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特集/なぜ? いま―創価学会による「矢野攻撃」

「異常者集団」の体質あらわ 季節外れの執拗な矢野叩き

2005-6-15

溝口 敦 ジャーナリスト

 集団リンチを思わせる「矢野叩き」

 創価学会が今になって矢野絢也・公明党元委員長を袋叩きにしている。矢野氏は89年5月明電工事件にからんで委員長を辞任し、党最高顧問に移ったが、93年6月に政界を引退、その後は創価学会・公明党と一般世界にふたまたをかける両棲類的、ヌエ的な政治評論家として所帯を張っていた。
 矢野氏は月刊「文藝春秋」の93年10月号〜12月号、94年5月号〜8月号に回想録を連載し、それを『二重権力・闇の流れ――平成動乱を読む、政界仕掛人・矢野絢也回想録』として94年9月に刊行している。また前後して、94年3月には『乱か変か――細川連立政権は何処へ行く』を毎日新聞社から出した。
 いわば10年も前に、政治的にも社会的にも生命を終え、付録だけで生きているような矢野氏(73歳)をなぜ唐突に今、叩かなければならないのか。世間の常識からは唖然とするばかりだが「聖教新聞」の矢野氏攻撃は執拗をきわめている。
 初っぱなは同紙の4月28日付。4面全面をつぶして「常勝関西が正義の大前進」「戸田先生“支持者を裏切る者は叩き出せ”」「議員は引退後が勝負だ」「公明党元委員長の矢野氏が謝罪 “私の間違いでした”“当時は心理的におかしかった”」と何本も大見出しを立て、青年部の座談会を掲載している。
 〈杉山(青年部長)関西出身の議員OBといえば、元公明党委員長の矢野絢也氏がいる。その矢野氏が最近、改めて支持者に「深くお詫びいたします」とお詫びした。
 弓谷(男子部長)僕も西口総関西長、藤原関西長から聞いた。
 10年以上も前のことだけれども、矢野氏は「文藝春秋」に手記を書いた。この中に、われわれ青年部としては断じて見すごせない間違いが、いくつもあった。
 森井(関西青年部長)その通りだ。たとえば矢野氏は、これまで“公明党と学会は政教一致でも何でもない”と明言してきた。
 ところがこの手記には“学会と公明党は政教一致といわれても致し方ない部分がある”等とあった。
 竹村(関西男子部書記長)なぜだ! 矛盾しているじゃないか。
 塩田(関西総合青年部長)結局、この文言が引き金となって、何人もの国会議員が国会で学会を誹謗し、あろうことか「喚問、喚問」と大騒ぎする事態になった〉
 以下、省略するが、同じような悪口雑言が延々と続く。矢野氏を円形に取り囲み、罵声を浴びせ、小突いたり、殴ったり、蹴ったり。さながら集団リンチを思わせる。リンチに加わらなければ、その者も新しくリンチの対象になるといった恐れからか、競って矢野氏をののしり、誹謗する。青年部はKKK団かと、思わせるほど不気味な光景である。

 10年前に謝っていた矢野氏

 座談会の最後の段落で矢野氏が謝ったことが伝えられる。
 〈弓谷 西口副理事長、藤原副会長によると、今回、矢野氏は、手記の内容と、それが及ぼした影響について「結果的には私の責任です」「ご迷惑をおかけしたのは事実ですから、深く深くお詫びします」と改めて謝った。
 杉山 さらにまた“私の間違いでした”“当時は心理的におかしかった”と猛省していた、とのことだ。
 塩田 当然だ。
 弓谷 ただし、この手記の内容は、その後、単行本化されたときに、かなり問題個所が修正された。また矢野氏によれば、単行本自体も、すでに絶版になっているという話だ〉
 矢野氏が謝り、かつ単行本で修正され、まして絶版になっているのであれば、現在に影響を及ぼさないと見るのがふつうだろう。常識的には、このようなときは穏便にすませ、こと改めて非難を加えないはずだが、創価学会はちがう。改めて衆を頼み、矢野氏に石を投げろというのだ。
 たしかに単行本『二重権力・闇の流れ』を見ると、関係者のやりとりの羅列にとどまり、政教一致などと総括する文言はない。端的には造反した大橋敏雄議員に触れた次のくだりがある程度である。
 〈秋谷「こんな形で来るとは思わなかった。公然と批判されて黙っているわけにもいかん。毅然とやるしかない」
 矢野「同感です。党がなんらかの形で処分をしなければならないとは思う。それは当然だが、言いにくいが私は慎重だ。『信教の自由を保障する』が党の方針だ。彼の趣旨は学会批判だ。信仰の問題で党は処分できない。あえてやれば『党の名誉を傷つけた』とか『党の結束を乱した』とかが理由にできる。が、もし、大橋が不当処分だ、政教一致だ、と訴訟してきたら裁判は処分理由を巡って学会や名誉会長を巻き込み迷惑をかける。頭の痛い点だ〉
 矢野氏はしごく当然の判断をしている。しかも秋谷会長とのやりとり自体が政教一致を語っている。謝る理由はないはずだが、彼は修正し、謝る。同じ10年前刊行した矢野『乱か変か』の冒頭近くでもすでに矢野氏は自身の“誤り?cを認めている。
 〈鳴動(敏腕の元政治部記者とされる)黙阿弥さんが、とりわけ「政教一致というご批判をいただいているが、確かに状況をみてみると、そう言われても致し方ない面はある」って書いているのが誤解を招いたようだよ。
 黙阿弥(矢野氏本人を指す)(ますます憮然として)うん。あれの真意は政教一致って見方もあるようだってことです。私が「政教一致だ」と言っていると受け取られることは本意ではない。世間に誤解を与えましたね。恐縮しています。私は(創価学会と公明党は)政教分離されていると思っています〉
 手記の直後に頭を下げていた。あらためて事実の経過をたどっておこう。
 矢野氏は93年から94年にかけて「文藝春秋」に手記を書いた。直後に「政教一致云々はけしからん、改めよ、謝れ」といった圧力を創価学会側から受けた。矢野氏は党を離れ、自由人になったはずだが、直後の94年、意気地なく単行本『二重権力・闇の流れ』で指摘された部分の記述を改めた上、ほぼ同時期に出した単行本『乱か変か』で誤りを認め、遺憾の意を表した。

 生け贄・反面教師か、池田氏のねたみ・そねみか

 だが、問題はこれで済まず、10年後の今になって再燃、矢野氏はまたしても同じ問題で「謝れ、改めよ」と袋叩きにされ、またしても意気地なく謝り、改めると言わされた。
 現在の一線を退いた矢野氏なら、突っ張ることも、無視することもできるはずだが、矢野氏はそうしない。創価学会と公明党の「政教一致」は常識にかなった指摘のはずだが、創価学会のムリに矢野氏は弱みがあるのだろう、あっさり道理を引っ込めている。
 矢野氏は付録の人生とはいえ、現在は「雑文を記す」言論人であるはずだが、創価学会の圧力にやすやすと屈し、言論を曲げている。政治家時代からその程度の人物ではあるのだが、みっともない老後にちがいない。引退後、同じく回顧録を発表し、袋叩きに遭った後、沈黙を守り通す竹入義勝氏とは器量がちがうようだ。
 だが、創価学会側は「水に落ちた犬は打て」とばかりに、謝る矢野氏に非難、追及の手をゆるめない。
 座談会の後、「聖教新聞」の「声」欄に北九州市小倉区の読者からの投稿「矢野忘恩に憤り、行動なき謝罪は認めない」を載せ、続いて「声」欄に東大阪市の読者からの投稿「矢野元委員長の謝罪に思う、『口先だけ』なら絶対許さない」を載せたばかりか、再び5月9日には4面の全面をつぶして矢野問題をキャンペーンしている。
 「関西青年部が正義の獅子吼」「“恩知らずは畜生の所業”」「議員は引退後こそ『決戦の時』だ」「全議員OBよ大衆とともに死力を尽くせ」「矢野元委員長が海外?潤v「口先だけの謝罪は要らぬ」
 5月18日には同じく「聖教新聞」4面に、
 「矢野公明党元委員長が重ねて謝罪 「お詫びしてすむ問題ではありませんが…」と平謝り」
 と大見出しを立てて報じている。
 明らかに異常事態であり、創価学会・公明党の特殊事情を推測せざるを得ない。
 たとえば矢野氏以外の公明党元議員に造反の動きがあり、それに対処する事前の牽制策なのか。つまり矢野氏は見せしめの生け贄なのか。あるいは創価学会が現在を安定期ととらえ、この際、公明党に「学会あっての党」であることを叩き込もうというのか。この場合、矢野氏の役割は負のモデルケース、反面教師役である。さらにまた池田氏がいよいよ死期が間近に迫ったことを悟り、学会と党への遺言として「学会あっての党」を再確認させようというのか。
 たぶん事態の遠因はもっと単純で、池田氏がのうのうと暮らす矢野氏に腹を立て、俺が偉いんだ、委員長をやったところで、お前はクソだといいたくなったということだろう。この場合は池田氏のねたみ、そねみが矢野叩きの真因になる。いずれにしろ創価学会は異常者の集団に相違ない。

溝口 敦(みぞぐち・あつし)1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務を経てフリージャーナリスト。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。著書に『堕ちた庶民の神』『池田大作創価王国の野望』『オウム事件をどう読むか』『宗教の火遊び』『チャイナマフィア』『あぶない食品群』『食肉の帝王』など多数。

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