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集/創価学会「言論弾圧」の系譜――その今と昔

偽造される「開かれた教団」の言論弾圧史

段 勲(ジャーナリスト)

 昨年九月十九日付の「産経新聞」に、池田大作・創価学会名誉会長のインタビュー記事が掲載された。米国の同時多発テロ事件にふれて、「対話による解決を」等、もっともらしい発言の後、「まさか!」とわが目を疑う言葉が続いていたのである。
 創価学会が三〇年前に起こした「言論出版妨害事件」を問われて、池田氏はこう発言をしていたのだ。
 「……許せなかったのは、学会婦人部に対し、口を極めて侮辱したことだ。この点に怒ったのだ。政治評論家として名を売っている人が、真剣に宗教を持っている人にそこまで誹謗するのは許せなかった。……侮辱の作り話などに反発し、怒るのは当然だろう……」
 これだけでは若い年代の人は何のことか分らない。まして学会青年部なら、どこかの政治評論家がむかし、学会婦人部を侮辱する作り話の言論を用いたのだろうと読み流したに違いない。だが、実態はまるで違う。
 ここに登場する政治評論家とは、故・藤原弘達氏のことで、一九六九年十一月に出版された同氏のベストセラー『この日本をどうする2 創価学会を斬る』(日新報道出版部刊)を指している。
 学会婦人部に対してこの本が、「侮辱した、その侮辱に対し、怒るのは当然だろう」という池田氏の断定的な発言。一言で言って、あまりにも事実と相違している。人権、人道を声高に主張する教団の最高指導者とも思えない。
 まず婦人部を侮辱した、という指摘。記憶では同本に、そうした表現はなかったと思ったものの、一応、三〇年ぶりに表紙の埃を払って再読してみた。同著に「婦人部」という用語が四カ所ほど使われている。例えば、
 「……この他に年齢別の組織とでもいえるものとして、壮年部、婦人部、青年部等がある。このなかで青年部がもっとも活動的であり、創価学会の中核エネルギーを形成していること、これまた周知のところである……」(四九ページ)

 あるいは、
 「壮年部会員は会長(注 池田氏のこと)ジキジキの言葉にふるい立つ。婦人部の人々は会長のいたわりの“お言葉”に涙ぐむ……」(九九ページ)
 等、「婦人部」の用語を注入している著者の目的は、創価学会の組織形態を解説し、または池田氏と婦人部の絆の深さを表現したものである。いずれも事実で、どのような読み方をしても、これが創価学会婦人部を侮辱しているとは思えない。まして「作り話に反発し、怒るのも当然」という池田氏の言葉も空しい弁明で、それこそ作り話である。
 出版界の戦後史にも残る七〇年の「言論出版妨害事件」について、当時を知る人が少なくなったと判断し、池田氏は偽造の挙に出たのであろうか。実際、同事件はどのような顛末を迎えたか、かいつまんでありのままの事実を再現してみよう。
 一九六九年十月、明治大学法学部教授で、政治評論家の藤原弘達氏が『創価学会を斬る』を上梓した。内容は三部に分かれ、
 第一部、実態―これが創価学会の正体だ
 第二部、分析―その病理を衝く
 第三部、展望―その危険なる未来
 である。氏が同著を書いた動機は、
 「日本の政党政治、民主主義の前途を考えた場合、なんらかの意味においてこの創価学会・公明党という存在に対する対決を回避しては、日本の議会政治、民主政治はとうてい健全に育たないという強い確信をもったからにほかならない」(「まえがき」から)
 と、あり、政治学者らしく、主として創価学会と公明党の関係を解析し、現状のままでは危険な存在として世に問いを投げかけた内容である。
 発行された一九六九年という時期は、公明党が「王仏冥合」や「国立戒壇」を成就すべく、衆議院に進出してまだ二年目。自民党の政策と反目していたが、しかし、藤原氏はすでに同著で、将来、創価学会・公明党は自民党と結びつくだろうと予測している。まさに政治学者が真摯にとらえた創価学会・公明党の解析本であった。前述したように三〇二ページの本には、婦人部への侮辱など一行も書かれていない。
 その同著が発売されて二カ月後の十二月十三日夜、NHKで放映した「総選挙特集番組」で、共産党の議員が、
 「創価学会を斬る等の出版物に、創価学会・公明党が出版に圧力、妨害をくわえている」
 と、発言。受けて、公明党の議員が、
 「そんなことはしていない。すべてウソである」
 と、反論したことから、著者の藤原氏が、
 「冗談じゃない。それでは事実を語る」

 と、公明党から依頼されたという自民党の当時幹事長であった故・田中角栄氏による、出版差し止めを前提にした“アメとムチ”による妨害、圧力。さらには広告拒否や自宅への強迫電話、黒枠つきのハガキなどがジャンジャン郵送されてきていることを暴露。創価学会・公明党による「言論出版妨害事件」が、こうして表面化した。
 自民党の実力者まで動員した出版への妨害は著者に限らず、本の取次店から一般の書店にまで広く、深く伸びていたのである。大手の書店によっては、学会関係者が入れ替わり立ち替わり来店し、
 「店頭に本を置くな」
 と、圧力をかけた。
 やがてマスコミが大きく報道するにつれ、学者、文化人、出版人など三千名が参加し、東京・文京公会堂で「言論・出版の自由に関する大集会」なども開催された。
 さらに、「私の出版も妨害された」と、名乗りを上げる著者や出版社が続出。内藤国夫氏の『公明党の素顔』もそうだったが、ほか『これが創価学会だ』『創価学会・公明党の解明』『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』『公明党を折伏しよう』『小説・創価学会』『創価学会』等。なかでも、『これが創価学会だ』(植村左内著)などは、まだ出版の準備段階で、学会・公明党が東京地裁に「図書発売等禁止仮処分申請」を行い、同地裁から、
 「本もできていないのに、禁止はできない」

 と、却下されるという凄まじい言論・出版弾圧が展開されていたのである。
 本誌「フォーラム21」の発行人・乙骨正生氏が、原稿料(コメント料)の支払いも発生していないのに、五社の出版社に学会が、「債権差し押さえ」をしたようなものである。
 まさに、“鶴のタブー”が一挙に表に出たわけだが、同事件はやがて「国立戒壇」や「政教一致」問題に波及し、池田大作氏の国会証人喚問にまでエスカレートした。
 万事休すとなった池田氏は、一九七〇年五月三日、東京・両国の日大講堂で開催された「第三十三回本部総会」で、
 「……今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまで批判に対してあまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さをかき、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。……今後は二度と、同じ徹を踏んではならぬと、猛省したいのであります。……言論の自由が、幾多、先人の流血の戦いによって勝ち取られたものであり、……これを侵すことは民衆の権利への侵害であることを明確に再確認し、言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思いますがいかがでしょうか(大拍手)」
 こう猛省発言を行った。まさにその同時期、一方で、山崎正友・同会顧問弁護士をリーダーとする謀略軍団は、同事件で追及の先頭に立っていた日本共産党の宮本顕治委員長宅への電話盗聴の工作に着手していたのである……。
 言論事件で池田氏は、迷惑をかけた関係者に「お詫びをしたい」とまで発言した。だが、本音は逆であったことが、当時、池田氏の側近で教学部長を務めていた学会最高幹部の一人、原島嵩氏の著書でも明らかにされている。
 「タカシ!いいか!必ず仇をうて、いつか、この本は何だ! と本人の前にたたきつけるのだ」(『池田大作先生への手紙』)
 という、池田氏による憎悪の指令がすべてを物語っていよう。
 「婦人部」がどうのこうの言う、池田氏のインタビュー記事を目にしたとき、三〇年前の言論問題について、何一つ反省などしていないことがあらためて裏打ちされた。これが言論・出版の自由に対する“創価学会の素顔”であろうか。

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