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2007年02月15日

特集/自・公融合の深刻な実態

「自公融合」によって進む安倍晋三の「池田大作化」

ジャーナリスト 古川利明

 「安倍の変化」の本質にあるもの

 統一地方選と参院選が重なる12年ごとの「選挙イヤー」となる亥年が明け、1月17日、自民党大会が開かれた。不透明な事務所費計上をはじめとする「政治とカネ」の問題で、昨年末に行革相・佐田玄一郎が引責辞任に追い込まれ、さらに相次ぐ閣僚の失言によって、安倍内閣の支持率が下落を続ける中で、一際、あいさつに力が篭もっていたのが、一緒に連立を組む公明党代表の太田昭宏だった。
 太田は「統一地方選に何としても勝利し、“天下分け目”の参院選に挑む」としたうえで、中国の明の文人・劉基の「万夫力を一にすれば、天下に敵無し」の言葉を引用しながら、自公両党が協力し、「何としてでも、与党で過半数を制さなければならない」と強調した。
 ここらあたりの意気込みは、聖教新聞紙上で連日のように、敵対する人間たちへの「法戦」に向けて檄を飛ばしている池田大作の姿を彷彿とさせるが、そうした緊張感のある空気に触れたせいなのだろうが、安倍が自民党大会の翌々日の1月19日、唐突にも、「共謀罪新設法案」(組織的犯罪処罰法改正案)の今通常国会での成立を指示したのである(もっとも、その後、この発言については「政府として提出した法案はすべて成立を目指す。しかし、いろいろ議論のある法案でもあるので、党とよく相談するよう法相に指示した」と、事実上、撤回している)。
 既にこの共謀罪の問題点については、本誌でも繰り返し取り上げられているが、この法案の致命的な欠陥は、犯罪の実行行為がなくても事前の協議だけで処罰することができる点に尽きる。それゆえ、「思想や言論・表現を処罰するものだ」として、「現代の治安維持法である」と強く批判されてきたのである。過去2度も廃案となり、郵政解散直後の05年秋の特別国会に3度目の提出となったものの、その後もこうした世論の強い反対から継続審議の状態が続き、昨年秋の臨時国会では審議入りすらできなかった、曰く付きの法案なのである。「君子豹変す」ではないが(もっとも、この諺の本来の意味は「君子は過ちをただちに改める」だが)、折りしも、支持率の急低下による「あせり」もあったにせよ、安倍がこうした言動に踏み切る背景にあったものは何かと推察するとき、まず、考えられるのは、安倍自身の内面における「変化」である。
 そして、その本質にあるものとは、「自公連立」から「自公融合」へと突き進んでいる現在の政治状況の中で、安倍自身が「公明党=創価学会・池田大作」的な体質へと確実に変わっていっている、というのが、筆者の見立てである。本稿ではこうした論点で進める。

 意外にリベラルなタカ派だったが……

 確かに安倍晋三自身は、「岸信介の孫」に象徴されるように、「タカ派的体質」を持った政治家というふうにみられている。そのこと自体、否定するつもりはないが、ただ、ひとつだけ、筆者がこれまでの安倍の姿勢で評価する点は、前回04年の参院選で自民党が49議席しか取れずに惨敗し、小泉純一郎をはじめ他の党執行部が「責任逃れ」に終始していた際、幹事長だった安倍は唯ひとり、「敗北の責任を取る」と明言し、その職を辞したことである。
 やはり、人間は出処進退のケジメが大事というか、すべてである。つまり、それは「行動」によってはっきりと示すということだが、こういう潔さを見せることが、往々にして、その後の飛躍につながっていくものである。実際、このとき、安倍は幹事長代理に降格されたが、そこで安倍が打ち出していた「公募制の本格導入」や「新人のチャレンジの機会拡大」の方向性は、05年の郵政解散・総選挙の際に適用され、自民党の無党派層の取り込みに大きく貢献している。
 93年に初当選した安倍は、当初、四月会に所属し、創価学会を批判するなど、もともと本人自身は、前任者の小泉純一郎と同様、「公明党=創価学会・池田大作」とは距離のある政治家だった。案外、見落とされているが、「憲法改正」や「教育基本法改正」を声高に主張する自民党内の「タカ派」と称される政治家たちの中には、意外にも「思想・信条や言論の自由」に対して理解を示す者も多い。
 例えば、公明党(=創価学会・池田大作)が強硬に主張した“池田大作情報保護法案”(=個人情報保護法案)について、当時、「言論・出版・表現の自由に対する侵害という点から、問題がある」と反対していたのが、主に自民党内の志帥会(当時の江藤・亀井派)に所属する議員たちだった。そうした自民党内の「党内政局」によって、とりわけ、ゲリラ的なスクープ記事を連発する雑誌媒体の取り締まりを目的としていた旧法案は、02年12月の臨時国会で廃案となった経緯がある。
 また、同様に「メディア規制」として強い批判に晒されていた「人権擁護法案」についても、ちょうど05年の通常国会で、郵政政局と同時並行で自民党内では法案提出か否かで水面下での駆け引きが続いていたが、これを最終的に潰したのが、「平沼赳夫―城内実」の「タカ派のライン」だった。奇しくも、2人とも郵政民営化法案に反対したために「刺客候補」を立てられ、城内の方は落選してしまうが、森派に所属していた城内は、言わずと知れた「安倍晋三の秘蔵っ子」である。郵政法案はともかく、人権擁護法案については「党内政局」で“廃案”となったのは、こうした動きに対する安倍晋三の理解があったからだともいわれている。
 このように意外にもリベラルな側面も併せ持っていた安倍だが、昨年9月に自民党総裁に選出されると、さっそく、池田大作のところに面会に行き、「祖父(岸信介元首相)や父(安倍晋太郎元外相)は、戸田城聖・第2代会長や池田名誉会長と大変親しくさせていただいたと聞いています」と、小泉政権時代の「選挙協力」について頭を下げた、という(06年11月1日付読売新聞朝刊)。その甲斐あってか、昨年秋に相次いであった衆院補選(とりわけ接戦が伝えられていた大阪9区)と沖縄県知事選を制したのは、まさしく、「学会票」だったといってもよい。この2つの「政治決戦」を制したからこそ、重要法案に位置付けられていた教育基本法改正案と防衛庁省昇格法案を、何とか成立にこぎつけることができたのである。

 追及しなければならない「政権与党の膿」

 自民党の正式名称を「自由民主党」という。もし、「名は体を顕わす」というのが事実であれば、この政党は、何よりも人間の自由を重んじ、そこから生み出される民主主義が確立された社会を目指すものだと、誰しもが思うであろう。
 しかし、公明党(=創価学会・池田大作)が政権与党入りした99年以降、信濃町が回す「学会票」の力によって、かつてはおおらかで、さまざまな批判に対しても寛容的だった自民党の体質も大きく変わってしまった。それはすなわち、「創価学会化=全体主義化」ということに他ならないが、その詳細については、本誌の1月15日号から連載が始まっている、自民党の宏池会に所属していた白川勝彦・元衆院議員の「創価学会党化した自民党」を読めば、一目瞭然である。「朱に染まれば赤くなる」の諺のとおり、自公連立による「融合現象」によって、「本当は全体主義がいちばん理想の形態だ」とうそぶく人物(=池田大作)の体質が、自民党議員にも広範に染みついてしまったのだ。その意味では、「池田大作化してしまった自民党議員」は、安倍晋三だけではない。
 確かに、この「共謀罪新設法案」は、もともとは法務省マターの法案ではあるが、だが、かつての自民党であれば、国会に提出することすらできなかったであろう。「自公連立」であるがゆえに、国会に出され、さらには、2度も廃案になったにもかかわらず、ゾンビのごとく、また、「棺桶の中」から引っ張り出されてきたのである。
 ただ、幸いにも、今年は選挙イヤーであるため、こうした「世紀の悪法」については選挙という民主的な手段によって、有権者は葬り去ることができる。「政治とカネの問題」と並んで、こうした悪法についても徹底して争点化し、「政権与党の膿」として、野党、そして、我々ジャーナリズムは断固として追及しなければならない。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

投稿者 Forum21 : 2007年02月15日 02:04

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