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2006年04月15日

特集/創価学会の人権悪用を砕いた二つの判決

「池田大作=創価学会」の言論封殺を退けた週刊ダイヤモンド訴訟の画期的な判決

古川利明 ジャーナリスト

 「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社発行)04年8月7日号が特集した「創価学会の経済力」の記事を巡り、同会副会長である最高幹部の一人、宮川清彦が同社と週刊ダイヤモンド編集長を相手取り、謝罪広告と1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、この3月10日、東京地裁民事第39部であり、藤下健裁判長は原告の請求をすべて棄却するという、「原告全面敗訴」の判決を言い渡した。

 そして、その3日後の13日には同じ東京地裁で、聖教新聞の例の中傷座談会において、名指しで誹謗、中傷された日蓮正宗寺院の住職が、宗教法人・創価学会と同会長・秋谷栄之助、同理事長・青木亨ら最高幹部6人を相手取って起こした訴訟でも、名誉毀損に基づく不法行為責任が認定され、被告側に80万円の賠償金の支払いを命じる判決が出ている。

 自らに対する批判には、民事提訴、刑事告訴を乱発することで、そういった記事がマスメディアには出ないように意図した、「池田大作=創価学会」の言論封殺を挫く意味で、いずれの判決も画期的であると高く評価したい。こうした視点から、なぜ、このような極めてまっとうな司法判断が出てきたのかを考えてみたい。

 「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦

 週刊ダイヤモンド訴訟は、「マスメディア支配/全国紙・地方紙に聖教新聞の委託印刷が拡大、月刊誌『選択』にも触手」という見出しで、「創価学会のM副会長が会員制情報誌『選択』を発行する選択出版の湯浅正巳社長に10億円の資金提供を持ちかけた」との旨、記事中で指摘したことに対し、「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦が、「記事は事実無根で、名誉を傷つけられた」として、04年12月末、提訴していたものである。

 事実認定に関しては、判決では原告側の主張をほとんど退けており、その判断に筆者も全く異論はないが、そもそも記事では、誰か特定されないよう、わざわざ「M副会長」と匿名(=イニシャル)で報じたものである。それを敢えて宮川本人が「M副会長は私」とカミングアウトして、裁判に持っていったあたりからして、極めて異例というか、はっきり言ってマンガであった(もっとも訴訟の提起自体、池田大作の指示であろう)。

 裁判の中で、被告側も「M副会長は宮川氏であると特定しうる」という部分に関しては争っていなかったが、公称約17万部の同誌の中心読者層は、30代から50代の男性で、高学歴の中間管理職以上のビジネスマンである。99年体制以降、日本の政権中枢に居座り続けている「創価学会・公明党=池田大作」に対し、こうした読者層がそれなりに強い関心を持っていること自体は容易に推測されるが、ただ、この記事を読んだだけで、よほどの「通」でなければ、「M副会長」が即、「宮川清彦」であるとわかるのは、まずいない。
 恥ずかしながら、実は筆者もこの記事を最初に読んだとき、「M副会長」が宮川であるとピンと来なかった。
 確かに、「東大在学中に池田大作の3人の息子の家庭教師を務めた」とのくだりはあるが、「信濃町で石を投げれば副会長に当たる」と揶揄されるほど、現在では300人を越えるほどの夥しい数を誇る副会長で、おそらく東大卒は宮川だけではないだろう。ひょっとしたら、宮川以外にも池田の息子の家庭教師をやった人物がいるかもしれない。
 それと、宮川が「信越長(本人が法廷で主張したところによれば、正確には「信越総合長」)として長野県内の財務を全国トップに押し上げた」という“実績”を、本当に恥ずかしながら、筆者は知らなかった。もし、このことを知っていれば、「東大在学中に池田大作の息子たちの家庭教師をやっていた」との情報とリンクさせることで、「M副会長は宮川清彦である」とすぐに特定できただろう。だが、それがわかるのは、少なくとも学会員でも、選挙になればちゃんとF票を取ってくる活動家クラス以上だが、しかし、それでもそこまでドンピシャリと特定できるのは、相当の中枢にいる人間に絞られてくる。

 むしろ、週刊ダイヤモンドが匿名にしたのは、記事の中で原島嵩・元創価学会教学部長が「Mが動いたということは、池田氏の指示に間違いない」とコメントを寄せているように、あくまでこの『選択』への資金提供問題は「池田大作案件」であり、池田の指示で動く人物であれば、要は誰でもよかったわけである。であるなら、敢えてここで実名を提示する必要もなかったと編集部は判断したのではないか、と推測するのである。

 言論封殺を意図した実質的な原告は池田大作か

 このように、この週刊ダイヤモンド訴訟の原告は宮川であるが、実質的には池田大作であるといってもよい。である以上、そこには当然、「池田大作の意思」がダイレクトに働いている。その「意思」とは、自らを批判する言論は徹底的に封殺することである。

 公明党(=創価学会・池田大作)が与党入りした99年以降、彼らが最も力を入れてきたものが、「名誉毀損訴訟の賠償金高額化」「個人情報保護法」「人権擁護法」という“言論弾圧3点セット”の実現だった。
 詳しくは拙著『デジタル・ヘル――サイバー化監視社会の闇』(第三書館)の「第四章 『個人情報保護法』はいかにして歪められていったか」を参照して頂きたいが、こうした方向に「公明党=創価学会・池田大作」がカジを切る決定打となったのが、週刊新潮の96年2月22日号が「私は池田大作にレイプされた」との信平信子・元創価学会北海道婦人部幹部の手記を掲載したことである。ここから、「公明党=創価学会」に対する批判はもちろんだが、それ以上に、“現代の生き仏”である池田大作の批判を絶対に封じ込めるための施策が必要と考え、それには何としてでも政権与党に入らざるを得ない、との判断を池田自らが行ったからである。

 確かに、世論の強い反対から人権擁護法は成立せず、また、個人情報保護法も再提出された改正案では、「言論出版妨害」に関わる部分については相当、マイルドなものに改善はされた。が、99年以降の「自自公―自公保―自公」体制で、「本当は全体主義が理想の形態だ」とうそぶく人物(=池田大作)が事実上の「ウラの総理大臣」として君臨し続けたことで、マスメディアも司法も、そして、社会全体が池田大作(=公明党・創価学会)に対して萎縮し、ダンマリを決め込んできた。

 例えば、こうした流れの中で、01年にはゲリラ的なスクープを飛ばしてきた週刊宝石とフォーカスが相次いで休刊に追い込まれ、02年3月の「噂の真相」の名誉毀損事件に対する一審東京地裁での有罪判決を機に、岡留安則編集長は最終的に雑誌の休刊を決断した。大手週刊誌でも「公明党・創価学会=池田大作」問題を取り上げるのは、事実上、週刊新潮の一誌のみという、極めてお寒い状況が続く最中、04年3月には、週刊文春が報じた田中真紀子の長女の離婚記事を巡り、同じ東京地裁が版元に対して出版差し止めを命じる仮処分決定を下すという、トンデモない事態も起こったのである。

 こうした流れが変わる分水嶺となったのが、04年秋、東京地検特捜部が例のNTTドコモ携帯電話不正アクセス事件の摘発で、本誌発行人でもある乙骨正生氏の被害をも立件したあたりからである。そこから年が明けて05年に入り、創価学会かたり融資詐欺やセクハラ全国男子部長解任騒動などの不祥事が噴出したことで、新潮以外の大手週刊誌にも学会批判の記事がようやく出始めていた。で、その矢先、小泉の突然の“発狂解散”による昨年9月の総選挙において、自民党が300議席の大台に迫る圧勝だったのに対し、公明党は現有より3議席も落とす惨敗を喫したことで、政権中枢への影響力がそれまでより大きく低下した。

 裁判所もこうした世論や、政権中枢におけるパワーバランスには極めて敏感である。今回の週刊ダイヤモンド訴訟も含め、東京地裁で相次いで画期的な判決が出された背景には、こうした状況の変化もあったといえる。
 本来、「言論の自由」とは、天賦のものとして付与された大事な権利である。しかし、現実には、権力の側によって不当に貶められ、弾圧されてきた。残念ながら、それが人間の歴史である。とりわけ、「公明党=創価学会・池田大作」という、極めて全体主義的な体質を持つ政治勢力が政権中枢に入り込んだ「99年体制」以降においては、非常に厳しい状態が続いていた。
 しかし、こうした権利は、戦う(=書く)こと以外に勝ち取ることはできない。
 それゆえ、戦うことを止めれば、それは自動的に消え去る運命にある。なぜなら、この現実社会は、権利を与えまいとする側と、それを奪う側との絶えざる拮抗関係にあるからだ。言い換えるなら、「言論の自由」とは、書き続ける行為の中に存在する。それゆえ、「水に落ちた犬」はさらにもっと厳しく叩かねばならない。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

投稿者 Forum21 : 2006年04月15日 19:15

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