにある。
 「岸信介は1957年2月、第56代内閣総理大臣になった。約1年後の58年3月16日。戸田会長の招待を受けた首相・岸の代理として、娘婿・安倍晋太郎が会長のもとを訪ねてきた。首相秘書官。岸首相夫人の良子、妻の洋子を伴っている。
 広宣流布の記念式典。6千人の青年が集っていた。
 “これだけの若者が戸田会長を慕っているのか”
 安倍は毎日新聞の元記者。現場の空気を巧みに読む。行事が進むにつれ、安倍の目は、ある一点に向けられた。
 戸田会長に、影のようにピタリと寄り添う青年がいた。指示を一言も聞き逃すまいと耳をそばだてながら、一糸乱れぬ全体の統制を指揮している。
 『人を守るとは、こういう姿のことを言うのか。私も、かくありたい。深く学ぶものがあった』
 後年、安倍は親しい友人に、池田室長の姿を感慨深げに語っている」
 戸田=岸・池田=安倍晋太郎の関係に裏打ちされた“正統派”ともいえる安倍首相に公明党が文句を付けるわけにはいかない。それだけに憲法9条を含む改憲を主張し、教育基本法の改正に全力を挙げて取り組むことを明らかにしている安倍新政権に対して、公明党は全国大会での発言とは裏腹に「言うべきことを」言おうとはしない。
 9月25日に合意した「連立政権合意」では、自・公両党の間に大きな隔たりがある「憲法改正・集団的自衛権・靖国神社参拝問題」についての言及がまったくなされていないのである。
 また臨時国会冒頭での安倍首相の所信表明演説に対する代表質問でも、自民党の片山虎之助参院幹事長が、集団的自衛権の行使問題に憲法解釈変更で認めるのは無理があると苦言を呈したにもかかわらず、公明党の太田代表は、集団的自衛権問題には触れずじまい。また靖国神社参拝問題にも言及せず、「言うべきことを」言わない姿勢に終始した。
 もっとも官房長官時代、さらには総裁選挙中は、中国・韓国に対する強行姿勢でならした安倍首相も、池田大作氏が9月29日に中国の王毅駐日大使と会談したことを受けてのことか、急きょ、中国・韓国を訪問し、両国との関係改善に意欲を示している。
 政権を維持するためには双方が妥協する。戸田城聖=岸信介・安倍晋太郎=池田大作の関係に裏打ちされた「連立第2期」の自・公政権。それを維持するために創価学会は間近に迫った衆院補選でも全力を挙げて自民党候補を支援することだろう。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2006年10月01日

特集/創価学会「宗教弾圧の政治家は必亡」の妄言を斬る

インタビュー/村上正邦元自民党参議院会長に聞く
およそ宗教者にあるまじき姿

 創価学会が「聖教新聞」などで、かつて創価学会を批判した政治家を「宗教弾圧の政治家」などと呼び、人権も名誉も無視した激しい誹謗中傷・悪罵を投げつけていることは、本誌既報の通り。敵意を剥き出しにして政治家を罵る「聖教新聞」の座談会記事での秋谷会長ら首脳幹部の姿は、言論出版妨害事件を引き起こした創価学会の独善的で排他的な体質を象徴するものであり、創価学会の非人権体質を如実に示している。
 そうした「聖教新聞」の座談会記事で誹謗中傷された政治家には以下のような諸氏がいる。

 〈自民党〉白川勝彦元代議士(元自治相)、自見庄三郎元代議士(元郵政相)、小林興起元代議士、村上正邦元参議院会長(元労相)、田沢智治元参院議員(元法相)、久世公尭元参院議員、下稲葉耕吉元参院議員
 〈民主党〉西村真悟代議士、永田寿康元代議士
 〈社民党〉辻元清美代議士

 こうした人々の中から、国会への池田喚問を推進したことから、「仏罰」を受けたと誹謗されている村上正邦元自民党参議院会長と、言論出版妨害事件を国会で追及した際に池田喚問を要求したため、「敗残」したと罵られている塚本三郎元民社党委員長に話を聞いた。

 ――創価学会が機関紙「聖教新聞」で、創価学会に批判的だった政治家を「宗教弾圧の政治家」だと激しく誹謗し、「必ず滅びる」などと強調しています。そうした政治家として、村上元自民党参議院会長も激しい非難の対象となっており、「聖教新聞」掲載の首脳幹部らによる座談会記事では、複数回にわたって誹謗中傷が加えられています。
 村上 ああ、そうですか。「聖教新聞」を読んだことはありませんので、そうした非難を浴びているとは、ちっとも知りませんでした。

 ――例えば、今年の6月19日付「聖教新聞」掲載の首脳座談会では、秋谷会長をはじめとする最高首脳らが村上元会長のことを次のように誹謗しています。
 「原田(副理事長)それに、また、かつては『参院のドン』と呼ばれた元参院議員の村上正邦(元労相)。あの男も学会について『証人喚問しろ』だの『参考人招致しろ』だのと大騒ぎした。
 竹内(青年部長)村上は、KSD(中小企業経営者福祉事業団)に絡んだ受託収賄の容疑で逮捕、起訴された。
 秋谷(会長)『喚問、喚問』と騒いだ張本人が、犯罪がらみで証人喚問された。まさに『還著於本人』だ。仏罰だ」
 村上 秋谷会長ともあろう方が、このような言葉を私に浴びせているとは露ほども知りませんでした。むしろ秋谷さんは、「村上さんは志半ばで、さぞ無念なことだろう」と考えておられるだろうと、思っていました。私自身は秋谷会長にお目にかかり、現在の心境をお聞き頂きたいと考えていたほどです。
 私は「罪を憎んで、人を憎まず」「人は生まれながらにして神の子、仏の子である」と、教えられてきました。仏罰を与えるような仏様がいるなら、是非ともその仏様にお会いしたいものですね。
 ま、こうした揶揄的といいますか、侮蔑的な非難に耳を貸す気はありせんし、申し訳ないが、論評に価するようなレベルだとも思いません。ただ日本最大の宗教団体の会長を長く続けている人物が、「仏罰だ、ザマーミロ」というような発言をしていることに、正直、驚いています。

 ――村上元会長は、秋谷会長とも会われていますね。
 村上 自民党の参議院会長時代に、公明党の参議院幹部からすすめられてお会いしました。その際、何百万という会員の頂点に立つ秋谷さんの人となりにも触れさせて頂き、私なりに敬意を表しました。もちろん政策の話をしたわけではありません。他の宗教団体の指導者とお会いするのと同様、人間として、またお互い宗教を求道するものとしてお会いしました。その結果、一定の理解を得、信頼関係を構築させていただけたものと思っていただけに、いま、秋谷さんが、こうした発言をしていることを知り、私は悲しい思いをしております。
 秋谷会長にお目にかかった時に、仮に秋谷会長から「池田大作名誉会長の喚問問題について、なぜ喚問しなければならなかったのか」と聞かれれば、私は、国民の関心が高まっていた政教分離問題などについて、積極的に喚問に応じれば、国民の疑問を解明することができると申し上げたはずです。しかし秋谷会長からはそうしたお話はいっさいありませんでした。
 これがなぜ創価学会を糾弾したことになるのですか。しかもどうしていまになっての非難なのでしょうか。私が現在のような立場になったことから、あえて非難しているのでしょう。しかし、私が喚問を受けたのは「仏罰」でも何でもありません。国会議員として責任を果たす必要があると、自ら積極的に喚問を受けると申し入れ、喚問に応じたのです。

 ――宗教法人法の改正が論議された平成7年に、創価学会問題が国会で取り上げられ、自民党は参議院でも厳しく創価学会問題を質しました。当時、村上元会長は自民党参議院の幹事長として国会質問の指揮をとっていたことから、創価学会は村上元会長を、「宗教弾圧の政治家」と位置づけているようですが。
 村上 私は、元来、政治家は宗教心を持って、目に見えないものに対する畏敬の念を持つことが最も大切なことだと考えています。それゆえ私は、宗教者が政治に注文をつけることは結構なことだと思っています。宗教の立場や宗教者の目から見て、平和や人権、環境、教育、福祉などの分野に対して意見を述べることはとても重要であり、大切だと考えます。
 しかし憲法20条に政教分離原則が掲げられているように、政治による宗教への介入とともに、宗教が政治に直接介入してくることもいけないと思っています。宗教団体と政党が一体の関係であってはならない。宗教法人法の改正論議の際には、創価学会・公明党に政教一体の疑惑があったから問題となったのです。
 私は与党の政治家として、さまざまな公明党がらみの政治的場面にも遭遇してきましたが、創価学会と公明党の関係には不透明感が漂っており、率直に言って政教一体ではないかという疑念を抱いたことも一再ではありません。しかし、そうした点についても、私の方から公明党の幹部の方々に、積極的にこうした議論を仕掛けて、心を開いて議論をしていました。
 それを宗教弾圧とはおこがましい。何を以て、弾圧したというのか。私の親しい友人や知人には創価学会員が大勢います。こうした人たちに創価学会批判をして、学会から脱会するよう言ったことなど一度としてありません。

 ――その創価学会・公明党と自民党は連立を組んでいます。
 村上 自民党も新総裁になりましたが、いま政治は国内的にも国際的にも大きな岐路に立たされています。そうした難しい政治状況のもとでは、きちんとした国家理念や社会の在り方を提示する必要があります。その際に、自・公連立でいいのか、はたして自・公連立が成り立つのかと言う問題があります。
 自民党は自主憲法制定を党是としてきました。また教育基本法の改正問題もある。しかし、創価学会の池田名誉会長は教育基本法の改正に反対しています。そうした基本的立場の相違を埋められるのか、ということです。
 教育基本法に関して言えば、まず「連立ありき」で、両党の顔を立て、愛国心に関して深い議論をすることなしに、意味不明の改正案を作ってしまいました。これでは後世の人たちの嗤いものになりますよ。国の在り方や国の本質が政治の課題になった時に、安易な妥協は自民党も公明党もすべきではないでしょう。

 ――しかしいまや自民党の多くの国会議員が創価学会票をもらって当選しており、創価学会に対しては、何も言えないという状況が生まれている。自・公連立政権発足当初、公明党は、政権にどこまでもついて行く「下駄の雪」と評されましたが、いまや創価学会票を武器にして自民党の「下駄の鼻緒」を引きずり回している。これでいいのかということです。
 村上 たしかに議員心理としては票が欲しい。だから難しいとは思います。しかし自民党も譲れない一線はきちんと主張すべきです。国家の基本理念ついて妥協はありえません。銭金の問題ならば足して二で割ればいいでしょうが、基本理念はそうはいかない。その意味では、打算に走るのではなく、お互い、自らの信じるところを、堂々とぶつけあうべきだと思います。
 裏舞台で一部の人が取り引きするのではなく、党と党であるかぎり表舞台で堂々と議論すべきです。創価学会幹部が公明党の人事について介入しているとの報道もありますが、そうしたことから、政教一体ではないかとの疑惑が生まれてくるのです。

 ――創価学会・公明党は、現実政治においては、イラクへの自衛隊派遣問題に見られるように、妥協に妥協を重ねていますが、村上元会長らへの誹謗中傷が象徴するように、「聖教新聞」では本音を露骨に現しています。
 村上 宗教は絶対の世界、これに対して政治は相対の世界です。よって立つ位置が違います。宗教的なカテゴリーをそのまま政治の世界にナマに持ち込めば軋轢が生まれるだけですよ。宗教政党が生々しい権力闘争に関わってはいけないと思います。政権与党とは国家権力と一体のものです。
 私は公明党の方々に申し上げたい。公明党は参議院だけにすれば、純度が高まり、かえって影響力は強くなるはずです。そもそも参議院は、国民の立場に立って権力をチェックする立場です。国家権力を背景にすると宗教政党は必ず腐敗します。歴史を振り返れば、一目瞭然です。政界浄化を掲げて政界に進出した創価学会・戸田城聖会長は、参議院と地方議会だけと言っていたのですから。初心に立ち戻って人権や福祉や環境問題などに特化されてはどうですか。
 秋谷会長から「弾圧された」「仏罰だ」などの言葉が出ていますが、織田信長と比叡山のことを思い起こして頂きたい。信長は比叡山を焼き討ちにして、数千人の僧侶や婦女子を殺害しました。しかし、現在、比叡山は、信長の焼き討ちは、道を踏み外していた比叡山を立て直す契機になったとして、焼き討ちのあった9月12日に信長の法要を営んでいます。
 ここに、私は宗教者の本来の姿を見ます。
 人はそれぞれ、山あり谷ありの長い旅路を歩んで行きますが、不幸にして志半ばで挫折する人々もいます。そうした人々に対して、「仏罰だ」などと非難、罵倒するようなことは、本来の宗教者にあるまじき姿だと思いますね。(取材・構成/乙骨正生)

村上 正邦(むらかみ まさくに)1932年福岡県生まれ。1956年拓殖大学政経学部卒業後、東洋紡を経て、生長の家本部、玉置和郎参議院議員秘書を経て、80年に参議院議員に初当選。以後4期当選。92年労働大臣、95年自民党参議院幹事長。99年派閥会長の職を退いて自民党参議院議員会長に就任し、「参議院の天皇」との異名をとるまでの影響力を発揮する。2001年KSD事件で受託収賄の容疑で逮捕。東京地裁に続き、05年12月東京高裁でも懲役2年2ヶ月、追徴金約7280万円の実刑判決を受け係争中。

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2006年09月15日

特集/池田宣揚報道の愚昧・狡猾

創価流ベストセラーづくりのカラクリ『池田大作/行動と軌跡』の異常な軌跡

ジャーナリスト 野田峯雄

 たびたびベストセラー入りする池田大作伝記本

 今年の春から夏にかけ、中央公論新社の『池田大作/行動と軌跡』(初版=4月2日付)がたびたびベストセラー入りして出版界でちょっと話題を呼んでいる。
 話題、と言っても「質(内容)」関係ではなく「量」関係。おまけに、顔をしかめての話。この種の新刊書をベストセラー入りさせるにはどんな手口を使ったらいいのだろう。じつは、その手口(仕掛け)を如実に示す“数字”などが出回ってしまったのだった。
 同書は、出版業界についての調査研究を行なっている出版科学研究所の「4月期の売れ行き良好書」によると堂々の第20位である。トーハンの「週間ベストセラー(5月2日調べ)」だと第17位。紀伊國屋書店の「月刊ベストセラー(4月)」でも伝記や宗教の分野で各・第7位。ほかの期も、残念ながら『ハリー・ポッター』や『国家の品格』などと競う最高層まで届かない、ベスト20位以内には記録されないものの、中公新社とは別の出版会社の幹部によると「ときどき、ザッと降る雨のような危ない売れ行きを示している」という。
 ちなみに、危ないとは「当該出版社にとっては“嬉しいけれど不安”な心の状態」とか。
 では、『池田大作/行動と軌跡』には何が盛られているのだろうか。目次を見る。
 第一章/戦下の青春、第二章/師弟不二、第三章/第三代会長、第四章/挑戦と応戦、第五章/思想と行動。
 ははーん、そういう雰囲気なのか。
 いまは図書館とか出版社内のごく少数、本屋さん関係者、さらに稀少な活字好きしか手にしないようだが、昔はけっこうもてはやされた読書関連紙のひとつに『週刊読書人』がある。その8月18日号で大東文化大学名誉教授の安世舟さん(政治学)が同書を評し、全体をこんなふうにスケッチしていた。
 「本書はインタビュー中心の、いわゆる『オーラル・ヒストリー』のアプローチをとった伝記である」
 オーラル・ヒストリーなんて気取らないでよ。とにかく池田大作ヒストリーを語る「実際のoral(口頭、口先)」はだれのものなのか。これを安さんは明示しない。だが、直後になんとなく分かるような記述が続く。
 「その(本書の)前半は、艱難辛苦にもめげずに未来のリーダーとしての修行を重ねた人格形成期が描かれている」(注は筆者)
 若き池田大作、正確に言うとタイサク(太作)さんは、なんと「未来のリーダー」だとすでに決まっていたそうだ。
 が、私の取材では、その辺にごろごろいる、ありきたりの少年および青年。つまり時代の子。ただし20代の戸田城聖さん指揮下の高利貸し稼業がとてもひどいトラウマになったようだけれど…。

 「池田“会長”は偉人だ」とヨイショ

 安さんは本書紹介をさらにこう続ける。
 「後半は、三代会長就任から現在までの創価学会の発展とそれに伴う既存社会との摩擦を契機に世間を賑わせた『事件』等について、さらりと紹介し、いわゆる世間の『誤解』や誤って伝えられていると思われるイメージを払拭させるのに少なからず貢献している記述が多い」
 で、安さんは行を変えると急いで次のように補足する。
 「評者(安さん自身)は学会員ではない」
 著者はフリーライターと称する前原政之さんである。では、こちらは何者? 創価学会員なのかどうか、レポートの客観性を知る判断材料のひとつとして関心を引かれる。
 池田大作さんの近くには、池田大作さん(創価学会)にメディアの矛先が向くや、騒ぐ、ジタバタする、吼える、罵る、謗る、脅す、叩く、あまつさえ裏活動などに奔走することを生業にしているらしい者たちが群れている。このほとんどが創価学会員だ。前原さんも同ワンメンバーとの印象が強い。そんな前原さんに非学会員の安さんはこんな苦情を垂れたりする。
 「池田会長が創価学会を現前する『人格』であるが故に、長期的な歴史的パースペクティブ(展望)から見てそれが放射する歴史的影響についてのコメントがあってもしかるべきではなかったか」
 というのは、池田大作さんが「世界平和を築く人間はこうあるべしという生き方のモデルを会員に示して戦後日本の新しい形の道徳と文化の確立に貢献」しておるからだという。そして、安さんは当伝記の評の締めくくりをピシリッとこうきめるのであった。
 「もし会長が出現していなかったならば、…学会の発展に刻印された戦後の日本社会の有り様も変わっていたであろう。このことから後世の史家は、池田会長を何百年に一人出るか出ないかの偉人と見ることは間違いなかろう」
 冗談もほどほどに。戦後日本社会は“学会の発展”に少しも「刻印」なんかされていない。また、「池田大作」の半生が虚飾の連鎖であることは周知の事実。ようするに安さんは、後世の史家にアホなたわごとを押し付けたりするよりもっと手前に重要な問題が、“伝記”評としては致命的な欠陥があることに気付くべきだ。池田大作さんは創価学会の会長ではなく名誉会長である。言い換えると安さんは大東文化大学に入学し直さなければいけないのだが、もう不勉強・安直な安さんのヨイショ(安さんは同ヨイショを8月30日付聖教新聞に丸投げ)に別れを告げて本題のベストセラーづくりの手口(仕掛け)のほうへ移ろう。

 数字が示す「一括大量買い」のカラクリ

 創価学会員は、組織活動に熱心だったり組織内の上昇志向が強かったりすればするほど、聖教新聞や池田大作本を5部も10部も買い込むか買い込まされる。これは世間の常識ですらある。たとえば池田著とされる『人間革命』は1965年の発売から累計2500万部と創価学会は胸を張る。また、日販の「06年上半期ベストセラー(05年12月〜06年5月)」によると、池田著とされる『新・人間革命(15)』は『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン』に続いて第4位。それらはすべて裾野の学会員の身銭を切る努力、いわば献身的寄附行為の成果。つまり身内の半強制的もしくは強制的な一括大量買いだと推定された(そもそも、たいていの一般市民は池田大作本など見向きもしない)。とはいえ、この実態を示す証拠(痕跡)などはなかった。
 さて、焦点の『池田大作/行動と軌跡』だが、前述の同書関係数字とは紀伊國屋書店における売上にかかわるもの。その毎日の集計結果(紀伊國屋全店の売上部数)を春から夏にかけ丹念に追うと奇怪な動きをしていることが判明する。通常は3月から6月にかけて数十部、7月から8月にかけて10部以下なのに、間歇的に数百部とか1000部近くへ跳ねあがるのだ。たとえば3月19日は520部、5月18日は900部、同月19日は843部である。そこで、とりあえず3月19日を注視し、520部が全国の紀伊國屋店のどの店で売れたのかをチェックする。新宿本店で502部が出て、残18部は梅田本店(大阪市)などだ。とすれば新宿本店の仕入れ状況はどうなっているのか。同店は3月17日に200部を、18日に500部を取り寄せていた。つまり18日の500部を翌19日にほぼそっくりさばいてしまった、まさに一括大量買いが入ったのである。
 この結果、『池田大作/行動と軌跡』は19日の全店集計のベスト2入りを果たすのだが、全店で900部を売り上げた5月18日にもベスト2を記録している。5月18日には熊本県にある熊本店(367部)と熊本光の森店(497部)が大活躍だ(ほかは梅田本店13部など)。先の3月19日と同様、5月18日売上分の仕入れ状況を見る。すると、熊本店はなんと同日(5月18日)に搬入した400部のうち367部をすぐ右から左へ流し、熊本光の森店もやはり同日に搬入した500部のうちの497部をすぐ右から左へ流したのだった。

 割愛された高利貸しの営業部長時代

 これらの行為は違法ではないだろう。しかし、異常だ。その思いは『池田大作/行動と軌跡』を読むといっそうつのる。前原さんはなぜか、池田大作さんの脳のヒダにもっとも強く刻印されたであろう出来事(事態)を、驚いたことに、もっとも薄めて記述したりしているのだ。
 たとえば、池田大作さんの今日に至る言動のすべての祖型を形成・固定化したと考えられる昭和20年代の半ばからの大蔵商事(高利貸業)時代の池田大作さんについて。三文TV映画のテロップ「そして、瞬く間に20年が経過したのであった」のごとき「大蔵商事の一切は池田の双肩にかかっていた」などの、どうでもよろしい愚劣表現でストップ、足踏み。また、ほかならぬ池田大作さんが渾身の力をこめて繰り返し描いてきた、日蓮正宗総本山大石寺(大講堂)のエレベーター内で衰弱しきり死間近になった戸田城聖さんとふたりだけのとき交わしたという触れ込みの会話(戸田いわく「大作、あとはお前だ。頼むぞ」)について。池田大作さんが第3代会長になるもっとも重要な“劇的瞬間”のひとつなのに、前原さんはどうしたことか、あれはとんでもないデッチアゲだと見破ったのか、屁にもならないと怒ったのか、冷淡にそっぽを向いてしまう。
 さらに、前原さんは昭和40年代の池田大作さんたちの言論弾圧事件や政教一致問題について、これまでの池田大作さんたちの開き直り言動などを執拗に復誦するだけ。あァ、なんともあほらしいベストセラーだこと。

野田峯雄(のだ・みねお)フリージャーナリスト。1945年生まれ。同志社大学卒。週刊誌や月刊誌等を舞台に国内外の政治・経済・社会問題等をレポート。最近著『闇にうごめく日本大使館』(大村書店)ほか『池田大作金脈の研究』(第三書館)『破壊工作―大韓機“爆破”事件の真相―』(宝島社文庫)など多数。

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2006年09月01日

特集/小泉靖国参拝と創価学会・公明党

「政教分離」に違反する「小泉靖国参拝」と「公明党=創価学会・池田大作」

ジャーナリスト 古川利明

 小泉靖国参拝に二つの問題点

 終戦からまる61年を迎えたこの8月15日、中国や韓国といったアジア諸国からはもちろん、同じ自民党内からも強い反対の声が上がっていたにもかかわらず、首相の小泉純一郎が靖国神社の参拝を強行した。
 こうした小泉の強行参拝によって引き起こされた世論のヒートアップが、その日の夕方の、右翼による山形県鶴岡市の加藤紘一宅放火事件を引き起こすなど、日本の内外で大きな影響を巻き起こしてしまったのは、既にマスメディアで報じられた通りだが、この小泉の靖国参拝には、大まかに言って、次の二つの問題点がある。
 一つは「歴史認識」の問題である。
 もちろん、先の太平洋戦争をどう評価するかについては異論があるだろうが、少なくとも日本軍の侵略によって筆舌に尽くしがたい被害を被ったアジア諸国の人々にとってみれば、そうした戦争を遂行したとして東京裁判で「A級戦犯」とされた軍人らが、「神」として合祀されている神社に、一国の総理大臣が、それも、戦争が終結した日に参拝するというのは、彼らの「被害者感情」を逆撫でにする以外の何物でもない。「結局、日本人というのは、先の戦争の過ちを何ら反省していないのではないか」と受け止められても仕方がないだろう。こうした悪感情が、アジア外交に及ぼす影響が甚大であるのは、言うまでもない。
 そして、もう一つは「政教分離」の問題である。
 これは、第一点の「歴史認識」とも微妙にリンクしてはいるものの、どうしても議論自体が地味であるので、前者と比べると、どちらかというと等閑視されがちだが、じつを言うと、民主主義の根幹を考える上では、後者の方も非常に重要である。
 この小泉の靖国参拝がなぜ、憲法に定めた「政教分離」に違反するかについては、全国各地で起こされている違憲訴訟のうち、去年の9月の大阪高裁判決が、極めて明快な判断を示している。
 判決では、小泉が公用車を使用し、秘書官を伴って靖国神社を訪れ、「公約の実行」としてなされたうえ、「私的参拝」であるとは明言せず、公的立場を否定しなかったことから、「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断。そのうえで、「参拝による効果」が、「特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、国が靖国神社を特別に支援しているという印象を与える」として、日本国憲法第20条3項にある「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」の部分に違反し、小泉の靖国参拝が「宗教的活動にあたる」と結論づけたのである(ただし、原告側の「信教の自由」の権利などは侵害されてはいないとして、控訴自体は棄却)。
 で、今度の参拝で小泉は公用車を使用し、首相名で記帳し、昇殿もしている。これは「政教分離違反」以外の何物でもない。

 政治権力の側から宗教法人を悪用

 「政教分離」を定めた憲法第20条は、全部で三つの項目から成り立っており、いずれも政治権力と特定の宗教団体との癒着を具体的に禁止している。
 うち、第20条1項の前段では、まず、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と、信教の自由そのものを保障したうえで、続く1項の後段において「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と、特定の宗教団体による政治権力への介入を禁止している。
 小泉の靖国参拝は、前述したように第20条3項にある、政治権力側からの宗教団体への介入を禁止した条文に明確に違反したものだが、憲法はこのように、政治権力がその支配手段として宗教を利用するのを禁じると同時に、この第20条1項後段において、宗教団体(宗教法人)が優遇税制など、そのさまざまな特権を利用(悪用)することで、政治権力に介入してくることを禁止しているのである。つまり、政治権力、宗教団体双方からの介入をいずれも固く禁じたものだが、それが「政教分離」であり、そうしたことがきちんとなされて初めて、個人の「信教の自由」を守っていくことができるのである。
 今度の一連の小泉靖国参拝報道の中で、1978年秋にA級戦犯が合祀された際に、軍人恩給を扱う旧厚生省援護局の影響がかなりあったことが明るみになったが、それが事実とすれば、むしろ、政治権力の側が、一宗教法人である靖国神社の存在を利用(悪用)しようとしている、ということになるだろう。

 公明党に小泉靖国参拝を批判する資格はない

 さて、こうした「政教分離違反」においては、小泉の靖国参拝よりも“一日の長”がある、「公明党=創価学会・池田大作」である。
 小泉が靖国参拝を強行した8月15日、公明党代表の神崎武法は記者団に対し、こう小泉の靖国参拝を強く批判していた。
 「自粛すべきと申し上げてきた。象徴的な日だけに誠に遺憾」
 申し訳ないが、神崎及び公明党に、小泉を批判する資格は一切ない(もちろん、「創価学会=池田大作」も、であるが)。
 まず、神崎にしても、公明党の他の国会議員にしても、小泉の靖国参拝を批判したいのであれば、「創価学会=池田大作」の支持(=指示)を一切受けることなく、自前で後援会を立ち上げ、文字通り、自分の力だけで票を掘り起こして当選してくることである。そうした上で批判しないことには、何の「説得力」もない。
 宗教団体である創価学会と、その組織の実質的な最高指導者である池田大作が、ある特定の教義のもとに宗教活動を行うこと自体は、憲法のもろもろの規定に照らし合わせみて、何ら問題はない。
 問題はそこから先で、ある宗教団体が事実上、一つの政党を丸抱えで持ち、さらにその政党が国会の第一党と連立を組み、「政権与党」として政治に参画していることなのである。
 それはまさに、日本国憲法第20条1項の後段にある「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」のくだりに、ダイレクトに違反しているのである。その意味では、「公明党=創価学会・池田大作」が政権与党に入り込んだ、「99年体制」以降は、日本の政治状況そのものが、「違憲状態」にあるといっても過言ではない。
 公明党とは、「創価学会=池田大作」抜きに存在しえない政党である。その意味では、公明党にとって、「創価学会=池田大作」とは、その“生命維持装置”と呼んでいいだろう。それゆえ、生命維持装置が取り外されれば、その瞬間に機能は停止し、ただちに「死」に至ってしまう。

 「政教一致」によって政治と宗教の堕落が始まる

 なぜ、憲法では「国(=政治権力)」と「宗教団体」との分離を規定しているのだろうか。
 いずれの宗教も、信仰の中に、必ず「死者の霊」を弔うことを含んでいるが、何人であれ、その「死」を弔うというのは、その人が生きてきた「生」をも尊重することである。そこから、生命を慈しみ、人間をリスペクトしていこうという気持ちも生まれてくる。
 しかし、そうした純粋な個々人の思いを利用(悪用)しようとするところから、政治の、そして、宗教の堕落が始まる。
 小泉の靖国参拝に関しては、少なくとも一国の「内閣総理大臣在職中」は控えるべきだったし、仮に参拝するにしても、そういった物議を醸す「8月15日」は避け、公用車を使うこともなく(本来であれば、徒歩か地下鉄、タクシーを利用し、さらにはSPの警護も解いた上で、一人で靖国神社まで足を運ぶべきだが、それが物理的に無理であれば、断念するしかないだろう)、ましてや、「内閣総理大臣」名の記帳など論外である。なぜなら、「私人」に「公職の肩書き」は不用だからである。
 一方、「創価学会=池田大作」に関しては、少なくとも、公明党の「国政選挙」からは撤退しなければならない。憲法の「政教分離規定」に違反しない一線は、せいぜいが「地方議会」までである。
 いずれにしても、来年の参院選を機に「政権交代」ということが、政治の最大テーマとして浮上してくるだろう。その意味でも、我々有権者はこうした「政教分離」の問題について深く考えていかなければならないし、ジャーナリズムの側もさらにもっとその問題提起を行わなければならない。(文中敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

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2006年08月15日

特集/創価学会と国税庁税務調査

創価学会への課税問題
課税放置は税務行政の不作為(怠慢)の違法

立正大学教授(税法学) 浦野広明

 落合博実氏(ジャーナリスト)が『文芸春秋』(06年8月号)に創価学会の税務調査に関する「国税『創価学会調査記録』を入手」(以下「落合論考」という)なる論考を発表した。落合氏は94年初め国税庁幹部から〈10年間の完全封印〉を条件に創価学会に関する税務調査の・文書を渡されたのだという。
 当時、落合氏は朝日新聞編集委員として国税庁への取材活動にあたっていた。本稿は落合論考を素材に創価学会の租税問題について述べるものである。

 公示制度を廃止

 法人諸税(法人税、法人住民税、事業税)は、法人の種類によって、課税所得の範囲や税率が異なる。株式会社は、普通法人に区分され、すべての所得について原則として普通税率(30%)で課税される。一方、宗教法人は、公益法人に区分され、収益事業からなる所得に対してのみ低税率(22%)で課税される。
 落合論考は、税務署の公示によって知った創価学会の収益事業に係る申告所得金額を発表している。02年…約143億2000万円、03年…約181億1000万円、04年…約163億5000万円だそうである。
 公示制度があればこそ知りえたのである。
 申告書公示制度は、所得税、法人税、相続税の申告書が提出された場合、その申告書に書いてある税額、課税対象金額が一定額を超えるものについて、税務署がその納税者の住所・氏名、税額などを一定期間公示するものであった。
 与党(自民・公明)は「平成18年度税制改正大綱」(05年12月15日)で〈公示制度について、本来の制度目的とは異なる用途に使われている等の指摘を踏まえ、廃止する〉と述べた。そして、この申告書の公示制度は06年度税制改正によって廃止された(06年4月1日以後)。
 従来、公示制度によって、所得税の場合、所得税額が1、000万円超の者が対象となり、上位者は「高額納税者番付」などとして報道されてきた。公示の基準は相続税では課税価格2億円超、贈与税では課税価格4、000万円超、法人税では所得の金額2、000万円(事業年度が6ヶ月を超える場合には4、000万円)超、が基準となっていた。
 この制度は1950年に導入されたもので、公示によって第3者のチェックを受ける効果を期待したものである。個人情報保護法施行を機に、国の行政機関が保有する情報の一層適正な取り扱いが求められるとして公示制度は廃止された。
 これにより、先の創価学会の収益事業に係る申告所得金額などはまったく知る手立てはなくなった。公示制度は「国民の知る権利」の保障である。とりわけ、高額な所得がある公益法人の所得公示を廃止する理由などまったくない。与党は公示制度を廃止して高額所得公益法人の所得を隠蔽してしまったのである。

 選挙活動と収益事業課税

 先に述べたように宗教法人は、公益法人に区分され、収益事業からなる所得に対してのみ低税率で課税される。
 法人税法は「収益事業」について、「販売業、製造業その他政令で定める事業で、継続して事業場を設けて営まれるものをいう」(2条13号)と定義している。法定業種目については、法人税法施行令5条が次の33種を制限列挙している。これらに該当しない事業は「収益事業」とはならない。
 1物品販売業 2不動産販売業 3金銭貸付業
 4物品貸付業 5不動産貸付業 6製造業
 7通信業 8運送業 9倉庫業 10請負業
 11印刷業 12出版業 13写真業 14席貸業
 15旅館業 16料理店業その他の飲食店業
 17周旋業 18代理業 19仲立業 20問屋業
 21鉱業 22土石採取業 23浴場業 24理容業
 25美容業 26興行業 27遊技所業 28遊覧所業
 29医療保険業 30技芸教授に関する事業
 31駐車場業 32信用保証業
 33無体財産権の提供等の事業
 落合論考によれば、創価学会の収益事業収入の大半は聖教新聞購読料と広告収入だという。
 創価学会は全国に多数の会館や講堂等の施設を有する。そこでは選挙に関する会合がもたれているという。その様子はフリーライターの岩城陽子氏が本誌で次のように述べている(2005年7月1日号)。
 〈2月から始まっていた「都議選完勝」の会合……都議会選挙が目前に迫った。今年も各地で地方選挙が相次いでいるなか、創価学会・公明党はとくに都議選に力を注いできた。2月4日、創価学会では戸田記念講堂(巣鴨)で総東京の男子部部長会を開いて都議選「完勝」を訴えた〉
 創価学会は「創価学会と公明党は政教分離している」のだと説明している。この建前からすれば、選挙必勝の会議は、創価学会内部の公明党員もしくは公明党後援会員が行なっていることになる。この行為は収益事業のなかの席貸業に該当することになろう。つまり、創価学会が公明党員もしくは公明党後援会員に選挙運動の場所を提供しているということになる。
 法人税法22条2項は、法人の益金の額に算入すべき金額は、資産の販売、有償又は無償による資産の譲渡又は役務の提供、無償による資産の譲受けなどの収益の額とすると規定している。したがって無償で会館を使用させていても、時価相当額を創価学会の収益事業収入に計上しなければならない。

 池田氏専用施設

 落合論考は、東京国税局OBが次のように語ったと述べている。
 〈会館や研修所などの施設に『池田専用施設』が設けられ、完全に名誉会長の個人的使用に供されているものである……池田氏が月に何回か使う程度では『池田氏専用』とは、到底認定できませんでした〉
 数多くの施設に〈専用施設〉があるのだとしたら、月に何回かしか使用できないのが当然であろう。使用回数ではなく実態を見て専用施設の判断をしなければならない。仮に専用施設だとしたら池田氏にはその専用施設の取得、利用に係る経済的利益の時価評価額の雑所得が生ずる。同時に創価学会側は、不動産貸付業として収益事業収入に計上することになる。
 消費税は、個人や法人が、事業として対価を得て行う資産の譲渡および貸付け並びに役務の提供について課税される。創価学会側に席貸業や不動産貸付業の事実があるとしたら、消費税の課税も生ずることになる。
 落合論考は、
 〈共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が〇一年に行なった調査によれば、学会は「東京・新宿区内に、判明分だけでも七十カ所五万三千四百平方メートルの敷地(東京ドームグラウンドの四個分、推定地価四百七十九億円)を所有し、その六割以上を固定資産税・都市計画税を納めない非課税対象にしている」という〉
 と指摘している。
 固定資産税・都市計画税が非課税となるのは、「宗教法人がもっぱら本来の用に供する境内建物や境内地」に限られる。宗教法人の施設が恒常的に選挙活動や個人専用の用に供しているとしたら〈宗教法人がもっぱら本来の用に供する〉施設とはいいがたい。そうした場合には、非課税の適用はない。
 地方税法408条は、
 〈市町村長は、固定資産評価員又は固定資産評価補助員に当該市町村所在の固定資産の状況を毎年少なくとも一回実地に調査させなければならない〉
 と規定している。つまり、市町村長は、固定資産の現況の正しい把握の義務を負っている。
 税務調査の現場では、「弱きをくじき、強きを助ける税務行政」ということが公然と言われており、政治家や政権に大きな影響を与える団体への調査が甘い。落合論考も財務省キャリアだった国税庁OBが、「はっきり言って公明党が与党にいる限り、気を使わざるをえないでしょう」と言ったと述べている。
 税務署長や市町村長は、憲法および税法令に基づいて厳正に税務行政を行うことが義務づけられている。課税しなければならない事実があるのにこれを放置しているのは税務行政の怠慢であり、不作為による違法行政である。およそ公務員は憲法および法令に従わねばならないのである。

浦野広明(うらの・ひろあき)立正大学法学部教授、税理士。1940年生まれ。中央大学経済学部卒。朝日新聞等の新聞・週刊誌などへの執筆をはじめ、税務・会計に関して、全国各地での講演、裁判での鑑定・証言、新聞・雑誌・TVでのコメントなど幅広く活躍。著書に『現代家庭の法律読本』(岩波・共著)『これでいいのか税務行政』(あゆみ出版・共著)『Q&A納税者のための税務相談』『納税者の権利と法』『新・税務調査とのたたかい』(共に新日本出版社)『争点相続税法』(勁草書房・共著)など。

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2006年08月01日

特集/秋谷栄之助会長続投が意味するもの

池田賛歌と踏み絵を強いる池田大作のジレンマ

ジャーナリスト 溝口 敦

 一石何鳥もの効果狙う池田賛歌と踏み絵

 今年7月、創価学会の第5代会長・秋谷栄之助(75)の会長続投が決まった。秋谷は1981年、第4代会長・北条浩の急逝を受けて会長に就任し、以来、5期25年間会長職にあったが、健康が許すかぎり、今後5年間なおも会長職に留まるわけだ。
 創価学会の会長は今や池田家の執事、創価学会の番頭程度の重みしかないが、秋谷の続投が決まるまでは副会長の谷川佳樹か、同じく副会長の正木正明か、どちらかが秋谷の後任になると目されていた。
 だが、来年07年には春に統一地方選、夏に参院選が予定され、創価学会=公明党票の取りこぼしが許される状況ではない。先の衆院補選千葉7区では、自・公で推した元官僚(前埼玉県副知事)候補が落選した。国政における公明党の存在感も小泉純一郎首相の任期切れが近づくにつれ希薄の度を加えている。創価学会・公明党としてはなんとしても選挙での「常勝」イメージを復活、継続しないことには名誉会長・池田大作の外護さえ危うくなる。
 結局、地方組織に太いパイプを持ち、選挙のための体制づくりや実戦の指揮に秀でた秋谷に会長を続投させ、遺漏なきを期すことになったとみられる。
 他方、池田には、誰に創価学会を実質支配する地位と権限を与えるか、後継者問題が浮上している。衆目の一致するところ、池田の長男、池田博正がポスト池田を担うことになるが、次代の順調な船出のためにも組織の低落は避けなければならない。つまり池田は秋谷の会長続投で学会組織と活動力の持続を計る一方、秋谷に池田博正に替わるパワーを与えてはならないというジレンマを抱える。そのためにはどうすべきか。
 池田が秋谷に対して採れる方策は秋谷自身に池田賛歌を歌わせ、彼に引き返し不能の踏み絵を踏ませて、孤立させることである。
 まず今年3月9日、学会の本部幹部会で、秋谷は次のように池田を天上の高みに持ち上げている。
 「戸田先生(城聖二代会長)は『第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる』――こう厳命をされました。創価学会の根本は師弟であります。私は、第三代の池田先生を、生涯、お守りし抜いてまいります。それ以外に私の使命はございません。先生の偉大さは、そばにいた私が、一番よく存じ上げております。
 私などは、先生と比べれば天地雲泥、桁違いです。池田先生の存在は、牧口先生、戸田先生にも増して大きいのです。一番偉大な存在であられるのです。
 先生がおられるお陰で、会長を務めさせていただいています。全部、先生に守っていただいています。このご高恩は、一生涯、永遠に忘れることはできません」(『聖教新聞』06年3月11日付)
 これを秋谷による池田賛歌の例とするなら、秋谷に踏ませる踏み絵としては元公明党委員長・竹入義勝や、元学会幹部など批判者に対する口汚い痛罵が挙げられよう。
 『聖教新聞』は5月12日付の「寸鉄」欄で「公明党よ、金と野心に狂った忘恩の竹入らを攻め砕け」と竹入攻撃をさらに指示、これを受けて公明党は実に20年前、竹入にあったとされる不正につき、訴訟を起こすほどの執拗さをみせている。
 『公明新聞』5月20日付は次のように報じた。
 「公明党(神崎武法代表)は19日、竹入義勝元委員長が、公明党の資金500万円を着服横領していたことが今般の党内調査で判明したとして、竹入元委員長に対し、損害賠償500万円(弁護士費用を含む)の支払いを求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。
 訴状によると、竹入元委員長は、委員長在職中に、党委員長の地位にあることを悪用して、東京・中央区日本橋の三越百貨店から自分の妻のために、宝石の指輪を代金500万円で購入し、1986年7月10日、党本部内で党会計から現金500万円を出金させて指輪代金の支払いに充て、党資金500万円を着服横領した。
 訴状では、竹入元委員長のこの行為は『刑法上の横領罪に該当する行為であって、民法709条の不法行為責任を負うことは明らか』と指摘し、不法行為による損害賠償として550万円を求めている」
 創価学会は竹入への追撃として幹部による座談会などを組み、その中で秋谷に次のような発言をさせている。
 「秋谷 まったく、あいつは悪党だ。またもや『学歴詐称男』の悪事が発覚か」(『聖教新聞』5月29日付)
 学会批判者に対する痛罵は秋谷が『創価新報』で連載している「創価の正義と真実を語る」で常態化している。ちなみに連載の5回目(7月19日付)では「ウソつき夫婦(元学会全国副婦人部長・信平信子夫妻、池田にレイプされたと手記を発表した)」「白川某(白川勝彦・元自民党衆院議員、創価学会批判に熱心だった)」「極悪ペテン師の山崎正友」「日顕直属の謀略集団」「売文屋の内藤国夫」などに言及、斬って捨てている。
 秋谷に竹入義勝や矢野絢也などを批判、痛罵させれば、秋谷は将来、少なくとも竹入や矢野と仲直りし、手を組むことはできなくなる。池田とすれば、秋谷が池田博正という後継者の障害になる芽を事前に摘むことができる。つまりAがBを叩くことはAとBの関係を割き、AとBをそれぞれ孤立させる。Bが亡んだ後、Aの役割もなくなる。
 池田が秋谷に会長を続けさせ、同時に池田に反旗を翻した者たちを叩かせるのは、一石何鳥もの効果を池田にもたらす。中国の古典に言う「狡兎死して走狗煮られ、飛鳥尽きて良弓おさめられ、敵国破れて謀臣亡ぶ」を地で行っているわけだ。

 面従腹背の秋谷、池田死後の宮中クーデターも

 もちろん秋谷は心底池田に心服して、賛歌を歌い上げるわけではないし、反学会の者たちを叩くわけではない。怜悧な秋谷のことである。池田の思惑は十分承知の上で、自らの役割を果たしているにちがいない。
 秋谷は池田により自尊心を徹底的に叩きつぶされている。かつての同僚や仲間を叩くことで、将来彼らと連帯する途も閉ざされている。しかし秋谷は身近に池田を見、かつ創価学会で実務を仕切って経営の表裏を知る者である。簡単には池田に隷従せず、面従腹背がその本質である。
 池田の死後、秋谷が宮中クーデターを起こす可能性は十分にある。なぜなら池田の偉大性はカネも人手も時間も掛けた人工的なものだが、秋谷の会長という地位は秋谷個人の実力によるものだからだ。このことは秋谷も自覚している。逆にいえば、秋谷は池田死後を見据えているから、今の隷従に耐えられるともいえる。
 池田死後、創価学会の組織運営に個人崇拝は必須かといえば、そうではない。今でさえ池田に対する個人崇拝は組織運営上、欠かせない要素というより、多分に池田の劣等感や嗜好に関係する何かである。秋谷がカリスマ性を持たずとも、創価学会の運営は大過なく継続できる。
 池田にとっては同格、ないしやや後進の者はつねに池田の死後を脅かすゾンビである。殺しても殺しても生き返り、池田の足下と墓を脅かす。世襲制を掻き乱しかねない危険性を持つ。今年3月、池田の長男、池田博正が副会長から最高幹部の副理事長に昇格した。すでに国内、国外に向けて彼の「お披露目」が進行している。
 今年1月以降、『聖教新聞』は創刊55周年パーティを東京、大阪、名古屋、札幌、仙台などで開催してきたが、池田博正は創価学会を代表する立場で出席し、パーティに参加した政財界人と懇談して顔を売り、人脈を広めつつある。
 3月には創価学会代表団の代表として台湾を訪問し、中国文化大学で名誉博士号を受けた。彼は台湾から直接中国入りし、池田の名代として北京で唐家セン国務委員と会見した。隷従による強い中国パイプは池田が子々孫々伝えるべきお家の芸である。池田博正が中国パイプも継承することはまちがいない。
 だが、池田家による創価学会の世襲がスムーズに行われるかどうかはまだ定かでない。長らく池田自身が世襲を否定してきたし、幹部間には依然、創価学会の池田私物化と世襲を疑問視する声が存在する。
 まして池田の死後、池田博正を補佐する有力者は秋谷である。池田博正は自らの側近も、腹心の部下も、育ててはいない。池田博正自身が熱烈に池田という権力の継承を望んでいるかも疑問である。博正は若いころから覇気に乏しい人柄と伝えられていた。
 ところで今年6月現在、池田が世界の大学から得た名誉学術称号は194になったという。内訳は名誉博士100、名誉教授91、名誉学長3のようだが、これらが創価学会資産を池田個人に大量傾注した「成果」であることは疑いようがない。従来、創価学会の運営は池田を人為的に偉大化することで池田を会員統合の旗印とする、つまり会員の池田個人崇拝を増進させることで学会の統合力、求心力としてきた。
 こうした個人崇拝のネックは世襲できない点にある。池田の偉大化に投じられた巨額の資本は池田が生を終える時点でゼロになる。その意味で効果の世代間継承を期待できない、割に合わない投資である。
 池田の死でひとまず個人崇拝の対象は雲散霧消する。そのとき、秋谷がどう行動するか、池田博正との関係をどう築くのか、あるいはどう壊すのか。実務官僚・秋谷は池田同様、高齢ではあるものの、オールマイティの手札を持ったとき、長期間、忍従を強いられた池田大作の墓を暴き、名誉失墜させることさえ可能になる。  (文中・敬称略)

溝口 敦(みぞぐち・あつし)1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務を経てフリージャーナリスト。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。著書に『堕ちた庶民の神』『池田大作創価王国の野望』『オウム事件をどう読むか』『宗教の火遊び』『チャイナマフィア』『あぶない食品群』『食肉の帝王』など多数。乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。

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2006年07月15日

特集/神崎・冬柴執行部退陣と総裁選

池田大作が目論む「永久与党体制」への一里塚としての「神崎・冬柴」の更迭

ジャーナリスト 古川利明

 前倒しされた今秋の公明党大会

 「世紀の悪法」と世間から猛烈な批判を浴びた「共謀罪」をはじめとして、教育基本法改正案、憲法改正のとばぐちとしての国民投票法案、さらには防衛庁の省昇格法案など、いずれも今後の日本の進路を占う上で大きな影響を与えるであろう「重要法案」が軒並み継続審議とされ、今年の通常国会はこの6月18日で、会期延長がなされないまま、閉会した。
 それにより、永田町及び世間の関心はこの9月に行われる自民党総裁選の行方に移ってしまったが、そうした最中の6月23日の全国紙の朝刊各紙に、公明党が当初、この10月14日に予定していた代表選出のための党大会を前倒しし、9月30日とすることを決めた旨の記事が、ほぼ一斉に掲載された。
 とりわけ、この春先ぐらいから「公明党代表・神崎武法」の更迭話は既にささやかれてはいたが、そうした流れを後押しする形で、読売が「神崎代表(62)が今期限りで勇退し、後任に太田昭宏幹事長代行(60)が就く見通し」「太田氏とともに次期代表と目されていた北側国土交通相(53)が、冬柴氏の後任幹事長になる方向が強まり」と報じる一方で、毎日も「後任(の代表)には太田昭宏幹事長代行が有力視」と書き、98年秋の新公明党の結成以来、一貫して「代表・幹事長」のポストにあった「神崎・冬柴コンビ」の更迭へ向けて、じわじわと外堀を埋めようとしている「創価学会=池田大作」の思惑が、見て取れる。
 これは言わずもがなだが、表向き、代表を選出するのは党大会においてだが、実質的な「人事権」は、他の党役員人事も含めて、すべて「公明党創立者」である「池田大作」が握っている。極端なことを言えば、公明党の党大会の当日の朝、池田大作のツルの一声で、当初予定していた「新代表」のクビを急遽、すげ替えることはいくらでも可能である(もちろん、神崎の代表続投という選択肢も含めて)。
 ただ、今の「神崎・冬柴」に替えて、「太田・北側」のコンビを新執行部にすげようという池田自身の思惑がどこかにあるがゆえに、かなり早い現時点でのこうした情報のリークにもつながっているわけで、とりあえず、本稿ではこの秋に公明党の新執行部が「太田・北側コンビ」に代わるであろうという前提で、話を進める。
 
 池田大作の狙いは政権与党への居座り
 総裁は安倍・福田のどちらでも同じ

 で、ちょうどこの9月のほぼ同時期に自民党の総裁選も行われる。現時点の世論調査では、官房長官の安倍晋三がリードし、それを同じ森派の元官房長官の福田康夫が追う展開になっている。
 それゆえ、こっちの自民党の総裁選の方も、まだ誰が総裁になるかは現段階では不透明であるということを、まず、前置きした上で、ただ、安倍が後継総裁になった場合、これまでの彼の言動から推測する限りでは、確かに、今、かなり問題がクローズアップされてきている内政面での「格差社会の是正」については一定の配慮を見せるだろうが、「親米タカ派」の外交姿勢は、現在の首相・小泉純一郎よりさらに過激に突き進むのではないか、と思われる。
 それに比べると、福田の方は現在の小泉の路線とはかなり距離を置く形で、特に外交面では「小泉の靖国神社参拝」に対する批判を強めることで、より、「アジア重視」の姿勢を明確に打ち出していくことになるだろう。
 そこで、今回、編集部から与えられたテーマに、「ポスト小泉が安倍か、福田かによって、信濃町の対応や思惑はどう変わるか」という問いかけがあったが、これに対する筆者の見解をひとことで言えば、「結局、どちらでも同じ」ということである。
 1964年の公明党の結党以来、池田が目指してきたものは「天下取り」であるが、それは具体的には「公明党が政権与党」となることだった。
 ただ、せいぜい、参院比例区で1000万票も取れない信濃町の集票能力からして、公明党だけで「単独政権」を取ることができないことなど、池田とてわかりきっている。そこで、広宣流布における例の「舎衛の三億」の理論ではないが、池田が虎視眈々と狙っていたのは、そもそも自民党との連立政権だった。しかし、55年体制においては、ほぼ一貫して自民党が衆参両院で単独過半数を占めてきたため、公明党(=創価学会・池田大作)を「家の中」に入れてもらうことはできなかった。
 ところが、93年夏の総選挙で、自民党が過半数割れの敗北を被ったことで、タナボタ式にチャンスが訪れる。自民党を割って出た小沢一郎の新生党などとの細川非自民連立政権に入ることで、悲願の「デージン」のポストを取るに至った。しかし、細川政権もわずか8ヵ月で崩壊、その後、自民党は「自社さ」というウルトラCの裏技を使って政権に返り咲くと、「新進党路線」で野党暮らしを余儀なくされた池田大作を狙い打つかのように、「国会証人喚問」で徹底的に攻め抜いた。「週刊新潮」が96年2月22日号で「私は池田大作にレイプされた」との、信平信子・元創価学会北海道婦人部最高幹部のスクープ手記を掲載するのは、まさに、その最中のことである。
 これによって、「野党暮らし」がいかに危険であるかを身をもって痛感した池田大作は、「政権与党」の中に入り込むべく、自民党と手を組むという方向に動き出す。それが97年末の新進党の解党であり、さらには98年夏の参院選での自民党惨敗によって、参院における議席数が大きく「過半数割れ」したことを受けての、同年秋の公明党の再結成であった。以来、新・公明党においてはずうーっと「神崎・冬柴」のコンビでこれまで来たわけだから、少なくとも、対外的にこの2人は「自公体制の象徴」である、とのレッテルを貼ることはできるだろう。
 それゆえ、「公明党=創価学会」というより、池田大作の目指す方向性とは、ひとことで言ってしまえば、今のまま「政権与党の中」に居座り続けることである。であるので、じつを言うと、自民党の総裁が誰であろうと、あまり(というか、ほとんど)関係はない、といえる。
 池田はかつて、55年体制下で「日の丸」の法制化問題が国会で持ちあがったとき、元側近によれば、こう漏らしていたという。
 「日の丸なんて、オモチャに過ぎない。自民党にオモチャを与えてやればいいじゃないか」
 それゆえ、池田大作的には、一連の重要法案についてはいつでも「OK」なのだが、ただ、今でも内部の学会員たちの大半は池田大作のことを、「反戦平和をひたすら願う宗教指導者」であると純粋に信じ込んでおり、そういった「学会内世論」の手前、あんまり気安く公明党に「賛成」をさせることはできない、というのが、まず一点。
 それと、これは政治的な駆け引きでもあるが、「男女間のそれ」と同じく、こういうものは「小出し」にして、じらしてこそ効果がある。「生来のマキャベリスト・池田大作」にしてみれば、「イヤよ、イヤよもいいのうち」の姿勢は、まさに「当然の助動詞」である。
 
 「神崎のクビ」は飛ばさなければならない

 そこで、池田大作にとって、今、気が気でならないのは、来年夏の参院選で、「民主勝利、自公敗北」によってもたらされる「政局の流動化」であろう。仮にそういう事態になって、小沢一郎が常日頃言っている通り、「参院での自公の過半数割れ」に至った場合、解散・総選挙は遠からずあり、そこで「民主党政権」が樹立される公算が高まる。そうなった場合には、「永久与党戦略」を取っている池田大作(=公明党・創価学会)にしてみると、非常に困ることになる。なぜなら、そうやって、「家の外」に追い出されることで、自らの政権基盤が弱体化してしまうことにより、また、どんなスキャンダルが「新潮」をはじめとする週刊誌にスッパ抜かれるか、わかったものではない。
 それゆえ、世間からは「コウモリ」といくら叩かれようと、民主党にすり寄っていく必要があるわけで、その際、この4月に代表が小沢一郎に交代し、前任者から引き継いだ部分の代表任期の切れる9月以降も、ほぼ小沢の続投が確実視されていることから、池田大作としても、今後、「民公連立」も視野に置き、民主党との関係を改善していくうえで、どうしても抜かなければならない「のどに突き刺さった骨」がある。その「骨」とは神崎である。
 なぜなら、神崎は昨年6月、小沢の懐刀である平野貞夫が講談社から上梓した『公明党・創価学会の真実』の中で記した、神崎の「向島醜聞」のくだりについて、神崎自身が名誉毀損で刑事告訴しているからである。それゆえ、永田町における「政局対応」においては、池田大作が小沢民主党と組むためには、いずれかの段階で「神崎のクビ」は必ず飛ばさなければならないのである。
 いずれにしても、公明党の国会議員はそもそも「池田大作を守る」ために存在しているわけだから(それは、文字通り、池田自身がさまざまな批判にさらされないよう「守る」のはもちろんだが、さらに加えて、池田の権力基盤を維持するための「捨石」となることも含まれている)、この秋に執行部が「太田・北側体制」となったところで、基本的にはそれ自体は何ら変わるものではない。それゆえ、今度の「神崎・冬柴コンビの更迭」が意味するものとは、池田大作の「永久与党体制」へ向けた一里塚でしかない、ということであり、そのことを我々ジャーナリズムは厳しく監視していかなければならない。   (文中・敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

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特集/第三文明社刊『外から見た創価学会』のお粗末度

創価学会礼賛本に登場するメディア関係者のノーテンキ

山田直樹

 オベンチャラ本登場者に共通する
 反戦神話や平和主義への誤解

 創価学会系月刊誌『第三文明』の連載、「外から見た創価学会」が単行本化された。饒舌な学会オベンチャラ本である。登場するのは17人。全員のノーテンキぶりを紹介する紙幅はないので、メディア関係者の発言に絞って検証する。
 まずは、真剣勝負で記者が迫った(と自称する)池田大作インタビューを2回も掲載した西日本新聞社社長の多田昭重氏によると、
 〈創価学会は、地域にとって確固たる存在にまで発展、成熟されたと私は思います。いまだに一部週刊誌報道に見られる風評やうわさ話など話題にもされないくらい、日本の社会に浸透、定着してきているのではないでしょうか〉
 週刊誌報道は学会に“風評被害”を与えているわけか。西日本新聞の学会好きは、筋金入りらしい。多田氏によると自身が東京支社長時代の社長サンが池田氏の本を読んでいて「とにかく素晴らしい」と絶賛していたという。編集局の第一線で活躍していたような経歴が多田氏のプロフィールにあるが、
 〈2003年に山本(武)現総九州長とお会いした時、九州では青年層を中心に1年で会員が数万人増えたと聞きました。その話を聞いて驚き、羨ましいと思いました。私どもは新聞を百部増やすのも一生懸命ですが、なかなかそれもできない〉
 新聞記者出身なら、その数字が真実かどうか、疑ってかかるのがスジ。同社出身で月刊ペン事件の主役だった、旺盛な学会批判を行った故隈部大蔵氏は、草葉の陰でどんな思いをいたしているだろう。
 幾人にも共通する誤解がある。学会初代会長の牧口常三郎獄死にまつわる反戦神話や平和主義である。
 〈戦時中、牧口初代会長の主張は当時の軍部政権に反対し治安維持法により投獄されるという事態を引き起こしました。(略)牧口初代会長は獄中で殉教されました〉――学会シンパで著名な同志社大学・渡辺武達教授。
 〈初代牧口会長から現在に至るまでの創価学会にも、『小学生日本』(戸田城聖2代目会長が戦前、編集発行人を務めていた児童雑誌)に流れていたものと同じ精神――闘う平和主義が脈打っていると思うのです〉――戦時下のジャーナリズムを研究対象にしてきた高崎隆治氏(評論家)。
 〈池田名誉会長が世界の指導者たちと常に会見し、平和について言及するのも、根底に平和主義があるからでしょう〉――前出の多田氏。
 〈創価学会の平和活動で印象に残っているのは、70年代に男女青年部・婦人部が出した『反戦出版』です。私はすべて読みました。平和のために本当に行動できる組織は、他にないでしょう。創価学会という大きな組織が本気になって平和を勝ち取る姿勢に徹したら、それだけで日本のみならず、世界の平和に貢献できるでしょう〉――ジャーナリスト・西園寺一晃氏。
 かの西園寺公望直系で曾孫にあたる同氏は本誌でお馴染みの川崎泰資氏同様、椙山女学園大学で教鞭を取られる客員教授だが、元はといえば朝日新聞記者で北京支局にも勤めていた人物。見過ごせない発言である。だいたい氏の言う通りなら、あまたの「平和団体」がまるで無能ということになる。あるいは、創価学会に入会しないと、平和のための行動を起こす資格がないとも読める。池田氏の提言が引き金になって、公明党が自民党のケツをたたいてまでも自衛隊のイラク派遣をゴリ押ししたのを、この御仁はご存じないらしい。
 同氏はさらに、
 〈宗教を持っているひとは、やはり自分の宗教が一番だと考えます。しかし、池田名誉会長は、そのうえで、ガンジーやキングなど他の宗教の人を評価しています。なぜそうできるのかといえば、池田名誉会長が世界を知り、大きなスケールで人物を見ているからだと思います〉
 オイオイそこまで言うか。それほどのスケールの傑物が、破門された日蓮正宗法主に憎悪を抱き、批判者へのバッシングを煽動するものだろうか。日本の「他宗の人」を池田氏が評価した話など聞いたこともない。ただ、日蓮宗をいわゆる小樽問答でとっちめた、その先陣で騒いでいたのは紛れもない歴史的事実である。
 渡辺氏は、1967年にトインビーが来日した時に自分が通訳したことにかこつけて、
 「あなたの素晴らしい通訳のおかげで、日本の人々に私の思いを十分に伝えることができました」
 という同氏のお褒めのことばを、恥ずかしげもなく記しているが、
 〈池田名誉会長はトインビー博士と対談し、『二十一世紀への対話』を発刊しています。私の考える二人の共通点は、個人が大きな権力や理不尽なものに抑えつけられることを否定し、互いに助け合って持てる能力が開花する社会の建設を目指そうとしていたところです〉
 なる見解を提示される。学者がどうこの二人を共通項で括ろうと自由だが、来日時の通訳という大任を仰せつかったのに、少なくとも渡辺氏はアーノルド・トインビーの孫娘、ポーリー・トインビー女史が池田氏に請われて来日した時の内情を吐露した手記をお読みでないようである。トインビーが池田氏と“対談”したのは御歳85の時。手記をランダムに見ておこう。
 〈この本(二十一世紀への対話)は、祖父の著作の中で最も忘れられたような本で、性教育から始まって公害や戦争にいたるまで、とりとめもなく長々とした二人のおしゃべりを収録したものです〉
 〈この旅行は、いったいなんのためのものだったか。それは、帰途につくまでに、すべて判明しました。私たちは来日中、新聞やテレビのインタビューを受け、夫のピーターは国際情勢について、私は祖父について質問されました。インタビューを受けるたびに、大衆の目には、池田氏とアーノルド・トインビーの仲が、より親密なものとして映ったと思います。池田氏は自らトインビーの公の代表的な親友であり、スポークスマンであるかのように見せるため、記事やフィルムを作らせたのです〉
 ちなみに渡辺氏の章のタイトルは、「トインビー博士と池田名誉会長の共通点」である。

 「戦争とメディアの研究者」のお粗末ぶり

 筆者が特に問題だと感ずるのは、戦争とメディアの研究者を自認する前出の高崎氏だ。
 〈年齢層や職業にかかわらず、人々が一緒に集って楽しくすごせる、またいろんな問題を真剣に話し合える――そういう場所は、今では学会以外にないんじゃないでしょうか。しかも、それは利害を超えた宗教的信念による結びつきで、誰に強制されたものでもないという点が重要です〉
 その楽しくすごせる学会の信仰に疑問を持ち、袂をわかつとどうなるか。高崎氏は全くご存じないと見た。財務や選挙活動は、ならば強制ではないというのだろうか。
 〈私は、日本の数ある宗教団体のなかで、創価学会こそ『闘う集団』だと思っています。おとなしく権力の言うことを聞く団体ではないのです〉
 確かに高崎氏のこの記述の前段は正しい。しかし後段は完全に間違っている。文章講座などを首都圏の学会婦人部相手になさっている高崎氏は、添削もまた数多く手がけてきただろう。この文章では「権力」を「他人」に置きかえるべきである。そして次の一文、「おとなしく言うことを聞くのは池田氏だけである」を挿入すれば“意味”が通る。高崎氏のルサンチマンは、以下の文章ではっきりする。
 〈今でこそ『学会バッシング』の中心は新潮社の雑誌ですが、かつては文藝春秋の雑誌が中心でした。私が研究者として文春の雑誌の『戦争責任』を追及し闘ってきたのも、一つには『文春と闘うことで学会を守りたい』という思いがあったからです〉
 これはまるで、創価学会員の決意表明そのものではないか。結局この研究者は、牧口常三郎が「大善生活」その他で、どのような発言をなし、創価教育学会で誰がどんな言葉で戦争を表現し、また行動を呼びかけたのか、・研究・していないのだろう。
 同じく研究者である渡辺氏も相当にお粗末だ。曰く、
 〈そもそもメディアは公明党と創価学会を同列に考えてはなりません。創価学会の広める理想を、政治の分野においてより早く実現するのが公明党の役割で、そのために連立に参加するのは一つの方法です。両者は一体ではなく、協力関係を結んでいるにすぎません。現実政治のうえで公明党がいかなる行動をしようと、それをもって創価学会が変わったということにならないのです〉
 大学教授たる人物が、こんな支離滅裂、論理崩壊であってよいのだろうか。教えられる学生に同情したくなる。系列の出版物でいくら学会を他人から褒めちぎらせても、効力は会員にしか通じない。それほど立派な組織なら、日本中の出版社から礼賛本が出て、ベストセラーになってると思うけど……。

山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。

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2006年06月15日

特集/竹入元委員長提訴と創価学会の歴史偽造

「創共協定」壊しをめぐる新手の歴史偽造
本誌編集部

竹入氏に「協定壊し」の責任を押しつける

竹入バッシングを利用する形で、創価学会による新手の歴史偽造が始まった。1974年12月の「創共協定」をめぐる事実の改竄である。「創価新報」5月17日付「青年部座談会」。「竹入(義勝・元公明党委員長)は共産党恐怖症だった」「『創共協定』にも嫉妬の難癖」の見出しで、こう述べている。

 「昭和49年12月のことだ。作家の松本清張氏の仲介で、池田名誉会長と共産党の宮本議長(当時)が会談した」
 「池田先生は『共産党との間に無用の摩擦を生じ、選挙のたびに学会員を過度の政争の手段にしてはならない』と判断され、率直に話し合われたんだ」
 「当時、心ある識者はみな、絶賛していた」
 「協定には『宗教と共産主義の共存』という文明史的な意義があった」
 「ところが竹入など、協定を結んだ意義も、時代の流れも、まったく理解できなかった。協定に難癖を付け『オレは今まで通り、共産党をブッ叩く』などと狂ったように言い放った」
 「嫉妬だよ、嫉妬。自分には、大きく構想を描き、実行する、先見もない。度量もない。だから池田先生の偉業に嫉妬していたんだよ、あいつは」
 「一方で共産党も、協定を政治的に利用して、歪めて、壊してしまった」
 「要するに、竹入が共産党を煽って火を付けた張本人だった。あまりにひどかったから、支持団体の学会が、火を消そうと懸命に努力してやった」

 ――「協定」は高度の文明論で、学会は誠実に守ろうとしたけれど、竹入氏と彼に煽られた共産党がブチ壊したという筋書である。
 正式には「日本共産党と創価学会との合意についての協定」という。略称「創共協定」。共産党側は「共創協定」と呼ぶ。74年12月28日に野崎勲・学会総務(当時)と上田耕一郎・共産党常任幹部会委員(同)が署名し、双方の正式な印鑑を押して締結し、翌年7月27日に発表された。政党が特定宗教団体と「協定」すること自体を、政教分離・信教の自由の観点から疑問視する意見もある。それはさておき、協定の内容はたしかに“立派“だ。協定は前文で双方の立場の違いを確認したうえで、「日本の将来のため、世界の平和のため」に7項目の合意事項をあげている。

 「創価学会は、科学的社会主義、共産主義を敵視する態度はとらない。日本共産党は、布教の自由をふくむ信教の自由を、いかなる体制のもとでも、無条件に擁護する」(第2項)、「双方は、たがいに信義を守り、今後、政治的態度の問題もふくめて、いっさい双方間の誹謗中傷をおこなわない。……すべての問題は、協議によって解決する」(第3項)、「民衆の福祉の向上を実現するために、たがいに努力しあう」(第4項)、「ファシズムの攻撃にたいしては、断固反対し、相互に守りあう」(第6項)……。

 協定発表翌日の「秋谷見解」で協定を骨抜きに

 「創価新報」の言い分が正しいかどうか、「協定」の準備から発表、またたく間の崩壊までの客観的な経過をたどってみる。

 ・74年10月30日、松本清張氏の立ち会いで第1回目の懇談。共産党からは上田氏と山下文男文化部長、創価学会からは野崎氏と志村栄一文芸部長。以降、松本宅で7回懇談。
 ・74年12月28日 「協定」に署名押印。
 ・74年12月29日 松本宅で池田、宮本懇談。
 ・75年7月12日 ホテル・ニューオータニで「池田・宮本人生対談」(毎日新聞が連載)。
 ・75年7月16日 聖教新聞に青木亨副会長(現理事長)が「池田・宮本対談について」を発表。「組織的共闘を意味するものではない」「今後とも公明党を支援」と表明。
 ・75年7月27日 双方が同時に「協定」と「経過について」を発表。
 ・75年7月28日 協定について「秋谷見解」発表。翌日付聖教新聞に掲載。

 秋谷栄之助副会長(現会長)はそのなかで、協定は「共闘なき共存」を定めたものだとして、協定にある「協議」や「協調」の精神を否定した。第6項の「ファシズムに反対し相互に守りあう」とは、「日本に安定した中道勢力を拡大すること」だと述べ、「公明党が共産党との間で、憲法三原理をめぐる憲法論争を続けていくこと」を、学会として「肯定している」と、同党の反共路線推進を認めた。さらに、「双方間の誹謗中傷はおこなわない」という第3項の意味は、「学会が公明党を支援するということに対して、『政教一致である』といった類の誹謗中傷は、いっさい行わないことです」とまで解説してみせた。
 協定発表の翌日、早々と協定の内容を都合よくすり替え、骨抜きにしたのである。発表直前の青木見解とあわせて、協定を壊しにかかったのはほかならぬ、現在の学会会長と理事長だったのだ。「創価新報」のいうように共産党が「政治的に利用」する時間すらなかったのである。約1ヵ月後の8月20日、池田大作氏は学会壮年部代表者集会で、秋谷見解を公式に追認した。

 75年12月の共産党中央委員会総会決議によると、共産党は協定調印1ヵ月後(75年1月)の中央委員会総会で協定の内容と経過を報告し、了承をとりつけた。その後、「公的組織としての社会的責任からも、合意協定を早く公表すべきことを、創価学会にたいしてくり返し強調した」けれど、学会の都合により7ヵ月も引き延ばされた。
 同党は秋谷見解後も、「すべての問題は、協議によって解決する」(第3項)との協定にもとづき会見を申し入れたが、学会の拒否にあったとしている。こうして創共協定は発表したままで、急速に“死文“への道を歩んだ。それが、ことの真相である。

 常態化する歴史の偽造

 創価学会による歴史偽造は、いまに始まったことではない。69年末から70年にかけての言論出版妨害の問題もそうである。このとき、池田大作氏は70年5月3日の本部総会で「お詫び講演」をした。言論出版妨害を事実として認め、「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと猛省したい」とまで述べた。政治・政党との関係については「政教分離でいけばよいと思う」と述べ、共産党への態度にも言及して「我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない」と述べた。
 つまり、言論出版妨害への社会的批判を受け入れて、全面謝罪したのである。にもかかわらず、創価学会はいま、あれは学会婦人部が侮辱されたからだとか、信教の自由を守る正義の戦いだったと描いている。

 実は、「お詫び講演」の前後、学会内部ではとんでもない事態が進行中だった。
 1通の内部文書がある。70年3月4日付の「総合本部長会報告」。学会副理事長らが地方幹部を相手におこなった指導メモである。こんな指導がされていた。

 「(言論問題の)本質は広布を阻む第六天の魔である」「公明党・創価学会の悪口を一口でもいったら追かえし、不法侵入として警察へ訴える位にする」
 「マルキョウ(丸の中に共の文字。以下同)は槍傷覚悟でやって来る。広布をハバむ魔である。重大な決意をしなければならない」「マルキョウに焦点を合すこと」「マルキョウをつぶす様祈っていこう」

 当然のことながら、マルキョウは共産党のことだ。表向きの「お詫び講演」の裏では、こんな態勢がとられていた。そして講演直後の70年5月から7月、その一部が実行されている。宮本宅電話盗聴である。これが創価学会の組織的犯罪であることは、東京高裁の確定判決(88年4月)で明らかになっている。
 そしていま、「反共主義をとらない」どころか、選挙では共産党などの候補者や運動員をとり囲んで妨害し聖教新聞などでは「日本中が大嫌悪」「デマ・不祥事で総すかん。“時代遅れ“のジリ貧党」と、「文明論」にはほど遠い悪罵をくり返しているのである。
 ところで、宮本宅電話盗聴の真相がわかったのは80年。山崎正友・学会元顧問弁護士の告白によってである。その間、創価学会はそんな事実をひた隠しにしたまま、共産党との間で「文明論」を語り、「協定」まで結んでいた。
 とはいえ、「協定」の文書は現に存在している。池田氏も直接かかわったこの文書にケチをつけることはできない。それを反故にするには、誰かを“犯人“に仕立て上げざるをえない。――「創価新報」の歴史偽造には、そんな背景事情が透けて見えるようだ。
 一方、共産党は盗聴の真相を知らなかったとはいえ、「反共主義はとらない」などという発言を本気で信じていたのだろうか。政党が特定宗教と「協定」することの検討を含め、全面的な総括はまだされていない。

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2006年06月01日

特集/検証! 読売の連載「ポスト小泉の足元」

「批判なき創価学会礼賛」に終始
権力の魅力、現実と妥協を是認

川崎泰資(椙山女学園大学客員教授)

民主党の小沢新党首の誕生、千葉の補欠選挙での勝利は小泉政権のレームダック化を顕著なものにし、ポスト小泉の候補者の右往左往ぶりも目立ってきた。
 こうした中で読売新聞が4月13日からタイミングよく「ポスト小泉の足元」という連載記事を掲載した。内容は自民党を支える足元の支持団体の変容を伝えるもので、12回の連載の内、旧来の自民党支持団体に触れたのはわずか4回で、何と4分の3の8回は創価学会・公明党の紹介であった。選挙のたびに強まる創価学会との融合、事実上、自民党の「生命維持装置」になった学会票の実態を考えれば、これは当然の結果ともいえる。

 ただ問題はその内容である。政治面に連載する政治記事である以上、学会の政教分離の実態、学会と公明党の関係、宗教団体か政治団体か分からなくなっている現状など、創価学会・公明党の変質と無節操な自民党の体質に迫る必要がある。しかしこの連載は創価学会の影響力を礼賛するばかりで、学会・公明党の宣伝記事に終始している。

 旧来の支持団体の崩壊と変質

 ここで取り上げられている支持団体は、日本経団連、日本医師会、神道政治連盟、日本遺族会等であり、集票力とカネの面から支持団体としての組織を分析している。これまでの大票田であった特定郵便局長会や建設関係の団体などには全く触れていない。連載の冒頭はトヨタ自動車で、去年9月の総選挙の勝利の陰に経団連会長でトヨタ会長の奥田碩の積極的な自民党支援があったことを強調しているのが象徴的だ。トヨタの本拠地の愛知県で選挙戦の終盤、トヨタスタジアムにトヨタ副会長の張富士夫が鉢巻き姿で登場して自民党の新人候補の応援演説をし、「トヨタの経営トップが選挙でこんなに露出したことはなかった」と驚かせた。トヨタの影響力で愛知県下の全小選挙区の自民陣営に企業関係者が張りつき、県下の15選挙区の内、当選者が前回の3人から9人に大躍進した。これは奥田経団連会長が政府の経済諮問会議の民間委員になって小泉首相との関係を深め、経団連が「カネと政策」団体から「票」にも踏み込んだ結果である。

 自民党への傾斜を強めた経団連の奥田は、「企業人は政治に主体的に関与しなくてはならない」とさえ説き、奥田会長の後継の御手洗冨士夫キヤノン社長も奥田路線を踏襲するという。しかしキヤノンが外資企業で政治献金を禁止されている企業であり、自民党が政治資金規正法を改正してこの縛りをとくことには触れていない。アメリカ型の市場経済至上主義に走った結果、財界総理の座を外資系企業に渡した政治的意味への警鐘もない。
 長年の自民党支持団体、日本医師会や日本看護連盟には会員の減少と集票力の低下に半ばあいそを尽かし、首相の靖国参拝などを求める神道政治連盟や日本遺族会、軍事恩給連盟なども組織力の低下から自民党への影響力は薄れているという。

 創価学会が自民党最大の支持団体に

 こうした既成の自民党の支持団体に取って代わったのが創価学会であることは、いまや公然たる事実である。自民、公明両党の自公政権というより、むしろ「自公」党と呼ぶほうが相応しいような癒着ぶりが小泉政権になってから顕著だ。公称827方世帯の会員を有し、日本最大といわれる宗教団体になった「創価学会」はいまや町内会、自治会、PTA、老人会などの活動、特にその役員を引き受けることで地域社会に浸透している。

 91年、創価学会が日蓮正宗から破門されて以来、宗教上の理由からタブーであったお祭りや神輿担ぎなどの町内活動に積極的に参加しだし、99年の自自公政権で自民党と組んでからは地域での垣根が低くなったという。それがまた選挙での創価学会の力の発揮に繋がった。小選挙区の自民党候補に票を入れ、「比例は公明」と自民候補に連呼させる異様な戦術が当たり前のことのようになった。その自民党の候補者への推薦は前回選挙では290人のうち239入、なんと82%に達したという。
 創価学会は推薦の基準を「人物本位」といい、推薦しなくとも「自主投票」という暗黙の協力もするという。しかし記事はここまでで、人物本位とは学会のいうことを聞く人にほかならず、自主投票は学会組織の上層部の判断による等のご都合主義に過ぎないことには触れてはいない。上部の指令が学会組織の末端にまで確実に届いて確実な集票能力を発揮することを称賛しているだけで、その裏に潜む非民主的な体制も批判しない。

 ブレーキは壊れ、右傾化へアクセル

 創価学会本部が政策課題や選挙対応を協議するために設けた「中央社会協議会」の代表が98年11月の公明党の再結成以降、政教分離以来、慎んでいた公明党大会に来賓として出席するようになった。同協議会の原田光治議長は「政権の右傾化にブレーキ役を務め、国民の福祉にアクセルを踏む。公明党の政権入りで政治は安定し改革が進んだ」と自賛しているが実態は異なる。婦人部を中心に平和問題や生活に直結する政策に敏感だった公明党が、陸上自衛隊のイラク派兵に賛成し、防衛庁の省への昇格にも賛同し、最近では愛国心問題で強く反対していた教育基本法の改正にまで妥協している。

 驚くことは再三にわたる小泉首相の靖国参拝にも口先だけの反対に止まり、政権離脱を賭けた反対の説得もなく黙認と取られてもしかたのないような対応ぶりだ。この連戦では浜四津敏子公明党代表代行の「政治の世界には一歩前進、二歩前進という面もある。多くの方は公明党が、自民党の歯止め役になっていると理解してくれていると思う」との言葉でお茶を濁すだけだ。この事態は「一歩」前進ではなく後退したことを意味し、自民党の右傾化にブレーキどころかアクセルをふかせて協力しているとしかいいようがない。さらに個人情報保護法に続き、共謀罪の成立にも肩入れし、言論の自由とは全く無縁の行動を示している。これを批判しない記事は公明党の提灯持ちに過ぎない。

 権力の魅力の虜になり、現実と妥協することが政治だと強弁する学会・公明党の幹部の主張を紹介するだけでは、ジヤーナリズムとは到底いえない。

 歴史の改竄、後継世襲に無批判

 いま創価学会は78歳の池田名誉会長の後継問題をめぐって、様々な動きが伝えられている。池田が創価学会の将来を意織した演説を繰り返す一方、53歳の長男の博正が2百数十人いる副会長の中から異例の若さで副理事長に昇格し、55周年を迎えた聖教新聞の各地でのパーティでお披露目に余念がなかった。また三男の尊弘も48歳で副会長であり、池田の妻、香峯子のインタビュー集が出版されるなど、着々とポスト池田の体制づくりが進んでいる。

 早晩、秋谷会長も辞任し池田の息子たちのシンパの若手が会長や理事長などの要職に就き、世襲体制を固めることが予想されている。世襲はしないと再三、明言していた池田発言と食い違う事態の進行に何の批判や疑問を抱かないのは何故なのか。このことと関連して学会では池田を神格化し、偉大さを証明する歴史をつくることに余念がない。日中友好を実現した原動力は池田自身で竹入公明党元委員長ではないと言い張り、言論出版妨害事件で天下に詫び政教分離の公約をしたにもかかわらずその事実を否定するなど、歴史の改鼠、偽造が進んでいる。

 さらに公明党との関係では初代の竹入委員長、二代目の矢野委員長が創価学会に離反したとして、人格を否定するような罵詈雑言を浴びせる異様な事態が進展している。また機関紙、聖教新聞では学会の秋谷会長、青木理事長をはじめ、壮年部長、婦人部長等の幹部が座談会の形式で、竹入、矢野の元委員長や学会の批判者、言論人に常識では考えられない暴言を吐き続ける無残な紙面が続いている。
 こうした宗教団体とは思えない言動や公明党との政教癒着の実態に切り込まない長期連載は、彼らの現状を肯定することに繋がる危険が大きい。

 創価学会・公明党は初心に帰れ

 最近、学会員の芸能人・スポーツ選手のカミングアウトが盛んになった。気が付けば周囲は学会員だらけということになりかねない。その実態を取り上げるのはよいが、それが選挙運動に利用され、政治的影響を生んでいることを指摘しないのは不可解だ。
 戦後、創価学会が民衆の救済をかかげて活動し、初期にはクリーンな政治を目指し政界に新風を送ったことは事実だ。しかし細川政権で権力の中枢に入り曲折を経て自民党と連立政権を組むに至って、学会・公明党は変質した。権力の虜になり、その旨味が忘れられなくなった結果、現実との妥協と称して民衆のための政治という原点を見失ってしまった。

 公明党という政党の名を借りた「宗教団体」が、金権腐敗に売国要素を加えた自民党政治を補強し日本の民主政治の発展を損なっている。民衆の救済、庶民の政治を目指す創価学会・公明党が、新保守主義、市場経済至上主義で国民の格差の拡大を当然だとする小泉政治に加担した責任は重い。自公の選挙協力という名で「比例は公明」など政党政治の破壊につながる亡国の政治に反省を求めなければならない。

 今回の連載企画は、学会・公明党をタブーとして取り上げなくなっているメディアの大勢のなかで、学会の実態の少なくとも半分を提示した意味は評価できる。だが「選挙団体」と化し、政治を歪めている創価学会を正面から批判しない記事は、本質を見失い亡国政治に加担することになりかねない。(文中・一部敬称略)

川崎泰資(かわさき・やすし)椙山女学園大学客員教授。1934年生まれ。東大文学部社会学科卒。NHK政治部、ボン支局長、放送文化研究所主任研究員、甲府放送局長、会長室審議委員、大谷女子短大教授を歴任。著書に『NHKと政治―蝕まれた公共放送』(朝日文庫)など。

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2006年05月15日

特集/公明党が推進する「治安維持法の再来」・共謀罪の危険性

権力の支配に不可欠な思想弾圧の手段
 共謀罪の成立で密告社会が到来する

斎藤貴男(ジャーナリスト)

犯罪の相談をしたと見なされただけで処罰される

 話し合うことが罪になる。周囲の誰一人として信用できない、何か発言すれば警察に密告される密告社会がやって来てしまう――。
 「共謀罪」の恐怖が、いよいよ現実のものになってきそうな雲行きだ。マスコミがそれなりに報道し始めたのは最近だから、一般にはあまり知られていないだろうが、せめて本稿に目をとめられた読者には、この際、どうか関心を持っていただきたい。犯罪の相談をしたと見なされただけで処罰されるという、従来の刑法体系を根底から覆しかねない罪状の新設に関する採決が、ゴールデンウィーク明けの衆議院法務委員会で行われるのである。
 民主党など野党の抵抗は根強い。けれども共謀罪新設を急ぐ与党の意志は強固で、このままでは廃案にまで持っていくことは難しい。事態の深刻さを市民社会がよくよく理解し、結束して反対していくことが必要だ。

 ともあれ共謀罪の内容とこれまでの経緯を説明しよう。正確には「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」が、共謀罪の新設を求めている。2003年に国会に提出された同法案は、継続審議と廃案を繰り返し、今年の通常国会でついに審議入りした。
 従来の法案と、GW明けに採決される法案とではやや異なる部分がなくはない。野党の抵抗に応える形で、与党側が若干の修正を加えている。ただし問題の本質はまったく変わっていないので、とりあえずは比較的わかりやすい従来案について見てみよう。この分野の専門家である海渡雄一弁護士によると、法案の骨子は次のように整理することができた。

 ?…?役4年以上の刑を定める犯罪(合計619)について、??団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの、??遂行を共謀(犯罪の合意)した者は、?じ饗Г箸靴?2年以下の懲役(死刑、無期、懲役10年以上の犯罪の共謀は懲役5年以下)に処せられる。?イ燭世恵綣蠢阿房?首した場合は減免される(小倉利丸との共編著『危ないぞ! 共謀罪』樹花社、2006年)。

 実際に犯罪行為がなされる必要はない。要は警察が、こいつらは犯罪を共謀した、と判断したかどうかだけが決め手になる。団体の定義も曖昧で、極論すれば、二人以上の人間が会って話し合った内容が警察の気に障ると容疑者にされてしまう可能性も小さくないという、とんでもない法案なのだった。
 2000年12月に国連総会で採択された「越境組織犯罪防止条約」の批准を受けた国内法の整備、という建前だ。マフィアや国際テロリズム対策を目的に掲げながら、しかし、「共謀罪」にはそのための限定規定がない。そこでどのような行為に適用され得るのか、海渡弁護士は具体的な事例を挙げて説明している。

 〈労働組合が会社の倒産が近いという情報をもとに会社と団体交渉を行うに際して、退職金の支払いの保証のため社長個人の保証を求め、それが得られなければ長時間に及ぶ徹夜団交も辞さないと執行委員会で決定した(組織的監禁罪の共謀罪)〉

 〈マンションの建設に反対している住民団体が、工事着工を間近に控えた会合で当日は資材搬入を止めるため未明から現場に座り込むことを決定した(組織的威力業務妨害の共謀罪)〉

 〈ある新聞社が政治献金疑惑を疑われている政治家の自宅に記者を張り付かせ、帰宅した政治家に取材拒否にあっても、事実関係についての弁明を必ず求めることを編集会議で決定した(組織的強要罪の共謀罪)〉(前掲書)

 警察暴走の歯止めにならない与党修正案

 共謀罪と混同されやすい罪状に「共謀共同正犯」がある。共犯の罪を定めた刑法第60条が拡大解釈され、犯罪の実行行為には手を染めていなくても、事前の相談に関ったら罪だ、という考え方だ。主に暴力団の組長や、いわゆる過激派のリーダーに適用されてきた。
 共謀共同正犯の発想を基に、警察の権限を千倍も万倍も強烈にしたのが共謀罪なのである。暴力団が対象なら問題ないのではとの短絡はナイーブに過ぎる。警察といえども企業や官庁と同様、内部の派閥がそれぞれの思惑で動くことが珍しくもないのは組織の常。人間一人ひとりの一生を左右しかねない犯罪捜査に当たっては、暴走が許されない歯止めが必要だ。無理にでもそうする姿勢が示されることこそが、民主主義の要諦であるはずだ。

 そうした批判が国会の内外で強まったため、与党は今年に入って民主党に法案の一部修正案を提示した。団体の定義が曖昧だとの批判には、その対象を、「その共同の目的がこれらの罪(引用者注・前記619の犯罪)を実行することにある団体」とし、また何を以て「共謀」とするかという疑問には、「犯罪の実行に資する行為」という概念を持ち出した。
 一見すると与党が野党の指摘をある程度受け入れ、歩み寄ったようにも見える。しかし、事はそう簡単ではない。公然と犯罪目的を掲げる団体はあり得ない以上、その認定には警察の恣意が働く。また団体内の一部の人々が犯罪目的を抱くようになった場合の一般構成員の扱いなどが明確でない。

 「犯罪の実行に資する」という表現も厄介だ。抵抗する側の「話し合っただけで罪になる」という危惧に応えた格好だが、「資する」では犯罪の「準備行為」と言うよりも概念が広くなり、精神的な応援さえもが含まれる可能性が残る。いずれにせよ与党の修正案では、警察が暴走した場合の歯止めにはなりそうもない。ここ数年来の、たとえば東京・立川の防衛庁官舎で反戦ビラを戸別配布していた市民グループのメンバーたちが住居侵入容疑で逮捕されて東京高裁で有罪判決を受けた事件をはじめ、戦争に反対する意思表示が次々に弾圧されていく現実を考え合わせれば、共謀罪はこの種の思想取り締りに活用されていくと見て間違いないだろう。

 変容する人間心理、密告社会を自然に培う

 しかも、問題はそれだけではない。“共謀”の事実を、そもそも警察はどうやって把握するのか。内部告発を待つだけだとは考えにくい。これも近年の監視カメラ網の急激な普及を振り返れば、街の至る所に盗聴器が仕掛けられるような光景さえ時間の問題だと思われるが、それ以前に恐ろしいのは、共謀罪が受け入れられた世界における人間心理の変容である。
 目星をつけた団体のメンバーを内通者に仕立て上げる、あるいは警察官をスパイに送り込む式の陰湿な捜査手法の横行は、オウム真理教事件をめぐる報道でも明らかだ。共謀罪を活用した思想取り締まりにも活用されよう。とすれば私たちは、周囲にいる人間の誰も信用できなくなる。そのような社会で育まれるのは、人間同士の絆や共感ではない。嫌悪と憎悪である。

 いくら批判されても、しかし、与党の姿勢は強硬だ。五月初めに日米間で合意された在日米軍再編の「最終報告」は事実上、戦後の日本社会を規定してきた専守防衛の理念を否定した。この国は近い将来、アメリカの名実ともに片腕として、主にアジア・太平洋地域で軍事力を展開していく構想である。
 思想弾圧の手段は、したがって彼らにとっては不可欠なのだ。とにかく通しておいて、先々でさらに強権的な法律に改正していけばよいとの発想も与党内にはあるという。だからこそ院内構成上は可能な強行採決が、今のところはちらつかせられるだけで済んでいる。

 民主党は悩ましい立場にある。同じ土俵に上ってしまえば、やがて現れるであろう改正案にも融和的な態度を余儀なくされかねない。といって全面的な反対を貫けば、与党は遠慮なく強行採決に踏み切るに違いないから。
 どのような形であれ、共謀罪が実現してしまうような事態になれば、この国には個人の自由も尊厳も存在できなくなる。人々の一挙手一投足はもちろん、内面も、思想も、何もかもが監視される。権力に無条件で服従する者は許されるが、そうでない者は排除や処罰の対象だ。アメリカとともにある戦争体制の深化次第で、その処分や懲罰の程度は変化していくだろう。治安維持法の下にあった先の戦時中のように、反戦思想の持ち主は拷問で獄中死に追い込まれるような時代が再び訪れない保障は何もない。
 密告社会を自然に培う共謀罪は、政府の強力すぎる武器になっていく。もはや日本中の街の隅々に張り巡らされつつある監視カメラ網、あるいは企業の管理部門による従業員の電子メール・チェックの仕組み、ICカードやバイオメトリクス(指紋や顔貌など生体による認証システム)の普及、ユビキタス・ネットワーク等々、その他にも権力に有為な監視システムを数え上げればキリがない。

 一時期、少しだけ騒がれたが、すでに大方の関心は薄れてしまった住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)が、多様な監視システムを結びつける、日本国民一人一人に11桁の住民票コード(番号)を割り当てたのは、もともとそのためだった。私は幾度も幾度も繰り返してそのことを指摘し、警鐘を乱打してきたのだが――。
 取材や執筆の傍ら、私が国などを相手取って東京地裁に起こした訴訟の判決が、さる4月7日に言い渡された。住基ネットとはすなわち国民総背番号制度であり、日本国憲法13条が定めた国民の幸福追求権などに違反しているので差し止めを求めた主張は、案の定と言うべきか、全面敗訴を食らった。長年の取材や研究、何よりも事実によって裏付けられてきた懸念のすべては被害妄想で、被告・国側は絶対に無謬である旨の内容だった。

 折しも5月1日付の『東京新聞』朝刊は、ロシアの議会で市民から治安機関への密告を容易にする法案が可決されたとの特派員電を載せた。テロ対策を大義名分に、プーチン大統領がソ連秘密警察KGBの幹部だった暗黒の時代に逆戻りする形である。一方で、たとえばチェチェン共和国に対する侵略や弾圧を控える方針はなく、テロの原因はますます増殖させられていく。日本の共謀罪も、アメリカの一連のやり方も、何もかもそっくりだ。
 理屈や道理の通じる相手ではない。何か希望があるとすれば、このままでは精神も生命も権力に支配されるだけの運命を辿るしかない民衆が、今度こそ立ち上がることだけである。

斎藤貴男(さいとう・たかお)フリージャーナリスト。1958年生まれ。早稲田大学卒、英バーミンガム大学大学院修了。日本工業新聞記者などを経てフリーに。著書に『源泉徴収と年末調整』(中公新書)『精神の瓦解』(岩波書店)『プライバシー・クライシス』(文春新書)『カルト資本主義』(文春文庫)など。

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2006年05月01日

特集/ポスト池田体制と創価学会会長交代の行方

インタビュー/原島嵩・元創価学会教学部長
崩壊を早める池田万代路線 私物化・独裁に未来はない

本誌編集部

コンプレックス抱いていた池田氏

 ――池田大作創価学会名誉会長の会長就任記念日である5月3日を前に、創価学会の会長人事があり、秋谷栄之助会長が交代して新会長が誕生するとの情報が、学会本部関係者から流れています。その根拠は、まず、年初来、池田氏が諸会合の席上、秋谷氏を激しく叱責・面罵、これに対して秋谷氏が卑屈なまでの池田礼賛を続けているという事実があります。

※「週刊新潮」3月16日号によれば、池田大作氏は2月度本部幹部会や全国代表者協議会などの席上、対立する日蓮正宗宗門や矢野絢也元公明党委員長などを“のさばらせているのは、秋谷が悪いから”と、激しく秋谷氏を罵倒したとされる。
  こうした一方で秋谷氏は、3月9日に行われた本部幹部会の席上、以下のように自らを卑下しつつ池田氏を最大限、礼賛した。

 「戸田先生は『第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる』――こう厳命をされました。創価学会の根本は師弟であります。私は、第3代の池田先生を、生涯、お守りし抜いてまいります。それ以外に私の使命はございません。先生の偉大さは、そばにいた私が、一番よく存じ上げております。
  私などは、先生と比べれば天地雲泥、桁違いです。池田先生の存在は、牧口先生、戸田先生にも増して大きいのです。一番、偉大な存在であられるのです。
  先生がおられるお陰で、会長を務めさせていただいています。戦うことができます。全部、先生に守っていただいています。このご高恩は、一生涯、永遠に忘れることはできません。
  偉大な師匠である池田先生の大恩に報いるために、さらに一生懸命、戦ってまいりますので、よろしくお願いを申し上げます」(3月11日付「聖教新聞」)

  同様に4月11日付「聖教新聞」掲載の「五月三日へ 私の決意」と題するコラムでは、「『池田先生への報恩』に生きる」との見出しのもと、池田氏の会長辞任の責任は当時の執行部にあるとして、次のように反省する姿勢を示している。

  「『一閻浮提広宣流布』の日蓮大聖人の仏勅は、池田先生の御出現なくしては虚妄に帰したはずである。仏法史上、どれほどの聖業か。
  それだけに、今もって本当に申しわけなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第3代会長御勇退である。
  嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。それと結託した裏切り者どもの謀略があった。だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いたのは、すべて私ども執行部の罪である」

 また今年は国政選挙などの大型選挙がないこと。さらには昭和5年生まれの秋谷氏は今年で76歳、昭和56年に会長に就任してから25年にもなることから、ポスト池田大作体制に向けての世代交代人事が行われ、新会長が誕生するというのです。
 原島さんは池田氏の側近として、池田氏と秋谷氏の関係を間近で見て来た元創価学会の最高幹部の一人ですが、今回の池田氏の秋谷罵倒と、秋谷氏の池田礼賛についてどのような印象をお持ちですか。

 原島 秋谷さんに対する池田さんの積年の鬱憤が噴き出したと言えるのではないでしょうか。僕が池田さんの側近だった当時も、池田さんは秋谷さんに対する不満を口にすることがしばしばありました。
 特に印象に残っているのは、池田さんが昭和54年4月に、日蓮正宗からの教義違背等の責任をとって会長を辞任した際のことです。当時、教学部の主任部長だった桐村泰次さんから、「池田先生が会長を辞めざるをえなくなった原因は秋谷さんにあるんじゃないか」と有島重武さんが発言しているとの話があったのです。その話を僕がそのまま池田さんに伝えたところ、池田さんは「有島は鋭い。いい男だ」と有島さんを誉め、いかにも会長辞任の責任が秋谷さんにあるかのような態度を見せたんです。
 しかし池田さんが会長を辞任するにいたった経過の中で、決定的な役割を果たしたのは野崎勲さんでした。側近中の側近だった野崎さんが「池田先生は辞めざるを得ない」と言ったことに池田さんは大変なショックを受けたんです。その意味でいえば野崎さんの方が責任は重いのですが、池田さんは秋谷さんを悪者とした有島さんを誉めた。この背景には、池田さんの秋谷さんに対する不信感ともいうべきものがあったからです。

 ――なぜ、池田氏は秋谷氏に不信感を抱いていたのでしょうか。

 原島 秋谷さんという人は、冷静で事務能力にも長けている。池田さんとは正反対とも言うべき性格の人です。その秋谷さんに池田さんはコンプレックスをもっており、嫌悪感ともいうべき感情を抱いていました。
 また秋谷さんも、表向きは池田さんを立ててはいますが、心底、池田さんを尊敬しているという風ではなく、僕に対しても「池田先生の言っていることはよく分からないんだよな」などと、池田発言を批判するといいますか、軽視する発言をしていました。
 それだけに池田氏を礼賛する際にも、福島源次郎さんのように池田さんを手放しで礼賛するというようなことはなく、どちらかといえば抑制的でした。池田さんにしてみれば、そうした秋谷さんの態度は疳に障るというか、気に入らなかったんでしょう、「秋谷はずるい」などとも発言していました。

 処世としての池田礼賛

 ――その秋谷氏が、本部幹部会での発言や「聖教新聞」のコラムで、「『池田先生への報恩』に生きる」として、池田氏の「高恩、大恩」に報いると決意表明し、「一番偉大な存在であられる」などと礼賛している。25年間も会長を務めてきた人物が、はいつくばるようにして池田氏を礼賛しているわけで、呆れるばかりの卑屈さです。

 原島 一般論で言えば、25年も会長を務めた秋谷さんがそこまでやる必要があるのかということですが、そこまでしなければ生きていけないのが創価学会の世界なんです。というのも池田さんは側近には奴隷のようになって仕えることを求めますから、生き延びるためには従うしかない、処世術として池田さんを尊敬するそぶりをするしかないんです。ですから池田さんを尊敬しているとは思えない秋谷さんが、ここまで卑屈になって池田礼賛を繰り返す。逆説的に言えば、こうした処世を行えるがゆえに秋谷さんは会長になれたということです。

 ――秋谷氏の池田礼賛は、北朝鮮の朝鮮中央放送の金正日将軍礼賛を彷彿とさせます。独裁者が君臨する組織の通弊なのかもしれませんが、今回の池田氏による秋谷叱責と秋谷氏の池田礼賛は、池田氏の絶対性を際だたせるものとなっており、昨年来、創価学会が機関紙誌で繰り返している池田氏の絶対化を強化するキャンペーンの一環とも見ることができる。

 原島 創価学会にあっては池田さん一人が絶対者であることを、あらためて明確にする狙いがあることは間違いないでしょう。それは同時に、副理事長に昇格した池田博正さんを軸にした世襲体制を構築するための布石として、会長交代を視野にいれたものなのでは。すでに齢78歳、体調を崩すなど健康状態が万全ではない池田さんにすれば、ここで秋谷さんを引きずり下ろしておかなければ、という不安感と焦燥感があるように思われます。

 ――25年も会長を務めた秋谷氏の存在が、池田氏にとって疎ましいものとなっているということ?
 原島 前述のように池田さんは、昭和54年に会長を辞任したのですが、この際、池田さんは北條浩会長をはじめとする首脳・執行部に「池田先生の全財産を一時、預からせていただきます」という誓書を書かせようとしました。
 この事実は、池田さんが創価学会を自分のものと思っている証左であり、創価学会の私物化以外のなにものでもないのですが、この指示に反して、執行部は、結局、誓書を書かなかったのです。このことに池田さんは大不満でしたから、怨みに思っていることは間違いない。ですからその時の執行部の一員だった秋谷さんにだけは実権を渡したくないと思っているはずです。
 また、創価学会を他人に渡したくないと考えている以上、世襲は必然のことになりますが、僕が執行部に在籍している当時、秋谷さんが池田さんに世襲を進言するようなことはありませんでした。むしろ秋谷さんは世襲を快く思っていないはずです。その意味でも世襲を軸とするポスト池田体制を構築するには、秋谷さんの交代と世襲を推進する会長の就任が不可欠と池田さんは考えているでしょう。

 池田益をすべてに優先

 ――秋谷会長が交代した場合、後任の会長には、創価大学閥のトップに立つ正木正明副会長の就任が有力視されています。正木氏は、後継者と目された池田氏の次男である池田城久氏のご学友グループの中心者として頭角を現し、池田城久氏の死後は、池田氏の長男である池田博正氏の側近として男子部長・青年部長とエリートコースを歩んでいます。仮に正木氏が会長に就任し、池田博正氏を中心にした世襲体制が構築されていくと、創価学会はどのように変容していくと思われますか。

 原島 池田創価学会から池田家創価学会へと変わっていくでしょう。僕の父が亡くなった時、池田さんは僕に対して「池田家の一員として頑張れ」と発言しました。その意図は、池田家に連なり、池田家を守れということ。池田氏にとっては、池田家を守るという意識が強いか否かが重要なんです。
 それゆえ池田家の人間になりきらない秋谷さんは交代ということです。その点、正木氏は池田城久君、池田博正君の側近であり、文字通り池田家の一員として重用されている。今後、池田家を守り支えるという体制がますます強まっていくでしょう。具体的には後継者とされる池田博正君や池田尊弘君、さらには池田大作夫人のかねさんのカリスマが強化され、池田家に忠誠を誓わせる動きが顕著になると思います。

 ――「池田家万代路線」の構築ですね。

 原島 そうです。池田氏によって私物化されている創価学会を、池田家によって相続させ、池田家による支配を固めるということです。しかし古今東西の歴史が示しているように、独裁体制は必ず破綻し、崩壊します。組織の私物化も西武の堤王国がそうであったように、必ず行き詰まります。その意味で、昨今の創価学会の動きは、崩壊への歩みを加速度的に早めていると言っても過言ではないでしょう。

 ――その創価学会を母体とする公明党が政権与党の一角を占め、日本の政界に大きな影響力をもっていることは、問題であることは言うまでもありません。

 原島 今秋、公明党でも代表人事があり、神崎(武法代表)・冬柴(鉄三幹事長)体制に代わって太田(昭宏幹事長代行)・北側(一雄国交相)体制になると見られていますが、公明党には池田家を守るという役割がこれまで以上に課せられることは間違いありません。その結果、昨年の東京都議選で、創価大学出身者が大量に起用され、当選したように、池田家に近い創価大学出身者などが、次々に起用されることになるでしょう。
 国民の利益や国益よりも、池田家の利益を優先する。そうした政治体制がいかに日本の社会にとって有害であるか、そのことを指摘しておきたいと思います。

(はらしま・たかし)1938年東京・大田区生まれ。早稲田大学商学部卒業、創価学会責任役員、総務、教学部長のほか、「大白蓮華」編集兼発行人、聖教新聞社論説主幹、聖教新聞編集兼発行人など多くの要職を兼務する。著書に『生命哲学概論』『創価学会』『欲望と生命』(共著)『生命のドラマ・法華経』(池田大作監修)『御書と四条金吾』等池田氏との対談集、『池田大作先生への手紙』『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』など多数。

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2006年04月15日

特集/創価学会の人権悪用を砕いた二つの判決

「池田大作=創価学会」の言論封殺を退けた週刊ダイヤモンド訴訟の画期的な判決

古川利明 ジャーナリスト

 「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社発行)04年8月7日号が特集した「創価学会の経済力」の記事を巡り、同会副会長である最高幹部の一人、宮川清彦が同社と週刊ダイヤモンド編集長を相手取り、謝罪広告と1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、この3月10日、東京地裁民事第39部であり、藤下健裁判長は原告の請求をすべて棄却するという、「原告全面敗訴」の判決を言い渡した。

 そして、その3日後の13日には同じ東京地裁で、聖教新聞の例の中傷座談会において、名指しで誹謗、中傷された日蓮正宗寺院の住職が、宗教法人・創価学会と同会長・秋谷栄之助、同理事長・青木亨ら最高幹部6人を相手取って起こした訴訟でも、名誉毀損に基づく不法行為責任が認定され、被告側に80万円の賠償金の支払いを命じる判決が出ている。

 自らに対する批判には、民事提訴、刑事告訴を乱発することで、そういった記事がマスメディアには出ないように意図した、「池田大作=創価学会」の言論封殺を挫く意味で、いずれの判決も画期的であると高く評価したい。こうした視点から、なぜ、このような極めてまっとうな司法判断が出てきたのかを考えてみたい。

 「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦

 週刊ダイヤモンド訴訟は、「マスメディア支配/全国紙・地方紙に聖教新聞の委託印刷が拡大、月刊誌『選択』にも触手」という見出しで、「創価学会のM副会長が会員制情報誌『選択』を発行する選択出版の湯浅正巳社長に10億円の資金提供を持ちかけた」との旨、記事中で指摘したことに対し、「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦が、「記事は事実無根で、名誉を傷つけられた」として、04年12月末、提訴していたものである。

 事実認定に関しては、判決では原告側の主張をほとんど退けており、その判断に筆者も全く異論はないが、そもそも記事では、誰か特定されないよう、わざわざ「M副会長」と匿名(=イニシャル)で報じたものである。それを敢えて宮川本人が「M副会長は私」とカミングアウトして、裁判に持っていったあたりからして、極めて異例というか、はっきり言ってマンガであった(もっとも訴訟の提起自体、池田大作の指示であろう)。

 裁判の中で、被告側も「M副会長は宮川氏であると特定しうる」という部分に関しては争っていなかったが、公称約17万部の同誌の中心読者層は、30代から50代の男性で、高学歴の中間管理職以上のビジネスマンである。99年体制以降、日本の政権中枢に居座り続けている「創価学会・公明党=池田大作」に対し、こうした読者層がそれなりに強い関心を持っていること自体は容易に推測されるが、ただ、この記事を読んだだけで、よほどの「通」でなければ、「M副会長」が即、「宮川清彦」であるとわかるのは、まずいない。
 恥ずかしながら、実は筆者もこの記事を最初に読んだとき、「M副会長」が宮川であるとピンと来なかった。
 確かに、「東大在学中に池田大作の3人の息子の家庭教師を務めた」とのくだりはあるが、「信濃町で石を投げれば副会長に当たる」と揶揄されるほど、現在では300人を越えるほどの夥しい数を誇る副会長で、おそらく東大卒は宮川だけではないだろう。ひょっとしたら、宮川以外にも池田の息子の家庭教師をやった人物がいるかもしれない。
 それと、宮川が「信越長(本人が法廷で主張したところによれば、正確には「信越総合長」)として長野県内の財務を全国トップに押し上げた」という“実績”を、本当に恥ずかしながら、筆者は知らなかった。もし、このことを知っていれば、「東大在学中に池田大作の息子たちの家庭教師をやっていた」との情報とリンクさせることで、「M副会長は宮川清彦である」とすぐに特定できただろう。だが、それがわかるのは、少なくとも学会員でも、選挙になればちゃんとF票を取ってくる活動家クラス以上だが、しかし、それでもそこまでドンピシャリと特定できるのは、相当の中枢にいる人間に絞られてくる。

 むしろ、週刊ダイヤモンドが匿名にしたのは、記事の中で原島嵩・元創価学会教学部長が「Mが動いたということは、池田氏の指示に間違いない」とコメントを寄せているように、あくまでこの『選択』への資金提供問題は「池田大作案件」であり、池田の指示で動く人物であれば、要は誰でもよかったわけである。であるなら、敢えてここで実名を提示する必要もなかったと編集部は判断したのではないか、と推測するのである。

 言論封殺を意図した実質的な原告は池田大作か

 このように、この週刊ダイヤモンド訴訟の原告は宮川であるが、実質的には池田大作であるといってもよい。である以上、そこには当然、「池田大作の意思」がダイレクトに働いている。その「意思」とは、自らを批判する言論は徹底的に封殺することである。

 公明党(=創価学会・池田大作)が与党入りした99年以降、彼らが最も力を入れてきたものが、「名誉毀損訴訟の賠償金高額化」「個人情報保護法」「人権擁護法」という“言論弾圧3点セット”の実現だった。
 詳しくは拙著『デジタル・ヘル――サイバー化監視社会の闇』(第三書館)の「第四章 『個人情報保護法』はいかにして歪められていったか」を参照して頂きたいが、こうした方向に「公明党=創価学会・池田大作」がカジを切る決定打となったのが、週刊新潮の96年2月22日号が「私は池田大作にレイプされた」との信平信子・元創価学会北海道婦人部幹部の手記を掲載したことである。ここから、「公明党=創価学会」に対する批判はもちろんだが、それ以上に、“現代の生き仏”である池田大作の批判を絶対に封じ込めるための施策が必要と考え、それには何としてでも政権与党に入らざるを得ない、との判断を池田自らが行ったからである。

 確かに、世論の強い反対から人権擁護法は成立せず、また、個人情報保護法も再提出された改正案では、「言論出版妨害」に関わる部分については相当、マイルドなものに改善はされた。が、99年以降の「自自公―自公保―自公」体制で、「本当は全体主義が理想の形態だ」とうそぶく人物(=池田大作)が事実上の「ウラの総理大臣」として君臨し続けたことで、マスメディアも司法も、そして、社会全体が池田大作(=公明党・創価学会)に対して萎縮し、ダンマリを決め込んできた。

 例えば、こうした流れの中で、01年にはゲリラ的なスクープを飛ばしてきた週刊宝石とフォーカスが相次いで休刊に追い込まれ、02年3月の「噂の真相」の名誉毀損事件に対する一審東京地裁での有罪判決を機に、岡留安則編集長は最終的に雑誌の休刊を決断した。大手週刊誌でも「公明党・創価学会=池田大作」問題を取り上げるのは、事実上、週刊新潮の一誌のみという、極めてお寒い状況が続く最中、04年3月には、週刊文春が報じた田中真紀子の長女の離婚記事を巡り、同じ東京地裁が版元に対して出版差し止めを命じる仮処分決定を下すという、トンデモない事態も起こったのである。

 こうした流れが変わる分水嶺となったのが、04年秋、東京地検特捜部が例のNTTドコモ携帯電話不正アクセス事件の摘発で、本誌発行人でもある乙骨正生氏の被害をも立件したあたりからである。そこから年が明けて05年に入り、創価学会かたり融資詐欺やセクハラ全国男子部長解任騒動などの不祥事が噴出したことで、新潮以外の大手週刊誌にも学会批判の記事がようやく出始めていた。で、その矢先、小泉の突然の“発狂解散”による昨年9月の総選挙において、自民党が300議席の大台に迫る圧勝だったのに対し、公明党は現有より3議席も落とす惨敗を喫したことで、政権中枢への影響力がそれまでより大きく低下した。

 裁判所もこうした世論や、政権中枢におけるパワーバランスには極めて敏感である。今回の週刊ダイヤモンド訴訟も含め、東京地裁で相次いで画期的な判決が出された背景には、こうした状況の変化もあったといえる。
 本来、「言論の自由」とは、天賦のものとして付与された大事な権利である。しかし、現実には、権力の側によって不当に貶められ、弾圧されてきた。残念ながら、それが人間の歴史である。とりわけ、「公明党=創価学会・池田大作」という、極めて全体主義的な体質を持つ政治勢力が政権中枢に入り込んだ「99年体制」以降においては、非常に厳しい状態が続いていた。
 しかし、こうした権利は、戦う(=書く)こと以外に勝ち取ることはできない。
 それゆえ、戦うことを止めれば、それは自動的に消え去る運命にある。なぜなら、この現実社会は、権利を与えまいとする側と、それを奪う側との絶えざる拮抗関係にあるからだ。言い換えるなら、「言論の自由」とは、書き続ける行為の中に存在する。それゆえ、「水に落ちた犬」はさらにもっと厳しく叩かねばならない。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

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2006年04月01日

特集/池田博正副理事長昇格の意味と創価学会・公明党人事

「永久・絶対」が虚しい副理事長昇格乙骨正生 ジャーナリスト

 事実に反する“虚言”

 「央 将来の学会の後継者に息子さんをするという週刊誌の記事を読んだことがあります。私は学会は世襲制はしないと以前から聞いていましたが、一体どうなんでしょう。
 池田 学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。私から北条第四代会長へもそうでした。いわんや会則のもとでは絶対にありえないことです。念のために申し上げれば、長男は高等学校の教員、次男は大学の職員です。三男坊はまだ大学生です。いずれにせよ、まったく論拠のない推測記事でしょう」

 これは昭和55年4月に発行された朝日新聞の元創価学会・池田番の担当記者だった央(なかば)忠邦氏が執筆した『池田大作の軌跡――1』に掲載された「池田名誉会長に聞く」と題するインタビュー中のやり取りである。
 創価学会の後継問題について問われた池田氏は、言下に「世襲制」を否定。それも「永久」かつ「絶対」にありえないとした上で、「念のため」と称して長男・次男・三男がいずれも創価学会の要職にないことをアピールしている。
 この発言を額面通り受け取るならば、創価学会に「世襲」はなく、池田氏の子息が後継者になることはないということになる。
 だがこの池田インタビューには、以下のようなやりとりがあり、池田発言が額面通り受け取れないことを自ら証明してしまっている。

 「央 ところで、よく、竹入公明党委員長との不仲説がいわれておりますが、本当ですか。
 池田 まったく心外です。ご存知のように、流言飛語は、しょっちゅうあります。いまのように複雑な時代になればなるほど、分断を策する動きが働くのは当然のことでしょう。私は、何をいわれても意に介しませんが、そのような事実はまったくございません。誰かがいっておりましたが、あまり仲が良いと政教一致といわれるので、不仲のように見せかけた方が政教分離と(笑)……。気をきかしているのがいるんではないですかと(笑)……。まったく根拠のない話です。どうか、竹入さんにも聞いてみてください」

 竹入氏を「犬畜生に劣る不知恩の輩」だとして、連日のように激しい誹謗中傷を繰り返している今日から見れば、池田発言がいかに“虚偽”に満ちた、その場しのぎのものであったかは明らかである。そのことは、今日では不倶戴天の関係にある日蓮正宗との関係についても、池田氏が次のように語っていることからも裏付けられる。

 「央 将来、学会が、日蓮正宗から独立するというウワサは本当ですか。
 池田 まったくありません。一時、感情的にトラブルはありましたが、それは感情次元であって、学会の根本方針ではありません」。(中略)
 私どもは、どこまでも御法主上人猊下の御指南どおり、実践してまいりたいと決意しております。日蓮正宗の根本規範は、あくまでも御法主です」

 こうした池田発言と現実との乖離・齟齬、というよりも、ここでの池田発言と現実が正反対になっている事実に鑑みるならば、創価学会の後継者は子息に間違いはなく、世襲は確実ということになろう。

 50代唯一の副理事長に就任

 3月9日に行われた本部幹部会の席上、池田大作氏の長男である池田博正氏が副理事長に昇格したことは、その表れであることは間違いない。今回、池田博正氏は聖教新聞代表理事の原田光治副会長、池田大作氏の秘書業務を担当する第一庶務のトップである長谷川重夫副会長とともに副理事長に昇格したが、この原田、長谷川両氏をはじめ、すでに副理事長職にある山崎尚見、原田稔、西口良三氏をはじめとする各副理事長は、いずれも60代以上、50代の副理事長は池田博正氏一人である。
 ましてやこの人事の直前、池田博正氏は創価学会代表団の代表として台湾を訪問し、中国文化大学の名誉博士号を受けるや、その足で創価大学代表団の一員として中国を訪問し、北京で唐家セン国務委員(前外相)に、池田大作氏の伝言を伝えるという“重責”を果たしている。

 昨今、台湾と中国との関係は、中国が国家分裂法を制定し、台湾が独立を選択した場合、武力行使も辞さないとの姿勢を示し、軍事的圧力を強めていることから、極めて悪化しており、台湾海峡をはさんで両者は強い緊張関係にある。
 そうしたさなかに台湾を訪問した足で中国に赴き、政府要人との会見をアピールすることの意図が那辺にあるかは明らかだろう。

 また1月26日以後、創価学会は「聖教新聞」の創刊55周年パーティを東京、大阪、名古屋、札幌、仙台などで開催しているが、これに池田博正氏が、学会本部を代表するような立場で出席している。
 「聖教新聞」報道によれば、このパーティには、財界の一流どころが、雲霞のように出席しているという。当然、池田博正氏はそれらの一流どころに相次いで紹介されていることだろう。
 その意味では、コント55号でもあるまいし、創立55周年という奇妙な年次に「聖教新聞」の創刊記念パーティを開催した狙いは、池田博正氏を各界の人々に対し紹介するお披露目パーティの色彩をもっていたと見ることも可能だ。

 いずれにせよ、今回の副理事長への昇格人事ならびに名誉博士号の授与や唐国務委員との会見など一連の動きで、その役職名がいかなるものになるかはともかくとして、池田博正氏が後継者であることが、あらためて明白になったといえるだろう。
 今後、ポスト池田大作体制が構築されるなかで、創価学会の人事がどのようなものとなるかが注目されるが、会長や理事長の交代の要因として、あるいは本誌の特報で報じられている名誉毀損での不法行為責任の認定が影響する可能性もある。
 同時に、実質、創価学会政治部である公明党の人事ならびに体制がどうなっていくのかにも、社会的な関心が集まるだろう。3月初旬に、神崎・冬柴体制が、今秋で終わりとの報道がなされたが、それが創価学会のポスト池田大作体制人事と連動している可能性も否定できない。神崎代表、冬柴幹事長の後任として取りざたされている太田昭宏幹事長代行は、創価学会の男子部長・青年部長を歴任したいわゆる創価学会の本流に位置する人物。そして北側一雄国土交通大臣は、創価高校・創価大学出身の文字通りの池田門下生である。
 池田博正氏の副理事長昇格によって、今後、本格化するであろうポスト池田大作体制の構築にあたって、創価学会と公明党の人事ならびに体制がどのようになっていくのか、その帰趨がこれまで以上に注目される。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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特報/東京地裁―日蓮正宗僧侶への誹謗中傷記事で創価学会による名誉毀損を認定

本誌編集部

事実無根のデマ記事で中傷

 宗教法人・創価学会ならびに秋谷栄之助会長、青木亨理事長(宗教法人・創価学会代表役員)、原田稔副理事長、奥山義朗副会長、杉山保青年部長、弓谷照彦男子部長という創価学会の首脳幹部らの名誉毀損による不法行為責任が、3月13日、東京地方裁判所で認定された。

 3月13日午後、東京地方裁判所民事18部(原敏雄裁判長)は、日蓮正宗の本山・妙蓮寺塔中寺院・本妙坊の樽澤道広住職が、「聖教新聞」掲載の座談会記事で名誉を毀損されたとして、宗教法人・創価学会と秋谷会長、青木理事長以下6名の被告を相手取り、「聖教新聞」紙上への謝罪広告と損害賠償1000万円の支払いを求めていた民事訴訟において、被告全員の不法行為責任を認定、原告に80万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を言い渡した。

 問題となったのは平成16年2月13日付「聖教新聞」掲載の「大石寺は悪鬼魔民の栖」とのタイトルのつけられた「正義と勝利の座談会」。同記事で秋谷会長、青木理事長、原田副理事長以下の首脳幹部は、平成6年(実際は平成7年で「聖教新聞」の誤記)に行われた本妙坊信徒の葬儀の席上、樽澤住職が戒名料200万円を強要したとして、「樽沢道広 葬儀で開口一番“戒名に200万円出せ?瓩閥?要」の見出しのもと、次のように樽澤住職を誹謗したのだった。

 「日顕宗は末寺も大石寺も、こんなろくでなしの坊主だらけだ。本妙坊の樽沢道広も強欲のクソ坊主で有名だ。」
 「卑しい“商売根性?甦歃个靴里笋弔世福?
 「『ボッタクリ』そのものだ」
 「『法を食らう餓鬼』そのものだな」

 だが樽澤住職が本妙坊の住職に就任したのは平成11年5月であり、平成6年(実際は7年)の葬儀当時、樽澤住職は本妙坊とは無関係であり、葬儀にもまったくかかわっていなかった。要するに「聖教新聞」の記事は、樽澤住職にとってまったくの事実無根のデマ。いまはやりの言葉で言えば「ガセネタ」だったのである。

 そこで樽澤住職は、平成16年3月、記事は名誉毀損であり、重大な人権侵害にあたるとして、東京地裁に前記の名誉毀損に基づく損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を提起したのだった。
 これに対して創価学会側は、記事は日蓮正宗に対する「純粋に宗教的言論・論争の範疇に属する宗教的批判からされたものであって、社会通念に従って名誉毀損性の有無を論ずべき次元の批判・論争とは性格を異にしている」とか、秋谷会長、青木理事長、原田副理事長をはじめとする首脳幹部の発言は、「日蓮正宗及び同宗僧侶の行状に関して教義違背の指摘、宗教上の批判、論評を加えたものにすぎない」などと反論。
 口汚い表現についても、「仏法用語を使用するなどしたものであり、不当に原告個人に人身攻撃を加えるものでない」などと主張。また記事内容についても「真実であるか、真実であると信ずるにつき相当の理由がある」などとして原告の請求を斥けるよう求めていた。

 だが東京地裁民事18部は、記事は原告をして「不当に高額な戒名料を要求したりする、欲深い卑しい人間であるとの印象を」読者にもたせることは明らかであり、「原告の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損する」と名誉毀損性を認定。
 宗教的論争・論評であり樽澤住職個人を攻撃するものではないとする被告の主張にも理由がなく、記事の真実性や真実相当性についても「その重要な部分について真実であることの証明はなく、また、被告らにはこれを真実と信じたことについて相当の理由もないから、被告秋谷らが本件各発言をし、被告創価学会が本件記事を新聞紙上に掲載し、同新聞を頒布した行為は、原告に対する名誉毀損として不法行為を構成する」として、被告全員の不法行為責任を認定し、原告の樽澤住職に80万円の損害賠償を支払うよう命じた。

 人権を盾にして人権を侵害

 周知のように創価学会は、「言論による人権侵害を許すな」などと主張し、名誉毀損の損害賠償額の高額化や、名誉毀損罪の速やかな適用などを恒常的に訴えている。
 例えば平成13年12月21日付「聖教新聞」掲載の「名誉毀損賠償額の高さは『人権のバロメーター」「『賠償の高額化』は世界の潮流」と題する座談会記事には次のようにある。
 「原田(東京総合長)マスコミによる名誉毀損の話が出たが、欧米では、悪質な人権侵害に対しては数千万円、数億円の損害賠償金という例がざらだ。

 山本(九州長)アメリカでは報道機関が100万ドル(約1億2000万円)を超える賠償額を言い渡された例が、いくつもある。昨年と一昨年の2年間に限ってみても、10件もあったそうだ。

 秋谷 結局、賠償額の高さが『人権のバロメーター』になってきている。そういう時代だ。

 山本 その意味でも、日本は『後進国』だが最近は、ようやく、動きが出てきた。今年7月に判決の出た、有名女優の名誉毀損訴訟など、その象徴的な例だ。

 原田 東京高裁が、この女優を誹謗する記事を載せた雑誌社に対して、500万円の損害賠償金の支払いを命令した判決だ。

 山本 判決では、『慰謝料を軽く評価してきた過去の裁判例に拘束されるのは正義と公平の理念に合わない』『人格に配慮せず購買意欲をあおる週刊誌には多少の賠償の支払いでは違法行為の自制は期待できない』として、賠償額を『1000万円を下回るものではない』と算定していた。

 西口 要するに“一審判決の500万円ではまだ不十分である。1000万円は支払うべきだ”という判決だ。

 森田 手厳しいね。

 原田 結局、女優側が一審判決に不服を申し立てず、雑誌社も上告しなかったために、500万円の賠償金で決着したが、これが今の社会の流れだ。『賠償金の高額化』は、社会の趨勢だ。

 山本 最近では法律の専門家の間でも、賠償金を高くするべきだ、という声が多くなってきた。

 原田 たとえば東京高裁の判事を務めた聖心女子大学の升田純教授。『(低額の賠償は)名誉毀損の加害者に不当な利益を得させ、名誉毀損行為を促進する機能をもつことになり、社会的にも不当・違法な結果を誘発する』と論じている。

 山本 名誉毀損裁判に詳しい矢田次男弁護士等も『依然、加害者の名誉毀損行為を一般的に防止し、被害者の精神的損害を慰謝するとは言い難く、未だ慰謝料額が名目的な低額に失している』と訴えている。

 秋谷 まったく正しい。(中略)

 原田 いずれにしても、賠償額が被害に見合わないとの意見は、今年5月の衆院法務委員会でも出され、森山真弓法相も『全体的に低すぎる』と認めている。

 森田 公明党は『人権を守る』党だろう?だったら、こういう人権侵害のマスコミの問題こそ、もっともっと国会で追及してもらいたい。責任者を国会喚問して、厳しく問い質すべきじゃないのか。与党とも野党とも協力して、断固、戦ってもらいたい。

 秋谷 その通りだ。『言論の暴力』は、民主主義を破壊する元凶だ。『放置』は許されない。厳しく対処していくべきだ」

 判決に先立つ1カ月の2月6日付「聖教新聞」掲載の、「敗訴 断罪 賠償命令が続出する一部週刊誌の人権蹂躙」と題する座談会記事でも、秋谷会長と青木理事長はこう述べていた。

 「秋谷 事実無根のデマ!金儲けのウソ!絶対に放置してはならない」
 「青木(理事長)その通りだ。政治家、司法関係者が先頭に立って、高額化など罰則の強化を徹底すべきだ。それが市民の声だ。世界の大勢だ。時代の流れだ」

 こうした主張を恒常的に繰り返す一方で、自らは日蓮正宗僧侶の名誉を事実無根のデマで毀損していたのだから、その責任は重大である。ましてや公共性や公益性に基づいて、税法上の優遇措置などを受けている宗教法人それ自体や、宗教法人の代表役員が名誉毀損という人権侵害行為で不法行為責任を認定されたことの意味は重い。
 だが「聖教新聞」が同判決を1行も報じないことに象徴されるように、創価学会には名誉毀損行為を反省する姿勢はまったく見られない。
 反省するどころか判決後の3月16日付「聖教新聞」では、「『強欲のクソ坊主』『法を食らう餓鬼』の罵詈雑言で敗訴した『聖教新聞』」とのタイトルで、同判決の内容を報じる本紙発行人・乙骨正生の記事を掲載した「週刊新潮」を、「デマ新潮」「人権侵害誌」と罵っている有り様である。
 いずれにせよ、人権を最大限活用して創価学会に批判的な言論を封じ込めようと腐心する一方で、自らは創価学会に批判的な人物や団体を口汚く罵り続けている創価学会の反人権体質が、司法の場で厳しく問われたことの意味は大きい。

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2006年03月15日

特集/田原総一朗「オフレコ!」誌 秋谷インタビューを斬る

評論家・田原の無残な秋谷インタビュー創価学会に「何を遠慮しているのですか?」川崎泰資(椙山女学園大学客員教授)

 評論家の田原総一朗が責任編集、「タブーに挑む新メディア」と豪語する新雑誌、「オフレコ!」の2号が出た。「巻頭スクープ 創価学会会長 秋谷栄之助」と銘打ち「創価学会は最近、遠慮していませんか?」とある。思わせぶりなキャッチコピーだ。
 編集後記では、「誰もが関心をもちつつ体当たりすることに躊躇していた創価学会会長秋谷栄之助……へのインタビューで私は本音の疑問をぶつけ」とある。学会の本音に迫るのかと期待を抱かせるに十分な気負いだ。だが一読して仰天。内容空疎な大言壮語とはこのことだ。
 創価学会のタブーには何も触れず、政権与党になった創価学会・公明党の小泉政権下での実態に迫る質問はない。それどころか「公明党が自民党と連立して創価学会が遠慮しているところはないんですか?」と問い、秋谷に「公明党との関係を考えますと、現実の政治の世界は妥協しなければならないことがある。……それだけ、幅ができたということです」と軽くいなされておしまいだ。これでは学会が政権政党に遠慮しているのでなく、田原自身が創価学会に何を遠慮しているのかと言われても止むを得ない。

 政教分離との関わり

 今、創価学会について世間が知りたいことといえば、創価学会と事実上一体の公明党が自民党と連立政権を組み、政治の中枢で権力を握っていることからくるさまざまな不透明な問題である。最近の4点セットなど政治社会を揺るがす事件との関わりもそうだ。
 学会は公明党の支持団体であり「政教一致」の批判は当たらないと一貫して主張しているが、昨年の総選挙での実態を見ればこれが偽りであることは歴然としている。選挙を「法戦」と称し、学会員以外の票を集めるフレンド票の確保で選挙戦での公明党の票を伸ばし、それが「広宣流布」の達成につながるという戦略。公明党候補のいない選挙区の票は自民党に入れ、その見返りに自民党支持者から比例区に公明党と書かせる珍妙なバーターの徹底。学会主導のこの票集めの実態は学会が宗教団体でなく選挙団体に他ならないことを実証し、この比例区で集めた偽りの公明党票を学会の実勢力と呼称する欺瞞。そしてこの票集めが布教だとして日本の政治を宗教支配の下におく学会のあり方を問題にしない。
 具体的には学会が平和勢力を主張しながらイラクへの自衛隊派遣に賛成したり、首相の靖国神社参拝問題に反対しながら小泉政権との連立の維持には熱心であることへの疑問である。この対談でも秋谷会長が首相の靖国参拝については「政教分離のうえからも疑義があり反対」と言っていると述べたのに対し、田原は何の批判も突っ込みもなく「そこははっきりしていただいて、ありがとうございます」と、何を有り難がっているのか分からない。
 さらに「公明党との関係を考えますと、現実の政治の世界は妥協しなければならないことがある」「それだけ幅ができたということです」とはぐらかされる。どだい、政教一致の学会の指導者が首相の靖国参拝を政教分離の上から問題があると言うこと自体が笑止だ。
 創価学会は公明党発展の功労者、竹入元委員長の学会と公明党の赤裸々な関係を明らかにした「回顧録」をやり玉にあげて数年前、竹入つぶしを行った。今度は矢野元委員長が93年から94年にかけて月刊誌『文藝春秋』に連載した「政界仕掛人 極秘メモ全公開」が気に入らないとして突如、矢野攻撃を始め、矢野氏の社会的抹殺を図る言動に出ている。
 学会の機関紙、聖教新聞では最近ことあるごとに矢野氏を誹謗中傷する記事を書き、ほとんど罵詈雑言に近いような攻撃を行っている。公明党はれっきとした政党であり、学会以外の人の支持も得ているのに学会が自分の都合で一方的に攻撃してはばからないのは、文字通り政教一致の証拠でもあろう。竹入、矢野と公明党の発展に尽くした元委員長は、10年以上前の記事で公明党からでなく学会からの言論弾圧で人格も傷つけられている。
 このことを田原は知らないはずはないのに、一言も触れていない。田原はいつから学会の御用聞きになったのか。

 姉歯元建築士、ヒューザー、ホリエモン

 耐震強度偽装、ライブドア事件、防衛施設庁の官製談合、米牛肉輸入など小泉政権を揺るがす4点セットと公明党、学会との関わりも聞きたいところだが、これも不発だ。
 田原が現代の世相を取り上げ、一連の生命のことを考えない事件が続いているとその原因を質すと、秋谷は「われわれ仏教の立場から言いますと、命がなによりも大事だという価値観が薄れてしまっている。あまりに生命を軽く見過ぎる時代の風潮といいますかね」と答え、なぜそうなったのかは家族・社会の環境の変化、それにテレビやゲームの影響など現実とバーチャルの世界の区別がつかなくなったと責任を他に転嫁するようなことでお茶を濁される。
 ここで聞かなければならない姉歯元建築士が創価学会員だという事実、選挙で事実上自民党からの立候補に近かったホリエモンが、「比例区は公明党にお願いします」と連呼した事実と選挙後ひそかに学会を訪れている経緯など、ジャーナリストなら当然問いただす必要がある。またヒューザーの小嶋社長が政界工作の際に公明党議員が役立ったと述べている事実や、児童手当の拡大と取引して防衛庁の省昇格を容認している等の経緯についても学会の関与を質すべきであったのにこれも不問だ。誰もが関心を持ちつつ学会への体当たりに躊躇するのは、学会の報復を恐れて肝心なことを聞くことができないからで、結局このようなインタビューになるのを恥じるからであろう。権力者や有力者と会うことだけが目的となっているような最近の田原ならではのインタビュー記事の典型だ。
 ホリエモンについても、ニッポン放送の買収問題の時や、総選挙で広島から自民党の刺客として立候補した際に時代の寵児とし自ら司会するテレビ番組でさんざん持ち上げていかにも親しげに振る舞っていたにもかかわらず、失脚するとホリエモンを評価していたのは自分だけではなく朝日新聞も同様だと大新聞の権威に縋って責任逃れの節操の無さだ。

 池田名誉会長論での露骨なすり寄り

 田原は最後に「池田さんが素晴らしすぎるから、後継問題をどうするのか。世の中の噂というか、好奇心を抱いているんですが。そのへんはどういうふうに?」と水を向け、秋谷が「立派な後継者がいっぱい育っています」と応じたあと勝手な学会の権威論を語らせる。
 秋谷は「権威はなんだと考えると知識の独占ということが大きい」として、「坊主はお経をあげられるから人が死んだときに成仏させられる。教義もある程度説法でき、民衆はそれを聞き、坊主は権威があった。創価学会は自分でお経をあげられるようになり、教義も皆勉強した結果、権威が通用しなくなった。それを無理やり押さえ付けようとする宗教、大石寺と別れた原因」(趣意)と、本山と対立し破門された経緯を一方的に都合のいいように宣伝する。田原はそれを聞くだけで反論しない。これでは田原インタビューの利用価値は学会にとって極めて高い。
 さらに秋谷は「権威が差別をつけて成り立っていた。それを創価学会が壊したことは間違いない」「(学会では)全国に1000以上の会館があるんですが、そうすると名誉会長の指導が、第一線まで直接届く」と自画自賛する。
 だが当の創価学会の池田名誉会長は26の国から国家勲章を受け、185の名誉学術称号を受けるなど、勲章や学位などの世俗の権威に対する異常な執着を示しているほか、世界の著名人と対談(?)らしきもので自らの権威を飾り立てていることとの関連はどうなる。
 田原はさらに「今の社会は問題がいっぱいある。その社会を変えるエネルギー、あるいは覚悟。創価学会には少し欠けてきたんじゃないかな」と批判の目を向けたが、「欠けてきたんじゃなくて、ちゃんと内在してありますよ」「それだけの成熟がある」と軽くいなされるだけだ。

 強者にへつらい、弱者に居丈高

 最近評論家の佐高信が田原にジャーナリスト引退の勧めを説いている。田原が自分の番組に登場する人たちに対し、特に権力者や将来、力を得そうな人にはあからさまにすり寄り、面と向かって歯の浮くようなお世辞を言うのを大方の視聴者は苦々しく感じている。
 たとえば安倍官房長官には、彼が幹事長や代理を務めていた時から「自分に都合が悪いテーマなのによく出演してくれた」「将来偉くなる人は違う」と面と向かって歯の浮くようなをオベンチャラをいう。だが都合の悪いことは何も聞かない。これでは番組に彼が安心して出てくるのもうなずける。一方、自分の思い込みに反する場合、その人が彼から見て弱者にあたると見れば政治家でも評論家でも相手の発言を無礼にもさえぎり、下品な言い方で暴言を吐くことも再三だ。田原は権力者や著名人を番組に出すことで自らが偉くなったような錯覚を起こしたのか、番組の最中話題になった人物にしばしば、この番組を見ていたらすぐ電話をください等といかにも親しげに呼びかけ、自分ならそれができると誇示する。
 これはジャーナリストというより、本質的には商売上手のアジテーターのやり口だ。
 ともかく、このインタビューは一方的に秋谷の言いたい放題で、学会の宣伝に終始している。これでは学会側がインタビューに喜んで応じるはずだ、「巻頭スクープ」とはどこから見ても言えるものではない。キャッチコピーの「創価学会は最近遠慮していませんか?」は、そっくりそのまま「田原さんは学会に何を遠慮しているのですか?」と返したい。(文中・敬称略)

川崎泰資(かわさき・やすし)椙山女学園大学客員教授。1934年生まれ。東大文学部社会学科卒。NHK政治部、ボン支局長、放送文化研究所主任研究員、甲府放送局長、会長室審議委員、大谷女子短大教授を歴任。著書に『NHKと政治―蝕まれた公共放送』(朝日文庫)など。

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2006年03月01日

特集/聖教新聞55周年祝賀会から見えるもの

追従するマスコミ・財界トップの罪深さ
乙骨正生(ジャーナリスト)

 非人間的な「人間の機関紙」

 「人間がいます。聖教新聞社の本」
 これは創価学会の出版部門である聖教新聞社が、新聞や電車の中吊り広告に掲載しているキャッチ・コピーである。創価学会は「人間主義」を標榜しているだけに「人間」という言葉が好きらしく、「聖教新聞」を「人間の機関紙」などともPRしている。
 その「人間の機関紙」だという「聖教新聞」の創刊55周年祝賀会が、1月26日、都内のホテル・ニューオータニで開かれた。その模様を報じる1月27日付「聖教新聞」によれば、祝賀会には各種企業や団体の代表や24カ国・地域の大使館関係者など1700人が出席。来賓からはこんな讃辞の声が相次いだという。そのいくつかを紹介しよう。まずは全日空代表取締役会長の大橋洋治氏のコメントから。
 「聖教新聞には、人間尊重の理念があり、世界の平和のための『正論』を発信しています。ここに、世界の摩擦を解決する方途があります。100周年、200周年を目指し、その哲学を持ち続けていただきたい」
 続いては電通の俣木盾夫代表取締役社長。
 「聖教新聞は世の中を元気にし、幸せにしてきました。戦後、日本人が一番大事にしなければならないものである、平和・文化・教育という視点を編集方針にされてきたことが、読者の支持を得ている理由であると思います」
 この創立55周年祝賀会は、2月15日には北海道札幌市で、同16日には宮城県仙台市でも開催され、会場には東京同様、北海道や東北各県の各種企業・団体の代表が多数参加したと喧伝(「聖教新聞」2月16・17日付)している。その紙面には1月27日付同様、次のような来賓の讃辞の声が載せられている。まずは北海道祝賀会から。
 「時代の風潮に少しも流されることなく、確たる哲学・理念を基調とした聖教新聞の論調こそ、今の時代に最も求められるものだと思います」(札幌大学理事長 堀達也氏)
  同様に仙台市での祝賀会に参加した来賓の声。
 「混迷の社会。貴紙のような明確な価値観と主張をもった報道機関の重要性が高まっています。55年という歴史で、一流の地位を築かれたことを心からお喜び申し上げます」(河北新報取締役会長 一力一夫氏)
  まさに歯の浮くようなお世辞の連続。それだけに創価学会は大喜び。さっそく2月6日付「聖教新聞」掲載の「週刊座談会」で、「一流企業が賞讃」との見出しで次のように宣伝した。
 「青木(理事長)さらにまた1月26日には、聖教新聞の創刊55周年記念の祝賀会が盛大に開催された。
 原田(副理事長)大盛会だった。駐日大使ら24カ国・地域の大使館関係者をはじめ、各界を代表する来賓など1700人が来場された。
 佐藤(男子部長)名だたる一流企業のトップばかりです。皆さん、聖教新聞の大発展と、池田先生の活字・出版文化への多大な貢献を最大に称讃しておられましたね」
 周知のように創価学会は政権与党・公明党のバックボーンとして大きな政治的影響力を持っている。また、創価学会は「財務」や「広布基金」という寄付行為を通じて学会員から年間数百億円とも数千億円ともいわれる巨額の金を集めており、経済界・マスコミ界は、その政治力と巨大な資金力の前に屈している。創刊55周年祝賀会での各種来賓の讃辞は、そうした日本の経済界・マスコミ界の創価学会に対する姿勢の表れといえよう。
 特に宮城県の県紙ともいえる「河北新報」と、日本を代表する広告代理店である電通の首脳が、相次いで「聖教新聞」を賛嘆している事実は、日本のマスコミ界の創価学会迎合の深刻さを象徴的に示している。このうち電通は、一昨年4月から10月にかけて静岡県浜松市で開催された「浜名湖花博」での池田大作写真展の広告に介在していたことは、すでに本誌既報の通り。
 いずれにせよ取引関係のある企業のトップが祝賀会で辛口のコメントをするはずもない。その内容が礼賛になるのは無理からぬところ。とはいえ「聖教新聞」に「人間尊重の理念がある」とか、「聖教新聞は世の中を元気にし、幸せにしてきました」とは、呆れるばかりのお追従としかいいようがない。
 なぜなら本誌の連載「今月の『悪口雑言』――『平和と人権』を看板にする団体の“ホンネ”集」に顕著なように、創価学会は恒常的に他者の人権も名誉もおかまいなしの激しい誹謗中傷を繰り返しているからである。その一例として、創立55周年祝賀会の直前にあたる1月16日付「聖教新聞」に掲載された「週刊座談会」を紹介しよう。
 「支持者を裏切る恩知らずは叩き出せ!」「裏切り者の末路」などの見出しのつけられた座談会記事では、創立55周年祝賀会で挨拶した秋谷会長や青木理事長、原田副理事長らが、激しく竹入義勝元公明党委員長らを誹謗している。
 「秋谷 残念ながら過去には、公明党から恩知らずの裏切り者が何人か出た。竹入のような党首までさせてもらいながら、権力の魔性に狂い、人の道を踏み外した連中がいた。
 青木 党の責任だ。公明党は、竹入のような恩知らずの犬畜生は、二度と出すな!叩き出せ!断じて戦え!
 原田 だいたい、どれほど竹入が大ウソつきのインチキ野郎か」

 歴史的事実の抹消を企図

 ここで秋谷氏は竹入氏を「人の道を踏み外した連中」すなわち「外道」と誹謗。これを受けて青木氏は竹入氏を「恩知らずの犬畜生」と罵っている。さらに原田氏は竹入氏を「大ウソつきのインチキ野郎」と中傷している。これらの物言いのどこに「人間尊重の理念」があるというのだろうか。しかも秋谷会長らは、この後、次のように日中国交正常化に寄与した竹入氏の業績を否定する。
 「佐藤(男子部長)何しろ、あいつは学歴詐称だからな(爆笑)。
 竹内(青年部長)女房も『経歴詐称』。息子も『大学不正入学疑惑』。こんな『詐称一家』『経歴捏造一家』は、日本中、どこを探したって、いないだろう(大笑い)。
 佐藤 それにまた、あいつは“日中友好は自分がやった、やった”と大騒ぎして、大顰蹙を買っていたっけな。
 原田 新聞に回顧録まで書いて、恥をかいたじゃないか。あまりの“捏造ぶり”に、今では中国でも相手にされていない(笑い)。
 竹内 その通りだ。たとえば、中国でも権威ある出版社から日中友好について本が出た。ところが、あいつの名前なんか一つもない、という話だ(爆笑)。
 佐藤 あんな、学歴詐称、性格異常の名前なんか日中の歴史に残ったら大変だ。“抹消”は当たり前だよ(大笑い)」
 まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということなのだろう。竹入氏を「学歴詐称」と罵るだけでは足りず、一家揃って「詐称」だの「経歴捏造」などと誹謗する様は無惨としかいいようがない。さらには、竹入氏の日中国交正常化に寄与した役割の否定に躍起になっているが、日中国交正常化の過程で竹入氏が日中両国政府間のメッセンジャー役を果たし、和製キッシンジャーといわれたことは歴史的事実である。
 それゆえ平成10年11月に来日した際、中国の江沢民国家主席は、日中の国交正常化に貢献した政治家として、竹入氏を二階堂進元自民党副総裁や小坂徳三郎元外相らとともに迎賓館に招待。その席上、「周恩来首相は生前、水を飲む時に井戸を掘った人を忘れてはいけない、と言った」として感謝の意を表明したのだった。歴史偽造をくり返す創価学会にとって、歴史的事実の“抹消”などお手のものということなのか。
 その上で青木理事長は、竹入氏同様、創価学会から造反した幹部や議員らに対して次のように脅迫的な悪罵を投げつけている。
 「青木 忘恩、不知恩の裏切り者は、最後は必ず滅びる。一人として例外はない。竹入、竜、大橋、藤原の末路を見ろ。まして、それ以上の悪党なんだ。『上七代・下七代』で、一家もろとも地獄行きだ。それも、自分が大事にしている家族が、真っ先に奈落の底へ墜ちていく、恐ろしいことだ」
 平成15年の5月末から6月初めにかけて「聖教新聞」には、「『正義の言論』聖教新聞」なる座談会記事が掲載され、青木理事長をはじめとする創価学会と聖教新聞の首脳幹部が、「発行部数で読売、朝日に次ぐ大新聞に成長」「新聞製作の技術でも日本の最先端」「『広告でも一流』の聖教新聞」などと、自画自賛を繰り返している。
 その座談会記事において創価学会の首脳らは、「聖教新聞は次代の人材を育成」していると自慢。青少年の人格の陶冶に貢献している旨、主張するが、他者を悪し様に罵り、創価学会を批判する人物や団体に対する憎悪を掻き立てている「聖教新聞」記事が、青少年の人格の陶冶や人間性の向上に寄与しているとは、とうてい言えない。
 いま国会では、市場原理主義を背景に不正な株取引を繰り返してきたライブドアの堀江貴文被告(証券取引業法違反で逮捕・起訴)を礼賛し、総選挙に利用した小泉首相や竹中総務相、武部自民党幹事長などの責任が厳しく問われているが、莫大な資金力と政治力の前に、他者の名誉も人権も無視した誹謗中傷を繰り返す創価学会に迎合し、礼賛を続ける財界やマスコミ界のトップの責任も決して小さくはない。


乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2006年02月15日

特集/「SGIの日」記念池田提言の笑止

「聖教新聞」に見る日中友好の実態
乙骨正生(ジャーナリスト)

毎年恒例の「SGI(創価学会インタナショナル)の日記念提言」が、今年も1月25・26の両日、「聖教新聞」に掲載された。池田大作SGI会長名義で発表されるこの提言は、例年、時宜に即したテーマを総花的に並べ、修辞に満ちた俗論を展開することで知られる。「新民衆の時代へ 平和の大道」という、極めて曖昧・抽象的なタイトルのつけられた今回の提言でも、「自然災害」や「テロ」「環境問題」などを取り上げ、そこにフランスの思想家モンテーニュや仏典の言辞などを散りばめ、「人間主義」だの「国連改革」だのと、修辞を駆使した俗論を並べ立てている。

 池田氏の代作チームである「特別書籍」の責任者だった原島嵩元創価学会教学部長は、池田氏の著作物の大半は代作チームの手によるものだったことを明らかにしている。おそらくは今回の提言も、原島氏が指摘するような代作チームによる作文なのであろう。

 ところで今回の提言の中で池田氏は、国交正常化以来、最悪の事態に陥っている日中関係に言及、早期の関係修復を提唱している。たしかに東アジアの平和と安定のためには、日中関係の安定化は不可欠の要素。その意味では日中関係の改善に異論はない。

 だが日中の関係改善を唱える池田氏ならびに創価学会が推し進める日中友好が、真に日中両国の関係強化に繋がっているかといえば、決して額面通りには受け取るわけにはいかない。なぜなら本誌でもたびたび指摘しているように、池田氏ならびに創価学会が推進する日中友好とは、基本的には池田氏の売名と創価学会の勢力拡大のための手段に他ならず、そのあざとい対中迎合姿勢が、対等で成熟した日中関係を構築する上でのマイナス要因になっているからである。

 詳しくは本誌の特集記事を参照していただきたいが、本稿ではそうした池田氏ならびに創価学会が推し進める日中友好の実態とはいかなるものかを、昨平成17年に「聖教新聞」が報じた中国関係記事の検証によって明らかにしてみたい。

・1月10日付
 (見出し)
 「中国の高校・歴史教科書が名誉会長の『日中国交正常化提言』を紹介」「権威ある『人民教育出版社』が発刊」「民間外交を推進したのは周総理と池田大作会長」

 (本文)
 〈中国教育界で最も権威ある「人民教育出版社」から昨年、発刊された高校の「歴史」教科書に、池田名誉会長の日中友好への功績が紹介されている。この記述がなされたのは、?ゞ技佞了愼獲僂痢嵶鮖豊 夘?修〉」の教科書。教師用の教科書は、生徒用のものよりも、内容が詳しく、指導のポイントが明記されている。
 この「歴史」教科書の第5章の中に「外交の新局面を打開する」との項目に、日中の国交正常化が詳細に論じられている。このうち“中日関係の正常化を実現する過程で、だれが重要な役割を果たしたか”について、さまざまな説があるとした上で、歴史を動かした特筆すべき存在は、中国では周恩来総理であると紹介。
 そして周総理が進めた「民間外交」の重要な意義に言及し、それを担った日本側の代表として、池田名誉会長の名前が挙げられている。教科書には次のように記されている。
 「周恩来の民間外交における思想と実践は、官僚外交の基礎と補足として、独特な歴史的役割を発揮した。同時に、この重大な歴史問題の解決は、日本の民間における対中友好人士の長期にわたる共同の努力の結果でもある。
 その中にあって、日本の創価学会の池田大作会長は、中日両国の関係が歴史的に最も難しい段階に陥った肝心な時にあたって、『日中国交正常化提言』を発表し、日本の政府と民間に対して、中日国交正常化の正確なる方向と基本的な筋道を指し示した」
 「その他、池田大作会長が設立した公明党は、中日国交正常化交渉の先駆者として、原則から細かい規則に至るまで、中国側との共通認識を成立させた」〉

※中国の歴史教科書における「反日教育」が、いかに日本と中国の関係に悪影響を及ぼしているかは、すでによく知られている。特に歴史的事実に基づかず、扇情的な政治的プロパガンダを行う中国の姿勢が、日中両国での歴史認識を共有する上での重大な障害になっている。その歴史教科書に池田氏の名前が記載されていることを創価学会は喧伝する。もちろん歴史教科書で激烈な「反日教育」がなされていることには一切ふれていない。

・3月16日・19日・24日付
 (見出し)
 「創価大学創立者 第2回特別文化講座 革命作家・魯迅先生を語る」(上)(中)(下)「正しき歴史観を青年に」(下)

 (本文)
 〈1997年の5月、私は第10次の訪中で、大発展を遂げる上海を訪れた。招聘をいただいた上海大学のキャンパスは、かつて日本軍の攻撃で、破壊しつくされた場所である。銭偉長学長はいわれた。「中国と日本は、力を合わせて、偉大なる東アジアを建設すべきです。唯一、残念なのが日本の軍国主義なのです。日本は正しい歴史を若い人に教えるべきです」。
 今年は戦後60年。青年に正しい歴史観を!世々代々の友好を!――時代がどう変わろうと、創価大学は「日中友好の大道」「世界平和の大道」を誠実に進みゆくことを明確に宣言しておきたい〉

※3回にわたって創価大学で「魯迅」に言及した池田氏は、上海大学の学長の言を借りて、中国が主張するところの「歴史認識」を持つよう学生らにアピールしている。正しい歴史観を持つことが重要なのは当然だが、池田氏は中国が行っている「反日教育」が、正しい歴史観の構築を阻害している事実に決して言及しようとはしない。
 この池田氏の発言からさして日をおかない4月3日に、広島の創価学会施設で開催された中国の青年代表団と広島・長崎・沖縄の創価学会青年部代表との「平和座談会」では、中国側が正しい歴史認識を持つよう強調。創価学会青年部側は、「中国の人々が、日本軍の暴虐の歴史を忘れるはずがない」(4月4日付)として、これに応じる姿勢を見せている。

・4月27日付
 (見出し)「創価学会の正義を語る」「政治外交で立ち遅れた日本」「日―中関係悪化が国際問題に」

(本文)
 〈原田(副理事長)それにしても、今の焦点は、何といっても日本と中国の関係だ。国際的にも大問題になっている。
 青木(理事長)今の状況が続けば、日本も中国も、決して得はない。これは確かだ。
 大川(墨田区副総合長・元公明党参議院議員)その通りだ。先日(4月23日)、やっと両国の首脳会談が実現した。しかし、予断は全く許さない。マスコミでも連日、報道されている。
 青木 日中関係の歴史に詳しい識者が心配し、私にこう語っていた。「国連の首脳も指摘していたが、今、大事なのは、両国に橋を架ける存在だ。かつて日中に国交すらなかった当時、その役割を創価学会の池田大作会長が果たした。国と国の関係において、意見の衝突、利害の相違は、常にある。避けようがない。その両者を結びつけてきた池田会長の勇気と先見の行動に、今こそ学ぶべきだ」このように語っていた。
 原田 そういう先見の指導者が今の日本にいなくなっているからだ〉

※小泉首相の靖国参拝を契機に悪化した日中関係。その日中関係の改善に寄与したのが池田氏だと、氏名不祥の発言を引用してまで池田氏の存在感をアピールする創価学会首脳。だが日中関係の悪化をもたらした小泉政権を支えつづけたのは、他ならぬ公明党そして創価学会である。その責任に言及する発言はいっさいない。日中関係を売名に利用する創価学会ならびに池田氏の心底がここに露骨なまでに現れている。

・6月19日付
 (見出し)「中国・華中師範大学(武漢)一行と語らい」

 (本文)
 〈創立102年の伝統を誇る中国の名門・華中師範大学から、創価大学創立者の池田名誉会長に名誉教授称号が贈られた〉
 〈名誉会長 貴大学は、光栄にも、私を研究するセンターを設立してくださったとうかがいました。ただただ恐縮しております。
 (馬敏)学長 私たちは今月、学内に「池田大作研究所」を発足させました。その所長には、陳鋒教授が就任しました。帰国したら、真っ先に研究所の仕事に取りかかります。まず池田先生の思想・哲学を研究し、先生の書籍を翻訳する。そして、それを紹介する活動を行いたいと思います。
 名誉会長 心から感謝申し上げます。
 学長 先生のご著作の多くは、中国語をはじめ世界の言語で翻訳され、中国のみならず、全世界に大きな影響を与えておられます。
 実は、私は学生のころ、池田先生とトインビー博士との対談集を読み、勉強させていただきました。トインビー対談だけではなく、他の著作も読み続けるうちに、多くのことを学び、身につけることができたのです。素晴らしい池田先生にどうしてもお会いしたい――その願いがきょう、やっと実現しました!
 名誉会長 私のほうこそ、お会いするのを楽しみにしておりました。
 学長 本日、私が代表して、わが大学の名誉教授の称号を池田先生に授与できることは、私にとって、最もうれしいことであると同時に、わが大学にとって、最も正しい決定であると思っております。
 名誉会長 かつて、凶悪な日本の軍国主義は、この美しき貴国の武漢をも、蹂躙し、占領しました。その罪は、100年たっても消えない。いな、永遠に忘れてはならない、血涙の歴史です。
 貴大学も、8年間、武漢を離れ、戦火を避け、桂林や昆明など、各地を転々とされた。2000?前幣紊睥イ譴神症?地域へ移動しながら、学問と教育の灯を守り通されたのです。
 学長 そうです。その通りです。
 名誉会長 あの戦争で、私の一家も、4人の兄全員を兵隊に取られました。中国戦線に行かされた長兄が、一時、帰ってきて、語っていた言葉が忘れられません。「日本は絶対に悪い」「日本は本当にひどいよ。あれでは中国の人が、あまりにもかわいそうだ」−−人のいい長兄が、怒りをあらわにして、まだ少年だった私に語ってくれたのです。その兄もビルマで戦死しました。父も母も、愚かな戦争を心の底から憎んでおりました〉

※華中師範大学に「池田大作研究所」が設立され、そこで池田氏の著作の研究や翻訳がなされることを喧伝している。次に華中師範大学の学長が、池田氏とイギリスの歴史学者アーノルド・トインビー博士との対話を引き合いに出し、池田氏の学識を称えると、池田氏は華中師範大学のある武漢を日本軍が侵略した歴史は、「永遠に忘れてはならない血涙の歴史」であり、日本が悪かったと強調。併せて池田一家は長兄・父母そろって平和主義者だったとアピールしている。当時の日本人は「悪」だったが、池田一家だけは「善」だったとでも言いたいのだろうか。侵略の歴史を真摯に反省することは重要だが、「反日教育」と「自虐史観」が日中両国の歴史認識上の重大な問題になっている中で、ひたすら「自虐史観」を繰り返し、「反日教育」については一言も言及しない池田氏の姿勢は極めて偏頗だ。

・8月24日付
 (見出し)「中国 上海 華東師範大学が池田名誉会長を『名誉教授』に」

 (本文)
 〈決定通知書「日本の著名な社会活動家、哲学者、文学者であられる池田先生は、長年にわたり、国際平和、社会政治、文化・教育などの多方面にわたる活動に従事され、実り多き成果をあげられ、日本や中国、さらに世界各国に多大な影響を与えてこられました。
 私自身をはじめ、わが大学の数多くの学者は、国際的に重要な貢献をなされてきた傑出した人物である先生を重視し、尊敬しております」

・10月9日付
 (見出し)「上海・華東理工大学 池田名誉会長へ名誉教授」

 (本文)
 〈銭旭紅学長の授章の辞
 本日、貴国の著名な最高学府である創価大学で、私どもは、かねてより尊敬する創価学会名誉会長、創価大学創立者、世界的に著名な学者である池田大作先生に、上海・華東理工大学名誉教授の証書を授与させていただくことになりました。
 先生が大誠実をもって本学の名誉教授にご就任くださることは、私どもの最高の栄誉です。
 池田先生は長年にわたり、中日両国人民の友好交流にご尽力くださり、1972年の中日国交正常化に積極的なご貢献をなされました。
 さらに1974年12月第2次訪中では、私どもが尊敬してやまない卓越した国家指導者で、私と故郷を同じくする周恩来総理が、病をおして、北京の305病院で先生と会見されました。この歴史的会見により、中日友好の『金の橋』に至る道が切り開かれたのです。現在、中国の60を超える大学と研究機関が、先生を名誉教授等にお迎えしています。この一点をとっても、私どもは中日の文化交流における先生の傑出した貢献を知ることができます〉

※この上海の華東師範大学や華東理工大学、さらには先の華中師範大学などからの「名誉教授」等の称号によって池田氏には、昨年10月1日現在で180の名誉称号(名誉博士94、名誉教授84、名誉学長3)が送られたという。このうち3分の1強にあたる64(マカオ・香港の各2含む)は、中国の大学や研究機関から贈られたもの。
 池田氏が中国の非人権体質や「反日教育」などに決して言及しない理由がこの事実からも分かる。池田氏にとって中国とは、自らの権威・カリスマを高めるための各種の称号の格好の供給源に他ならないのである。

・10月9日付
 (見出し)「創価栄光の集い(創価大学・創価学園同窓会)での池田名誉会長のスピーチ」

 (本文)
 〈今月の14日には、中国の北京で「『21世紀への対話』と現代社会」をテーマに、国際学術会議が行われる運びとなっています。これには、北京大学をはじめ、八つの大学の「池田大作研究所」から、著名な学術者の方々が集われるとうかがいました〉

・10月16日付
 (見出し)
 「北京大学で国際学術シンポジウム」「北京大学日本研究センター『池田大作研究会』・創価大学共同主催」「トインビー対談発刊30周年・中国語出版20周年を慶祝」「池田大作と中日友好回顧展」

 (本文)
 〈北京大学で国際学術シンポジウム「『21世紀への対話』と現代社会」が14日、北京大学日本研究センター「池田大作研究会」と創価大学の主催で行われた〉

・10月19日付
 (見出し)
 「『池田・トインビー対談』をめぐって 北京大学で開催された国際学術シンポジウムから」「2人の巨人の英知に学べ!21世紀の平和と発展は東アジアの民衆の友好から」
「池田思想の豊かな智慧は現代社会を啓発する力」

・10月20日付
 (見出し)「アジア8大学に“池田研究所”」

 (本文)
 〈2001年12月、北京大学に「池田大作研究会」が誕生して以来、これまでにアジアの8大学に“池田研究”を行う公式機関・団体が設立された。中国・安徽大学の「池田大作研究会」の代表・李霞哲学部長は、その目的を「大海原のような智慧を学び、人類の遺産として残していくことは極めて有益である」と語る。ここでは、北京大学でのシンポジウム(14日)に参加した“池田研究”を進める機関の活動などを紹介する〉

※北京大学をはじめとする中国各地の大学に「池田研究所」が相次いで開設され、池田氏とトインビー博士の対談の意義などについての「学術シンポジウム」が開催されていると、「聖教新聞」は連日のように報じている。もっともよく読むとその主催者の一方は創価大学。
 「聖教新聞」では、トインビー・池田会談を「人類の教科書」などと持ち上げる中国識者の発言を紹介しているが、本誌既報のようにトインビー博士の孫娘のポーリートインビー女史は、英紙「ガーディアン」に掲載した池田氏との来日会見記で、祖父は池田氏に利用された旨、書いている。そうした事実や池田氏の著作物の大半が、代作チームによって作成されている事実を「池田研究所」は御存じないのだろうか。
 いずれにせよ池田氏の名が中国の「歴史教科書」に記載されたとの記事同様、中国各地の大学が、「池田研究所(会)」を設けているとの報道が、その内実はともあれ学会員に池田名誉会長は中国で高い評価を受けているとの印象を与え、池田氏のカリスマの強化=求心力の向上に繋がっていることは間違いない。

 1月25・26の両日にわたって「聖教新聞」に大々的に掲載された「SGIの日記念提言」で、日中関係の改善を提唱した池田氏ならびに創価学会が唱える日中友好の実態とは、こうしたものである。
 「聖教新聞」の記事からは、中国で池田氏がいかに高い評価を得ているかということと、その評価を獲得・維持するためなのであろう、池田氏ならびに創価学会が「自虐史観」を鼓吹し、中国に迎合している姿が如実に浮かび上がってくる。

 東シナ海でのガス田開発問題や上海日本総領事館での外交官自殺問題、さらには中国原潜の領海侵犯問題など、国益が激しくぶつかり合い、東アジアの平和と安定に悪影響を及ぼす難問が山積している今日、日中関係を改善し、互いの善隣友好を促進すらために必要なのは、こうした迎合や阿諛追従ではない。また、居丈高な排外姿勢でもない。互いの立場の違いを理解しつつ、平等互恵の立場に基づいて相手を尊重し、その上で本音をたたかわせることのできる冷静かつ真摯な姿勢こそが重要となろう。
 孔子は「論語」において「巧言令色少なし仁」と諭している。「巧言」を弄して中国に迎合する池田氏ならびに創価学会が「仁」者でないことだけは明らかである。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。

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2006年02月01日

特集/強引な「池田礼讃」大合唱の虚と実

「日本人初」と舞い上がったロモノーソフ勲章受章の舞台裏
山田直樹(ジャーナリスト)

冷水浴びた破格の「礼讃記事」

 1年365日、池田大作創価学会名誉会長の「礼讃記事」を聖教新聞で目にする者から言わせてもらっても、これは“破格”の扱いだった。タイトルは長いので要約を記す。

 「ロシア安全保障アカデミーが池田SGI会長に教育・学術の最高栄誉ロモノーソフ勲章」(05年12月21日付)

 何が“破格”といえば、この記事は同紙面の1、2面続き物であり、翌々日の紙面も2〜3面ぶち抜きで同種の自画自賛記事が掲載されたほど。非才の筆者でも、ミハエル・ヴァルケビッチ・ロモノーソフが「ロシアの百科全書」的碩学だとは知っている。モスクワ大学の創設者であり、科学ばかりか詩でも秀でた人物だった(金星の大気を発見した人だと、中学生時代に教えられた記憶がある)。
 いやいやおめでとうございます。さぞや嬉しかったのだろう、21日付聖教紙1面には、池田名誉会長の両手を挙げた“バンザイ”写真まで載ってるじゃないか。ところが――。ケチのつくのも早かった。
 報じたのは約1ヵ月後の「週刊現代」(06年1月28日号)。簡単にこの記事の要旨を紹介する。
 まずは、勲章を授与したロシア安全保障アカデミーについて。00年に発足したこの研究機関は旧ロシアKGB、軍、内務省の重鎮が名を連ねる団体で、国家支援を受けない「民間団体」で国内支部が70ほど。1万2000人余のメンバーは国内外にいて、正会員、準会員、教授とで構成される。このうち半分が、博士号を持っているのだという。
 さて勲章をいただき、しかもアカデミーの「正会員」と「教授」に抜擢され、それらはすべて「日本人初」と聖教紙は、はしゃぐ。それに待ったをかけて、この記事に登場したのが五井野正氏。五井野氏は「日本・ロシア協会」(NPO)理事で、アカデミー「第一副総裁」の肩書を持つ。単純に考えて、「教授」より「第一副総裁」の方がエライんじゃないか。
 五井野氏の説明によると、(アカデミーの)正会員および教授に同氏が就いたのは04年2月。同年9月には、鳩山由紀夫・民主党幹事長も同様の肩書を得ている。おそらく、日ソ国交回復の道筋をつけた御祖父(鳩山一郎首相)の実績とは無縁ではなかろう。
 というわけで、「アカデミーの正会員及び教授に抜擢されたのは、池田氏が日本人初」との聖教紙報道はウソだった(そのくらい調べろよ!)。
 さらに肝心のロモノーソフ勲章である。これについてはそもそも昨年4月、五井野氏へ授与が決まっていて、秋の叙勲スケジュールまで設定されていた。ところが聖教紙は五井野氏への授章式を目前にした昨年10月2日、とつぜん「日本人初でロモノーソフ勲章が池田氏に授与される」と大々的に報じる。
 訝った五井野氏はアカデミー総裁のシェフチェンコ氏へ連絡、聖教紙の報道について伝える。総裁は困惑した様子だったという。そして、
 〈日本人初受章ではなくなることを気にかけて、アカデミーは私に、池田さんにロモノーソフ勲章を授けるべきか否か相談してきました。私は、『いいんじゃないですか。池田さんならアカデミー運営の資金的援助も期待できますから』とアドバイスしました。その結果、池田氏が受章できることになったのです〉(週刊現代記事より)
 なーんだという話である。しかし池田氏への叙勲舞台裏が、これほど鮮明にオモテへ出ることはめったにない。五井野氏への気遣いは、アカデミーをしてロモノーソフ勲章より格上の「ピヨトール大帝章=アカデミーの最高勲章授章」となった――。こちらはプーチン大統領やロシア正教会のアレクセイ2世らが受章している。

 造反会員に譲られた「初受章」

 ともあれこうした「佳日」ゆえ、池田氏のスピーチのボルテージも急上昇。久々(?)に、“ホンネ”らしきお言葉が飛び出した。
 〈私は19歳で立ち上がり、今日の大創価学会をつくりました。
 これは、戸田先生、牧口先生、そして全会員の皆さまの力である。
 私は、命を賭して戦った。師匠・戸田先生に全生命を捧げ、尊き仏子である学会員にありとあらゆる御奉公をし抜いてきたつもりである。そして、堂々たる大創価学会が築き上げられたのである。
 私は勝った!
 この勝利は、皆さまの勝利である。その証左としての今回の栄誉であると私は信じる(大拍手)〉
 要するに師匠へ命を預けて勝利したのだから、お前らも見習えと聞こえる。このスピーチの中で池田氏は本年が青年部結成55周年に当たると指摘、「広宣流布の大航海 難所を越えよ! 限界を破れ!」とハッパをかけている。だいたいにしてこういう御下命のある時は、該当部署の働きが悪いと言外におっしゃってる。これが池田語録の相応な解釈だと筆者は思う。
 しかしだ。“私が勝ったことは皆さまの勝利で、その証左として勲章が授けられた”とは凄い話ではないか。そもそも五井野氏の恬淡寡欲の申し出がなかったら、池田氏の受章すら覚束なかったはずだ。しかもその五井野氏は元創価学会員でもある。週刊現代は、
 「池田氏は皮肉にも、造反したかつての信者によって、『日本人初受章』の栄誉を譲られる形となったわけだ」
 と、指摘するがまさしくビンゴ。いったい池田氏は何に勝ったというのだろう。俗人がみるところ、ロモノーソフ章には授章対象のライバルがいて、評価の点で競り勝ったと理解するのが相応のようだ。だとすると池田氏は、造反者の五井野氏に勝利したと言いたいのか?

 ロモノーソフ引用スピーチの悪ふざけ

 ところでこのスピーチには、もうひとつ“見どころ”がある。以下、少々長くなるが引用する。
 〈なお、教師で大教育者であるロモノーソフが、教師に対して厳しく戒めていた言葉を、私は忘れることが出来ない。
 それは“尊大であってはならない”“軽率な追従者であってはならない”“狡猾な人間であってはならない”ということである。 
 もしも、そんな教師がいたならば、生徒は教師を嫌悪し、軽蔑するに違いないからである。
 また、ロモノーソフは生徒規則をつくり、『傲慢や不作法な言動をしないこと』を呼びかけた。
 これもまた、人間としての誠実さを教えたものといえよう。
 この点、学会のリーダーも、厳しく戒めてまいりたい。
 真面目な会員の方から、『幹部は、ふざけた話だけはしてもらいたくない。ユーモアはいいが、悪ふざけはやめてほしい』という切実な声が届くこともある。
 求道の志で、遠くから集まってくださる友。一生懸命に話に耳を傾けてくださる友――。
 尊い第一線の同志を軽く見たり、上から見おろすようなことは、絶対にあってはならないと思う。
 そういう傲慢な人間を、断じて許してはならない。
 そうしなければ、学会は、信用されなくなってしまうからだ。
 とくに、男性の幹部は心してもらいたい。
 責任ある立場であればあるほど、絶対に、いい気になってはならない。自らを厳格に戒めていかねばならない〉
 池田氏はハレの日に男性幹部へ対し、わざわざ注意(警告?)を、それも来賓の前で与えている。そういえば弓谷男子部長不倫解任事件など、昨年は幹部の事件も多々ありましたっけ。しかし我々は知っている。尊大で傲慢なのはいったい誰かを。「ユーモアはいいが悪ふざけはやめて」などいう“組織の恥”(相当レベルの低い)を晒して、来賓が喜ぶとでもお考えだったのか。
 もし仮に筆者が章を授与する側の来賓だとして、“偉大なロモノーソフ”を顕彰するならまだしも、「傲慢や不作法な言動をしないこと」を謳う生徒規則を拵えた点に評価の力点を置いたら、おそらく怒る。これは“悪ふざけ”にしか思えない。
 ところで、池田氏のロモノーソフ勲章受章については聖教新聞だけが報じたのではない。やはり一部地方紙も、わざわざ紙面を割いていた。データベースの日経テレコンで検索すると、ヒットしたのは2件。タイトルは、「池田氏に最高栄誉勲章 ロシア安全保障アカデミー」と「ロシア安保アカデミーから勲章―創価学会・池田名誉会長」。いずれも05年12月21日付で、前者は北陸の「北國新聞」、後者が「静岡新聞」。それぞれ92文字と167字分量の扱いだ。どうやら通信社の配信記事には見当たらないから、これは前記2紙の独自取材(?)か、情報が別のルートで流れて出来あがったモノらしい。
 いったいそれぞれの新聞社がエリアとする、石川や静岡県民と、池田氏の受章は何の関係・関連があるのか分からないが、地方紙と創価学会の関係がどんなものか垣間見せてくれた。おそらくこれを受け、聖教紙で行われる座談会などで「日本のメディアも注目した」とか書くんでしょうね。

山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。

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