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2005-3-1
特集/地方行政と創価・公明―市民愚弄の行状
「怪死事件」の東村山市で公明市議らが認可保育園妨害工作

矢野穂積
東村山市議会議員

 東村山といえば、志村けん。わずか人口14万のこの町が全国的に知られるようになったことに大きな貢献したこの芸能人が最近、再び渋い活躍をしているのは嬉しい話だ。というのも彼の実兄が市職員で、普段はにこりともしないのに私の同僚の朝木明代議員とは、にこにこと駅前地下駐輪場構想などを語っていたということがあるからだ。
 そして、この朝木明代議員こそ、次に東村山を全国的に有名にした人物である。断トツの連続トップ当選した現職市議が、1995年9月1日に西武線東村山駅前のビル上層階から何者かによって落とされて殺害されたのだ。しかも、高知で予定された「創価問題シンポジウム」に出かける前日夜の事件だった。現在のところ事件の真相究明は、数年を要してようやく公表された司法解剖鑑定書によって、朝木明代議員が何者かによって殺害されたことが判明したに留まっている。
 依然として、この殺害事件とは無関係を強調する創価学会が、未だになぜか「東村山デマ事件」と呼び、勝手に遺族や私を攻撃していることは指摘しておく必要があろう。この事件の経過等はここでの主題からそれるので、私と故朝木明代議員の長女直子さんの共著『東村山の闇』(「第三書館」刊)、そして本誌昨年1月15日号に「新事実が明らかになった東村山事件」という特集記事が組まれているので、これらを参照して頂きたい。

 公明市議使い、保育園つぶしの動きを開始

 さて、以下に紹介するのは「福祉」を金看板とする創価学会・公明党が、福祉施策の推進を児童福祉の現場でいかに阻害しているか、という実際に発生した問題である。
 創価学会は、一昨年の2003年1月から、東村山市内で認可保育園を新設しようと努力する側に対し、本部信濃町ぐるみで公明市議・都議らを使って派利派略をむき出しにして、同業者・認可外保育所関係者らと組んで妨害を繰り返したのである。
 東村山市は全国でも有数の保育所入所待機児の多い町で、毎年そして現在でもなお200人を超えていて、厚労省に保育担当職員が呼ばれて対策の強化を指示されるという事情にある。認可保育所が少ないことに加えて、認可外保育所は月額保育料を1人5万円もとるなど、とても子育て支援を語れる環境になかった。
 そこで、私達は「FMコミュニティ放送局」を開局するために設立し都知事の認証を受けていたNPO法人の事業の一つとして、認可外保育所(0歳から2歳まで保育)を開設した。保育料を低く抑え、熟練した保育士らを招請して家庭的な良質の保育を提供しようというものだ。その後、この保育所は約半年足らずで、東京都により認証保育所として認知されるに到る。私達は、NPO法人の役員としてこの保育所を引き続き応援した。
 また、保育所の運営理念が保護者多数の支持を集め、常に定員一杯の状態となった。そして、保護者多数から、0〜2歳だけでなく、就学前の5歳まで保育できる認可保育所をぜひ作ってほしいとの要望が相次ぎ、この東京都認証保育所「りんごっこ保育園」は、2002年初め園長を中心に、私や故朝木明代議員の長女の朝木直子さんらNPO法人の役員が応援して、認可保育園新設に取り組んだのである。
 一方、1995年9月に発生した朝木明代議員殺害事件以降、創価学会とは名誉毀損訴訟を互いに提起しあうという緊張関係が続いていた。他方、認可保育園の新設は、東京都が児童福祉法に基づく「児童福祉施設最低基準」を満たしているとして園舎の基本設計を了解し、建築確認の下りた2003年1月、着工した。ところが、ついに創価学会は地元公明市議を使い同業者・認可外保育所(「空飛ぶ三輪車」)関係者らと組んでこの新設認可保育園「りんごっこ保育園」つぶしの動きを開始した。
 東京都は当初、園舎も右基準を満たして完成しており、設置認可に必要な書類も揃っているので、認可の要件は整っているという態度だったが、法定の「児童福祉施設最低基準」を満たしているにもかかわらず、公明市議及び同業認可外保育所職員の市議が「庭が狭い、園舎が狭い」などと叫び、自民や生活ネット市議を巻き込んで、この「新設認可保育園」関連の予算(保育実施委託料等)を東村山市当初予算から削除してしまったのである。東京都は当初の態度を翻し、予算が確保されていないので、新設保育園の認可はしない、などと園長に通知してきた。この結果には、公明都議らの働きがあったことは誰も否定できまい。

 結局、2003年4月開園予定で、園舎も完成し、職員も正式採用していたが、この認可保育園「りんごっこ保育園」は開園ができないばかりか、雇用した職員の処遇、融資の利払い、維持管理経費等莫大な経済的損失を被ることとなったのである。

地裁の和解勧告に都・市が同意、
園舎完成後1年半で開園にこぎつける

 一方、創価学会寄りの助役に誘導され、また6名の公明市議(第2党)らに揺さぶられて市長は無策だった。
 やむなく、園側は2003年6月、東京都知事がこの新設保育園を「不認可」としたことの取り消しと、損害賠償を請求して、都、市、市議会らを提訴した。ところが、東京地裁行政部裁判官は、口頭弁論開始直後から「法定の基準を満たしている保育園の不認可は違法」との見解を示し、2004年4月、「認可し保育園を開園させるよう」にとの職権和解勧告を行った結果、東京都、東村山市(代表市長)は同年7月12日裁判所の合意案に同意した。この間、公明市議らは、公費出張扱いでこの和解協議の席に加わり「定員を減らせ」などと要求、園長側はこれをも受入れて、4名減の定員とすることにしたが、公明市議らはなお抵抗を続けたため、「合意しないなら『数千万円の損害賠償つきで認可拒否は違法』という判決にしますが、いいんですか」と裁判官に再三言われ、ついに東村山市を代表して市長は最終合意した。
 都が認可し、市が園長と保育実施委託契約を結び、この「りんごっこ保育園」は、園舎完成後1年半、ようやく10月1日開園した。しかし、公明市議らは同業者・認可外保育所職員の市議と、この合意に必死に抵抗、一度は、自民・公明・民主の与党3党で合意に同意しておきながら、これを翻したほか、10月1日の開園直前の9月市議会最終日には、保育実施委託契約に基づく保育実施委託料など保育園関係予算の支出をとめようとし、続いて市長が専決処分で予算を支出した後、10月30日の臨時議会でこれを不承認とするなど、一貫して認可保育園「りんごっこ保育園」つぶしに狂奔してきたのである。これが、「福祉」の創価学会・公明党の実像というほかない。
 しかも、このことが本部ぐるみだという証拠がある。2003年4月23日付「聖教新聞」4面に、この「りんごっこ保育園」新設計画について、「なぜか役人の独断専行で、コッソリ計画が進められていたんだな」という創価本部の佐藤総合青年部長の発言が掲載され、ご丁寧に、この欄には「座談会」出席者として創価学会・秋谷会長、青木・原田副理事長ら幹部の写真まで掲載した。私が市議会決算委員会で、この箇所を指摘し「この記事は事実か」と質したところ、市側は「そのような事実はありません」と明確に答弁した。「聖教新聞」記事がデタラメであることがはっきりしたのである。公明市議らも会議室内にいたが、この質疑応答が衝撃的だったことから、静まりかえっていたほどだ。

議長・監査役に公明市議が居座って執拗な妨害

 昨年10月の開園をめぐり、裁判所での合意を履行しようとする市長を支持する自民議長が、公明市議らによる関係予算否決という不穏な動きに対して、自然流会させて、関係予算は市長の専決処分で執行された。が、公明市議らは質の悪い民主市議と手を握り、自民議長に詰め腹を切らせ、公明市議が議長となった。ところが、なんと、議会選出の監査委員に居座ったままで、交代しようとしない。前代未聞の珍事、いや「創価独裁体制」というべきかもしれない。
 関係者の顰蹙を買った開き直りを続けたのは、このポストを利用して仲間の提起した住民監査請求を監査委員として認容しようという作戦のように見えた。
 案の定、昨年12月9日に、同業者・認可外保育所職員の市議らが裁判所での合意を履行しようとした市長の予算執行の専決処分を取り消せ、園側との保育実施委託契約を破棄せよ、園側に支払った保育委託料を市に返せ、などというあきれた住民監査請求を提起した。
 しかし、東村山市監査委員は3名で、税理士会推薦委員が2名おり、公明市議だけではなかった。この監査請求は結局、却下され、あわれ門前払いの結果となったのである。
 議長兼任監査委員の思惑通りにはいかず、最後に作戦が破綻をきたすという愚かな結末となった。この議長兼任監査委員、その名は川上隆之市議という。

矢野穂積(やの・ほづみ)東村山市議会議員。1947年愛媛県松山市生まれ。東京外国語大学卒。故・朝木明代市議と「草の根市民クラブ」を設立。著書に『東村山の闇』(共著・第三書館)。

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