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2008年02月01日

2008-2-1 虚飾にまみれた池田大作「勝利の80年」

「敗北の歴史」だった池田大作の80年

古谷 博/元・創価学会芸術部書記長

 昨年の暮れに小多仁泊のペンネームで拙著『池田大作の品格』(日新報道)を出版しました。
 池田大作・創価学会との体験50年間をまとめたものでしたが、初の出版にもかかわらず、予想以上の反響に正直言ってびっくりしています。
 多くのお手紙やメールを頂きましたが、その一部を紹介しますと、ある教育者(大学教授)は、「本を一気呵成に読了しました。多くのことが書かれている中で、学ぶことが大変多くありました。何よりも述べられてある事柄が、知識の上でも体験に照らしても殆ど全て納得できることが、この本の特徴と思います」と。またある有識者からは、「私共には全く知る由もない伏魔殿のことを覗かせて頂き大変興味深く読ませていただきました。頁を追う毎に『ヘエーそこまでやるの?』『……さもありなん』等々、さまざまな感慨で一気に一読させていただきました」等。

 また、かつては池田大作から薫陶を受け、今は脱会した元創価学会理事は、「読みながら、当時の学会活動の様子が甦ってきました。それにつけても、池田創価学会がこうも変質してきていることに憤りを覚えます。早く、学会員がそこに気がついて抜けることを祈るのみです」とありました。その他若い方々からもメールやFAXを頂いています。
 通読すると、この1月2日、傘寿(80歳)の誕生日を迎えた池田大作への不可解さと不気味さに対する素朴な疑問を、多くの方々が抱いていることが分かります。
 老いてますます意気軒昂なことは、一般的には喜ばしいことなのですが、池田の権力欲、名誉欲、支配欲への妄執とも思える所作には考えさせられることがあまりにも多い。そこで、池田大作の80年の歴史は、どういう人生であったのか。創価学会のいう「金字塔の80年」「連続勝利の80年」であったかどうか、少し検証してみたいと思います。

 不正、不祥事、歴史の改竄の連続

 池田大作は、とにかく「勝つ」という言葉が大好きです。「常勝将軍」「連続勝利」「広布第二幕の完勝」「勝ちまくれ」「勝て!勝て!」と学会員は耳にタコならぬ眼にタコが出来るほど「勝」という文字の洪水に苛まれているのです。豊かな心を育み、心を磨くことを教えるべき宗教が、勝利至上主義思想を会員に叫び続けることは「心の荒廃」を推し進めるに他ならず、一般には理解しがたいものです。
 もともと池田は、入信当初より、自分は「特別の人間」であると周辺の人間たちにアピール。「天下を取る」だの「勝利」だのと鼓吹していました。その池田を見て、先輩の龍年光氏は「変わったヤツ」と評し、また周りの人間は「池田は大風呂敷を広げる青年」と見ていたようです。

 しかし昭和35年、池田は創価学会の会長職を権力闘争的手法で簒奪。三代会長に就任するや用意周到に池田体制の磐石化を促進し、都合の悪い戸田門下生を徐々に排除して、完璧に創価学会を私物化しました。その結果、会長就任から昭和40年代前半までは、池田はまさに絶頂期を迎え、側近たちも競って「池田神格化」を手助けしました。この頃の池田のメンタリティを示す有名な語録があります。「『私は日本の国主であり、大統領であり、精神世界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』」(『人間革命をめざす池田大作その思想と生き方』高瀬広居著)という絶対君主のような発言です。
 しかし「驕れる者は久しからず」の習いで、この発言から2年後の昭和44年12月13日夜、NHK総選挙特別番組の討論会の中で共産党の松本善明衆院議員は「藤原弘達著『創価学会を斬る』と内藤国夫著『公明党の素顔』が出版された際に創価学会と公明党が著者や出版社に圧力や妨害を加えた」と追及しました。そこから世論が騒然となり、創価学会・公明党による「言論出版妨害問題」追及の火蓋が切って落とされたのです。

 私は、創価学会の本部職員として事件に関わった当事者ではありませんが、聖教新聞社出版局の友人から生々しい言論妨害の実態を聞きました。書店を回って「本」を置かないように圧力をかけたというものです。また、池田の命令を受けた藤原行正元都議からも藤原弘達氏に対し、後に会長となる秋谷栄之助と一緒に出版をやめるよう働きかけたとも聞きました。更に池田は、自民党の田中角栄幹事長に頼み込んで2回も「出版妨害工作」を試みるなど、なりふり構わぬ狼狽ぶりを天下にさらしてしまったのです。
 この「言論出版妨害事件」は創価学会の前進を阻みましたし、神格化された池田の誤謬を天下にさらしました。このことに怨念をもった池田は、この事件を教訓としてより陰湿に、より悪賢く、より執念深く社会を騙して批判的言論を封殺しようと企てはじめました。

 その一つが豊富な資金力を駆使してのマスコミ対策の戦略でした。そこでは歴史の改竄を行っています。『新・人間革命』(2001年7月10日付)で「この言論問題は、『嘘と罵詈雑言で固めた誹謗・中傷のための謀略本』に怒った学会青年部たちの自発的行為であった」と虚偽を記載。また産経新聞のインタビュー(2001年9月19日付)には、「学会はさんざん悪口を言われた。それはいい。許せなかったのは、学会婦人部に対して口を極めて侮辱したことだ。〈中略〉侮辱の作り話などに反発し、怒るのは当然だろう」と、加害者でありながら、被害者を装っています。これらの一連の言辞に池田のウソとすり替え、そして開き直りともいうべき側面を見ることができます。

 「連続勝利の80年」の間には、社会に衝撃を与えた不祥事を次々と起こしています。「宮本宅盗聴事件」(昭和45年)「本尊模刻問題」(昭和48年〜53年)「月刊ペン裁判」(昭和51年)「富士宮市議会百条委員会」(昭和56年)「1億7千万円金庫事件」(平成元年)「脱税(修正申告)事件」「ルノアール絵画事件」(平成3年)などなどです。
 これらは記憶に残る主な事件ですが、これ以外にも暴力団との癒着や公明党議員の汚職、創価学会員による違法行為など、世間から「宗教団体としての資質」を疑問視する声が澎湃と沸きあがるのも当然です。しかしいずれの事件に対しても、池田並びに創価学会は国民に対していっさい説明責任を果たさず頬かむりして今日に至っています。とても「連続勝利」とはいえないのが池田の人生であり創価学会の歴史です。

 そして、一連の事実を追及する政治家やマスコミに対して「宗教弾圧」とか「信教の自由の侵害」などと罵詈雑言を浴びせかけているのです。また、池田創価学会の思惑に従わない団体や個人に対する攻撃も執拗に繰り返され「全体主義が一番良い」と発言する池田大作の体質どおり、ファッショ的な恐怖をかもし出し、世間から創価学会は嫌われ者の代名詞にすらなっているのです。
 私は、学会本部の組織センターに在籍していましたが、その間、「何故、創価学会は世間から認められないのだろう」という疑問が常に渦巻いていました。その根本原因が池田の性癖にあると気がつくまでかなりの時間を必要としました。

 今回『池田大作の品格』を世に問うたのも、日本の国家・社会・国民にとって深刻なこの池田問題を議論し探求しなければ、この国の民主主義は破壊されてしまうという危機感が動機となりました。
 創価学会は、臆病としかいいようがないほどの批判拒否体質、自由闊達に議論をすることを許さない言論封殺の体質、そして金の力や政治力を駆使したり、マインドコントロールされた学会員を使って反対者を日常的に攻撃する行為などを駆使していますが、どれ一つとっても明るく安心した社会の構築を阻害する要因です。創価学会は池田が世界各国から名誉称号を数多く受け、平和や明るい社会の建設に貢献しているかのように宣伝することで、創価学会や公明党の支持率の浮上を図りますが、そんなことをするよりも、自らの異常な体質を改善することの方が重要だという簡単なロジックさえ判らない。ここに創価学会の深い闇があるといえます。

 うまく進まない世襲への環境作り

 ここ数年、明らかに池田に変化が起きているように思います。それは、80歳という老醜からくるのか、または後継者を決められないアセリなのか、池田王国の崩壊が如実に見られる出来事が報告されています。
 まずはじめに、26年間の長きに亘り大功績のあった秋谷前会長は現在どうしているのでしょうか。学会本部から聞こえてくる情報によれば、相変わらず池田にどやしつけられ、手駒として使われる日々だそうです。
 池田は日蓮正宗攻撃が思惑通りにいかないことの責任を秋谷に押しつけたり、神崎公明党代表辞任の際には、神崎元代表に「秋谷にいじめられた」と学会員の前で何回も言わせたりしているといいます。とにかく池田の言動は、常軌を逸しているのです。

 秋谷前会長は組織センターの端のデスクで誰にも声を掛けられず、書類の決裁をすることもなく寂しく昼飯を食し、まわりの職員が気兼ねしながら見ている冷たい環境の中で毎日を送っていると聞きます。
 また、SGI組織を創価学会や公明党、大学などの上部組織にして博正体制を固めましたが、その世襲への環境作りが思惑通り進んでいないのです。その象徴的な事例として漏れ伝わってくるのが、SGI組織の婦人部最高幹部のA子とY子が池田から、学会員の前で総括されているという話です。A子の総括内容は「宗門との闘いが生ぬるい」「闘わないから天涯孤独になるんだ」との、およそ非人間的な決めつけで罵倒しているといいます。A子は早くして本部職員の夫を亡くし、加えて最愛の娘さん二人を相次いで亡くしたばかりでした。「闘わないから天涯孤独になるんだ」という論理は、到底社会常識で受け入れられるものではありません。
 一方のY子は、婦人部の会合で“戸田先生は世襲を認めていません”との発言をしたことが池田の耳に入り、池田の逆鱗にふれたと内部の婦人部幹部が教えてくれました。
 また、かねてよりかね夫人を宣揚するため「奥様」という呼称を使用し、池田と同格扱いしてきましたが、ここにきて、関西方面では、池田の長男・博正を「御子息様」と呼んで池田お追従のための動きをしていたといいます。さすが、池田ベッタリの関西創価学会、東京との違いをつけるための秘策だったのでしょうか。しかし、世襲がなかなかうまく行かないことに池田は苛立ったのか、腹立ちまぎれにある関西の幹部を「お前が御子息様、御子息様というからだ」とどやしつけたといいます。結局、池田は博正への世襲のタイミングを謀っていましたが、平成17年、18年、19年と断念せざるをえませんでした。
 そしていまや、池田は海外に行きたくとも健康面で不可能なのです。すでに池田は“死に体”にも等しい状態といえましょう。

 このように検証してくると、「祝電」を最大限効果的に利用することで学会員の眼をそらし、急ぎ世襲体制を固めなければならない状況に追い込まれていると言えます。創価学会のいう「池田大作の金字塔80年」は、見るも無惨な「敗北の歴史」そのものなのです。(文中・一部敬称略)

投稿者 Forum21 : 2008年02月01日 20:05

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