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2010年08月06日

2010-7 特集/崩壊の予兆見せる池田創価学会――本幹欠席と参院選

池田大作の欠席と池田博正登壇の意味

乙骨正生
ジャーナリスト

 体調不良か責任逃れか

 それは創価学会の近未来を象徴する光景だった。
 昭和35年に創価学会会長に就任して以来、組織・会員の上に絶対的に君臨していた「永遠の指導者」(創価学会会則)である池田大作名誉会長が、6月3日、創価学会の月間最重要行事である本部幹部会を欠席したのである。
 池田氏が本部幹部会を欠席したのは、平成15年4月から5月にかけて体調不良で約1カ月にわたって静養し、公の行事に姿を見せなかった時以来のこと。しかし今回の欠席の理由は、病気や体調不良とはされていない。本部幹部会の席上、原田会長から発表された池田氏の欠席理由とは次のようなものだった。
 「昨夜、本日の本部幹部会について、池田先生から指導がありました。
 『明日の本部幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい。皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである。学会の将来にとって、今が一番大事な時である。ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい』
 本日、先生に出席いただけないことは残念ですが、先生の真情を伺うにつけても、もはや甘えは許されません。弟子が、今こそ決然と総立ちする時です」(6月9日付「聖教新聞」)
 これによれば池田氏の欠席は病気のような不可抗力の要因によるものではなく、意図的欠席だったということになる。もっとも池田氏の動静を伝える「聖教新聞」には、5月中旬以降、池田氏のリアルタイムでの動静が報じられておらず、掲載される池田氏の写真も古いものばかり。それだけに池田氏は体調を崩しているのではないかとか、あるいは本誌でたびたび報じているように、昨年秋以降、本部幹部会での池田スピーチは側近の長谷川副理事長が代読していることから、池田氏の思考力や忍耐力が著しく低下しており、その状態は人前に姿を見せることができないほど重篤なのではないかなど、さまざまな情報が乱れ飛んでいる。そうした情報の中には、池田氏はすでに創価学会本部と指呼の間にある慶応大学病院の集中治療室に入院中との未確認情報もある。
 しかし池田氏の本部幹部会欠席は、体調不良の可能性はあるものの、むしろ選挙対策の策略と責任逃れのための布石の意味合いの方が強いのではないか。本誌の平成21年11月号の特集記事「『二匹目の泥鰌』作戦を開始」で紹介したように、来る7月11日投開票で行われる参院選を前に、創価学会は、大阪の創価学会組織のトップである関西最高参与に池田氏の長男である池田博正副理事長を据え、今夏の参院選を、池田氏が指揮を執り泡沫候補扱いだった白木義一朗創価学会大阪支部長を当選させたことから、「奇蹟の勝利」だったと喧伝する昭和31年参院選の「大阪の戦い」の再来と位置づけ、選挙に向けての士気を鼓舞した。
 創価学会では「大阪の戦い」を、戸田会長から池田参謀室長へと創価学会の全権が継承された節目の闘争だったと位置づけている。それだけに今回、池田氏が「私を頼るのではなく、(弟子である)君たちが全責任をもって、やる時代である」と発言したのは、今回の選挙闘争の意義を、戸田会長から池田参謀室長への世代交代と同様の、ポスト池田の世代交代の闘争と自覚させることで幹部・活動家の尻を叩き、厳しい選挙戦を勝ち抜こうとしているのだろう。
 さらには「君たちが全責任をもって、やる時代」との池田発言の裏には、政教一致の熾烈な政治闘争を指揮し、反社会的行為を繰り返してきた創価学会の最高指導者としての自らの責任を回避する狙いがあるものと見られている。
 というのも6月4日に首相に就任した菅氏は、過去に国会で創価学会問題や政教分離問題を複数回にわたって質問しているばかりか、創価学会から造反し創価学会と公明党の政教一致の実態や、創価学会が公益法人として税法上の優遇措置を受けていながら、国税庁の税務調査の妨害を企てていた事実を明らかにした矢野絢也元公明党委員長を国会に呼び、話を聞いた「国会議員有志の会」の世話人。その菅首相を創価学会は、「仏敵」と呼び、呪詛の祈りまで加えていたことは本誌既報の通り。
 さらには本誌前号で特集したように、山口組直参の暴力団だった後藤組の後藤忠政元組組長が、創価学会との深い関係を明らかにしたこともあり、創価学会の宗教法人としての適格性や創価学会と公明党の政教一致問題が、今後、国会で取り上げられる可能性は否定できない。その際は当然のことながら池田氏の国会招致が焦点となる。
 「皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである。学会の将来にとって、今が一番大事な時である。ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である」との池田発言は、自らの責任を棚上げにし弟子に責任を転嫁することで、国会や社会の追及から逃げ切ろうとの、池田氏の姑息な計算が働いていると見るべきだろう。
 6月3日の本部幹部会では、欠席した池田氏のメッセージが長谷川副理事長によって読み上げられたが、その内容もまた「今、私も戸田先生とまったく同じ心です。君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えているからであります」などと、“後事を託す”といえば聞こえはいいが、責任を弟子に押しつけるものとなっている。そうしたセーフティネットを敷いた上で池田氏は、(1)強盛なる祈りで勝て、(2)異体同心の団結で勝て、(3)勇気と執念の行動で勝て、などと参院選の勝利に向けての檄を飛ばしている。しかも「聖教新聞」には掲載されなかったが、同メッセージの中で池田氏は、「何も恐れるものはない。断じて、勝ってもらいたい。断じて、勝たせたい」「大勝利を待っています」などと宣うているのだから呆れるしかない。

 登場した池田の意志の“解説者”

 ところで池田氏が意図的に欠席し、「君たちに万事を託していく」とした本部幹部会では、長谷川副理事長による池田氏のメッセージの披露に続いて、池田氏の長男である池田博正副理事長による池田氏の和歌の披露と、池田氏が日蓮正宗との対立の責任をとって会長を辞任した昭和54年5月3日に揮毫したとする掛け軸の披露が行われた。池田博正氏が披露した池田氏が詠んだとする和歌の一つは次のようなものである。
 「断固たる 正義の指揮執る わが弟子が 晴れて勝ち抜き 歴史を残せや」
 解説するまでもなく、これが参院選での勝利を鼓舞する歌であることは明白だが、興味深いのは、この後に池田氏が会長辞任直後の5月3日に書いたとする揮毫の意味を、池田博正氏が解説した事実である。この池田博正氏の発言は、どういうわけか池田博正発言としてではなく、記事化して「聖教新聞」に掲載されているので、発言そのものを紹介しよう。ポスト池田の大本命の御曹司の発言は、なかなかに興味深い内容となっている。
 「さらに先生より二本の掛け軸をお預かりいたしましたので、ここでご披露いたします。
 ひとつは『大山』大きな山と書いて『大山』。もうひとつは『大桜』。大きな桜、『大桜』という掛け軸です。で、下に脇書きがありますので、脇書きをご紹介します。『大山』の方の脇書きです。『わが友よ、嵐に不動乃信心たれと祈りつつ』『五十四年五月三日 創大にて 式後』式典の後、『式後 記すなり 大作』。
 『大桜』の方の脇書きです。『わが友乃功徳満開たれと祈りつつ』『五十四年五月三日 創大にて 合掌 大作』。
 皆さん、ご存じのように、この日は先生は、第三代会長辞任の本部総会に出席をされました。場所は創価大学の中央体育館であります。終了後、渡り廊下を歩かれていた先生のもとへ、幼子をかかえた婦人部の方々が、『先生、先生』と叫びながら駆け寄ってこられました。先生は、『ありがとう、お元気で』と大きく手を振ってこたえられた。そして『こういう尊い方々を、いったい誰が守っていくのか』と語られました。その直後に、創価大学で認められたのが、この二つのご揮毫であります。その後先生は学会本部にはもどられずにそのまま神奈川文化会館に向かわれました。その日の夜、神奈川文化会館でしたためられたのが『共戦』。二日後の5月5日の御揮毫が『正義』であります。そして1年後の昭和55年に関西でしたためられたのが、先日、披露された『五月三日』の御揮毫であります。『大山』『大桜』さらに『共戦』『正義』そして『五月三日』。これらの御揮毫から反転攻勢の戦いをただひとり開始された先生の御一念が拝されてなりません。以来30年。今日の世界192カ国に広がる創価学会の大発展を築き上げてくださいました。特に本日、ここに掲げられた二つの御揮毫には全学会員に寄せる深いお心が隠されています。
 つまり『我が同志は、一人ももれなく大山のごとく嵐に不動の信心でその一生を生き抜いてもらいたい』そして『大桜のごとく功徳満開の人生を勝ち取ってもらいたい』これが常にかわらざる先生のお心であります。とともに先生は『わが学会は揺るぎない精神界の王者として大山のごとく社会にそびえたっていく』という、そして『幸福勝利の創価桜の道を断じて世界に開いていこう』とも語っておられます。先生が示してくださった、『大山 嵐に不動の信心たれ』、『大桜、功徳満開の人生たれ』、この精神を生命に刻みつけて、戦ってまいろうではありませんか。以上です」
 自分の父親を「先生」と尊称し、その行為を敬語で讃えるおかしさはひとまず措くとして、意図的であれ体調不良であれ、池田氏が本部幹部会を欠席し、池田氏の意図するところのメッセージを、池田博正氏が幹部・活動家に解説・敷衍したことは、今後、ポスト池田体制の中で、池田氏の意志を会員に伝える、あるいは池田氏の意志を解説するのは池田博正氏であるということを明確にしたといえるだろう。
 要するに池田教という宗教集団の中で、教祖のお言葉を伝え、その意味を解釈するのは池田博正氏ということである。

 主張された「三位一体」

 いまから10年前の平成12年4月14日付「聖教新聞」に、「創立70周年を祝賀して 私の希望」というコラムがあった。そこに「副会長 池田博正さん」の「『信心の継承』こそ宝」と題するこんな一文が掲載されている。
 「父子一体の信心。父子一体の広宣流布流布への前進。これが、理想的な令法久住の仏法の法理である。幼き頃、よく母から聞かされた重要な指針であった。親が大幹部で、子供が立派な信心を受け継いでいない家庭を、私は心配する。
 親の跡を継ぎ、親以上に学会の発展を祈り、広宣流布の燃え上げる信心の一家であることを、私は望みたい」
 それから3年後の平成15年に出版した『随筆 青春の道 私の若き日の記録』で池田博正氏は、「花吹雪 父の肩にも 母の髪にも」という一句について、こんな文章をものしている。
 「満開に咲き薫る桜を眺めつつ、私が『花吹雪』と謳うと、それを受けて『父の肩にも』と父。さらに『母の髪にも』と母が続けた。父と母と子でつくった思い出深き、一句である」
 「父子一体の信心」から、父と母そして自分がまるで「三位一体」であるかのように記す池田博正氏。池田教の“法脈”はこの父と母そして息子の間で継がれるのだろう。そのポスト池田の世襲体制を完成させるためには政治的安定が欠かせない。そのためにはなりふり構わず公明党の議席と得票を維持し、政界への影響力を拡大したいと考えているのだろう。池田大作氏が欠席し、池田博正氏が池田氏の意図を伝えた本部幹部会は、その意味で、近未来の創価学会を象徴する光景だったといる。
 だが、政治的影響力の拡大を目指す創価学会にとって、7月11日投開票で行われる参院選も、惨敗した平成19年参院選、平成21年衆院選同様、厳しい結果になるものと予想される。公明党は選挙区3議席、比例区8議席の改選11議席の獲得を至上命題とするが、現実には選挙区でよくて2議席、比例区でもよくて6議席の合計8議席程度と見られている。
 池田氏が会長に就任してから初の国政選挙となった昭和37年参院選での公明政治連盟の獲得議席は9人。元の木阿弥の中で、池田創価学会は、いま衰亡と終焉の時を迎えつつある。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

投稿者 Forum21 : 2010年08月06日 01:45

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