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2006年11月15日

特集/教育問題と創価学会・池田大作

憲法改正への露払いに進んで手を貸す公明党の行状
ジャーナリスト 山田直樹

 わずか4年で前言を翻す公明党・創価学会

 盗聴法成立の時もそうだった。イラクへの自衛隊派遣の際も同じだった。公明党は、土壇場で必ず“寝返る”。今回の「教育基本法」改正議論でもまったく同じだ。
 『国家主義的方向への逆行を危惧』と題する記事が創価新報に掲載されたのは4年前の正月のこと。この創価学会青年部機関紙で、どのような主張がなされているか引用してみる。
 〈花子 森前首相は、『教育勅語』を再評価するかのごとき基本法改正に意欲的だったけど、今回もそうした流れなのかしら?
 太郎 だろうね。教育勅語の思想は戦後、GHQによって外された。それを復活させたいという動きがある。自民党の一部には『もっと愛国心を育むべきだ』という意見が根強い。(略)『教育の憲法』とされる教育基本法改正の動きは、憲法改正を視野に入れたものであることは間違いない。
 花子 池田名誉会長は真っ先に反対意見を表明したわね。
 太郎 西日本新聞に名誉会長のインタビュー記事が載っている。
 『基本法見直しを憲法改正につなげる政治的思惑には絶対反対だ。教育を国家主義的方向に逆行させてはいけない』と明快だよ。戦前の暗黒時代への逆行は絶対に避けなければならない〉
 わずか4年にして、この主張は引っ込められたのか。現実に起きているのは、創価新報の「絶対に避けなければならない」そのものである。実は小泉前首相在任当時、自公は教育基本法改正でほぼ合意がなされていた。実際、「愛国心」を「国と郷土を愛する心」とするか否かぐらいしか不一致点はなかった。評論家の立花隆氏は、こう指摘している。
 〈憲法改正を真っ正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそれを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方ないのだろう。憲法改正を実現するために、『将を射んとすればまず馬を射よ』の教えどおり、まず憲法の馬(教育基本法)を射ようとしているのだろう〉(11月6日付・朝日夕刊)
 ところがその“馬”を射る前に、文部行政のとんだ馬脚が現した。単位履修漏れ、いじめを原因とする相次ぐ自殺事件。さらには青森県八戸市でのタウンミーティングでの“ヤラセ質問”等々……。であるにもかかわらず、これらを解決するには、「基本法の改正が必要」と本末転倒の主張を行っているのが創価学会の支持する公明党自身である。「ゆとり教育」は、結局、塾や予備校業界を潤しただけで、学力の低下と格差拡大を招いた。こうした失政を省みることなく、「教育基本法のボリュームで80時間以上審議した例はほとんど見当たらない」(伊吹文明文科大臣=10月20日の衆院文部科学委員会での発言)と与党側は、改正強行の構えを崩さない。ただし本稿校了時にはまだその帰趨を見極めることは出来ないが、安倍内閣の“看板法案”ゆえ衆院通過の流れを止めることは不可能だろう。
 池田名誉会長は再三、こう述べている。
 〈昨今、教育改革が政治日程に上るなか、小泉政権下でも『教育基本法』の見直しが論議されている。
 私自身は、拙速は慎むべきであると考える。基本法の眼目である『人格の完成』など、そこに掲げられた普遍的な理念は、教育の本義に則ったものであり、新しい世紀にも、十分、通用するからだ〉(01年5月23日付朝日)
 〈断っておきますが、私は『教育基本法』見直しについては、拙速を慎むべきだと思っております〉(聖教新聞紙上の教育提言)
 ここで言う「拙速」とは、つまり審議時間の長短に関してだろうが、逆に捉えれば「十分審議した」条件が付けば、賛成するという意図が透けて見える。小泉政権下で50時間も議論したのだから、もう十分とでも言うのだろうか。教育提言が大好きな池田氏は、今こそ「拙速はやめよ」と発言すべきであろう。でなければ、前言を撤回なさるのがスジ。

 国家主義者・安倍首相の従順なる共犯者

 公明党ホームページによれば、
 〈与党内で検討を重ねてきた結果、焦点となっていた『愛国心』をめぐる表記について、国の3要素である、国土・国民・統治機構の中で、法案でいう『国』の概念には、『統治機構は含まない』ということが共通認識として醸成されました。
 こうしたことから、法案では、『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』という表現になりました。
 国家主義的な意味合いが強くなる『ネーションステート』ではなく『カントリー』に近い『国』の表現とすることで、国家主義の懸念は払しょくできたと考えています〉
 と、自画自賛するが、「伝統――」以下の二重括弧内文言は、かねてより池田氏自身が提言していたそれとほとんど同一である。これを“潜り込ませ”、「愛国心」を削ったから賛成するというのは、毎度お馴染みの公明党の鵺的立ち回りである。一方、教育基本法は改正の必要なし――というのが先の立花氏の立場である。そして、
 〈そもそもなぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている『教育基本法改正』が『やっぱり必要だ』という空気を作りたいとしかいいようがない。
 しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決する問題でもない〉
 と、一刀両断。続いて、こう結語する。
 〈教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家の奉仕者に変えようとしている〉
 もちろん、公明党はその従順なる共犯者と言わねばなるまい。前出の創価新報を再度、見てみよう。
 〈花子 識者の中には『基本法を見直すことより、基本法の精神を生かす方が先決』という意見もあるわ。(池田先生も確かにそう仰られてましたっけ=筆者注)(中略)学級崩壊や登校拒否などさまざまな問題があることは認めるけど、その原因が基本法にあるわけではないわ〉
 あれよ立花氏とまったく同じ事を言っているではないか。こんなくだりはどうだろう。
 〈行政の介入が強まる教育は決して望ましいものではない〉と。
 それは要するに、「教育が国家の手段と化していた」(立花氏)ことへの反省から制定された現行法に「改正」の必要なしと、この時点での創価学会青年部は主張してたのである。
 ちょうど1年前、一旦は廃案になりかけた「障害者自立支援法」が成立した。これは郵政解散の煽りを受けて衆院で審議未了となり、自民党圧勝後、いきなり参議院に諮られ通過。衆議院に戻ってきて成立したといういわくつきの法案だった。筆者はこれを「障害者自立阻害法」と呼んでいるが、事実、「応益負担」という仕組みが導入され、1割自己負担に耐えかねてサービスの利用を諦めたり、施設や作業所から自宅へ引きこもらざるを得ない障害者が急増している。公明党は新教育基本法において「障害者への配慮を教育の機会均等の条文に明記した」(主旨)と胸を張るが、現実に置かれている障害児(者)の有り様を見れば、それがいかに詭弁を弄したものかはっきりする。
 現行の教育基本法は前文と全11条からなる、極めてシンプルな法律だ。これにコテコテと「教育の目標」なる条文などを貼り付けたのが改正案の骨子。「情操と道徳心」、「愛国心」等々、ざっと20余の「徳目」が目標に掲げられている。これらを付け加える必要は、どこにもない。格差社会を拵えておいてから「国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」(第3条 生涯学習)とは、いったいどういう了見なのか。
 第2条4には、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」とある。我々が直面しているのは、ちっとも「美しくない日本」である。条文の言うのは、絵空事であり、こんな法案を通すより解決すべき問題はいくつもある。よって立花氏が指摘する通り、本当の狙いは憲法改正への露払いだろう。それに進んで手を貸した公明党の行状を決して忘れる訳にはいかない。

山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。

投稿者 Forum21 : 2006年11月15日 18:52

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