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2010年05月06日

2010-5 特集/池田大作「会長就任50周年」の罪と罰

「愚者の船」を作り続けた50年

溝口 敦
ジャーナリスト

不毛の教団・創価学会

 安保阻止のデモ隊が国会を取り巻いていた60年5月、池田大作は創価学会の第三代会長に就いた。以来50年間、職名は名誉会長に切り替わったものの、池田は終始、学会員信者の上に君臨し、創価学会=公明党を実質支配し、その私物化を続けてきた。
 かつて右翼の児玉誉士夫は、創価学会が存在していたために、日本での社会主義革命は阻止できたと評価したとされる。創価学会があろうがなかろうが、戦後日本に革命が起きる条件があったとは思えないが、池田創価学会というダムにより日本国民の声なき声が堰き止められ、ダム内に沈殿、滞留したことは事実だろう。当時から学会員信者の多くは経済・社会的な弱者と見られていたが、そうであってみればなおさら社会福祉など、現実政治に公正平等を、たとえば所得の再配分システムなどを求めて当然だった。
 だが、池田は学会員信者の必要性と期待を裏切り、単に彼らの票を公明党に一元化し、それを組織防衛と自己の顕彰のためだけに使った。彼らの大多数は生活の向上を願わざるを得ない境遇にあったが、それらは「福祉の党」に瞞着されて一把ひとからげにされ、与党病(自公連立)や池田の国会喚問阻止、あるいは外務省などを通じての便宜供与などに使われたのだ。
 「公明党への一票は一人を折伏するに等しい」という幹部指導は学会員信者を「朝三暮四」のサルに変えたともいえる。サルにトチの実を朝3つやる、そのかわり晩には4つだといったところ、サルたちは怒った。そこでそれでは朝4つ、晩には3つだといったところ、サルたちは皆喜んだという。
 そういう故事だが、サルへの餌はどう変化をつけても1日計7個は変わらなかった。朝三暮四はまだしも一貫性を持っているが、ひきくらべ学会員信者に対する池田の約束履行は、朝三暮四のサル以下だった。池田が与えたのは「民衆の勝利」という幻想とスローガンだけ、民衆を養うトチの実はゼロに等しかったといえよう。
 こうした流れからいえば、池田は創価学会を「愚者たちの船」に変えた元凶である。学会員信者は「福祉の党」が福祉を切り捨て、「清潔な党」の議員がカネを貪り、「中道」が自民党路線を補完し、よりアメリカべったり、大資本・大企業優遇政策を推し進めようと、公明党政治の実際をチェックせず、単に「先生のつくった党だから」とバカのように支持し続けた。池田にとって学会員ほどチョロく、おいしい存在はなかったといっていい。
 しかも池田という船長自身が理想を持たず、世俗的な自己顕示や名誉欲の満足だけに熱心な俗物だった。彼が頭を悩ませていた課題は自己の「偉大さ」の顕彰をどう確保するかだけだった。池田にあっては、創価学会・公明党は池田の名誉欲を満たす限りにおいて存在意義を持つのであり、それ以上の存在ではなかった。
 池田には優秀な後進を育て、創価学会の将来を託す気持ちなどさらさらなかった。それこそ「わが亡き後に洪水よ来たれ」であり、自分より優秀な後進はわが地位を脅かすとして、船から荒波逆巻く海に放り出し、じっと溺れ死ぬ様子を眺めることを好んだ。
 よって「愚者の船」という船内に残ったのは文字通り愚者か腰抜けであり、あるいは殴打を快感とするマゾヒストか、考える習慣を持たない能なしだけになった。自分の頭で判断できるような学会員はとっくの昔に船を下りているか、船から放り出されているか、どちらかであり、今後、池田亡き後、誰がどのように「愚者の船」を運航するのか、けだし見物である。
 おそらく創価学会は日本最大の新宗教団体のはずだが、これほど多数の学会員信者を抱えながら、文化的に何ものをも産み出さなかった教団は他になかろう。それもこれも全て池田により「愚者の船」とされたからだ。
 なるほど学会にも芸能人やスポーツ選手は少なからずいるだろうが、客観的に見て、彼らは自力で芸能人や選手になったのであり、(彼ら自身の自己評価とは関係なく)創価学会のおかげでなったのではない。創価学会は人を養い育てず、逆にスポイルするだけの教団である。
 さらにいえば創価学会に所属するスターたちはたいていが反射神経や瞬発力に物をいわせる肉体型のスターであり、思索型のスターは皆無である。創価学会に所属することと、客観的に思索を深めることとは両立しないからだ。よって創価大学は社会に通用する思想家はもちろん、単なる学識者さえ産出できない。
 また創価学会や聖教新聞、潮出版社、民音などは何か誇るべき、画期となるような作品を世に送り出したのか。たぶん皆無だろう。たしかに池田の『人間革命』はベストセラーにちがいないものの、読者は学会員信者ばかり。非学会員に対する影響力は皆無であり、会外で高く評価する者はいない。しかもゴーストライターを立てての作品だから、天下に胸を張って評価を求めるような小説ではない。一種の宣伝文書なのだ。
 こうして創価学会は徹頭徹尾、不毛の教団であり、きわめて民度が低い。なぜこうなったかといえば、池田が創価学会というダムが抱える人材をスポイル・追放し、その物財を自分のためだけに費消したからである。まるでアフリカでも小国の、どうしようもない大統領である。国家の予算を自家の金庫に流し込み、自分と家族の栄耀栄華のためだけに費消して、やがては海外に逃亡するような汚名の男――。
 池田は燃費効率の悪いアメ車どころでなく、犯罪的なまでに創価学会の人員や物財を費消して、初めて指導者の顔ができるようなにせ物だった。同じにせ物でもきわめて程度が低いから、その分糊塗し、本ものの振りをするにはカネがかかった。最近の「創価新報」が誇らしげに伝えている。「国家勲章28」「識者との対話7000人」「世界からの顕彰4000」「名誉市民660」「海外講演32」「名誉学術称号285」と。世人は池田のカネに糸目をつけない「名誉」コレクターぶりに驚倒するばかりだろう。これらのタイトルは「全人類が賞賛する人間主義の哲学」の結果ではなく、タイトルに対する貪欲な物欲主義の結果であり、その意味では恥の石碑なのだが、池田だけはこのことをまるで分かっていない。

 時代の推移を堰き止めた罪

 池田は宗教者であるにもかかわらず、他者の支えなしには自己のアイデンティティを確立できない。そのため他者が支給する勲章を胸に飾ることで、ようやくアイデンティティ・クライシスを克服できる。宗教者はよくも悪くも自分に確信を抱く者である。確信がなければ信者大衆を指導できないからだが、池田には確信がなく、外部の権威を移入することで辛うじて権威者になろうとする。情けなく、みっともないことである。
 だが、そういう池田もどうやら創価学会という畳の上で往生できそうである。最後まで池田を追放できず、国外逃亡に追いやれなかった歴史は学会員信者の恥辱だが、何せ「愚者の船」に乗る人たちだから、彼らにはアフリカの小国人民ほどの期待もできない。逆に池田を追放するまでもなく、池田が死ねば、創価学会・公明党の命運も傾く仕掛けらしい。非学会員にとっては「あんなものは放っておいても消滅する」存在に成り下がったのであり、現状はまことに喜ばしい。公明党が恥も外聞もなく民主党に擦りよるも結構、どう転ぼうと先は短いんだから、やりたいことをやりなさいと言いたくなる。
 ところで創価学会の投資先は池田以外になかったから、池田が死ねば、その遺産は池田家以外には渡らず、学会組織を益することはない。池田の投資先はもっとも脆弱で儚い池田本人だったという点で、池田は根本的な誤りをおかした。
 わずかに全国各地に「池田会館」の類が残るだろうが、これとても信者が集まっての会館である。池田死後、学会員信者が四散すれば、会館は宝の持ち腐れとなり、創価学会は切り売り財政に入って延命を図るしかない。池田会館が近い将来「老人憩いの家」になる公算は高い。
 こうして池田による創価学会50年の施政は空無となる。池田の最大の罪は信者大衆をダムに堰き止め、時代の推移を遅らせたことにあろう。彼は昭和時代を平成に持ち込み、戦後自民党政権を限りなく延命させた。獅子身中の虫である官僚をここまでのさばらせ、国民の血税を食い荒らさせた点で、創価学会公明党は多大の貢献をした。信者大衆を組織的に瞞着し、毎年振り込め詐欺もどきのカネ集めの被害者にした。池田のなした罪は大きく、その罰は無間地獄と決まっている。 (文中・敬称略)

溝口 敦(みぞぐち・あつし)

1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務を経てフリージャーナリスト。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』で第25回講談社ノンフィクション賞を受賞。『堕ちた庶民の神』『池田大作創価王国の野望』『オウム事件をどう読むか』『宗教の火遊び』『チャイナマフィア』『あぶない食品群』『細木数子 魔女の履歴書』など著書多数。

投稿者 Forum21 : 2010年05月06日 01:35

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