特集/イラク攻撃で地に落ちた創価学会「平和主義」の看板 H15.4.15号

「世界の平和指導者」を自称する池田氏の
多弁・雄弁と沈黙の落差

乙骨正生(ジャーナリスト)


 三月二十一日、米英軍によるイラクに対する武力攻撃が始まった。その翌日の二十二日、創価学会の機関紙「聖教新聞」は、一面左肩に「武力行使は誠に遺憾 早期終結を強く願う」との見出しの野崎勲中央社会協議会議長(副会長)の談話を掲載した。
 十一字詰めで二十三行、総字数二百二十八字の談話の内容は、その見出しが示すように武力行使を遺憾とし戦争の早期終結を願うという極めて形式的なもの。そこには国連決議なしに武力行使に踏み切ったアメリカに対する抗議も、無辜の民が殺傷されるという現実に対する怒りや悲しみも全く記されてはいない。
 ちなみに開戦以来、多くの教団や宗教関連団体がイラク戦争に関する声明等を発表しているが、そのほとんどは武力行使に反対し即時停戦を訴える内容になっている。例えば米英の武力行使を厳しく批判し、武力行使の即時中止を求める浄土真宗本願寺派の声明では、アメリカの武力攻撃を支持し追随する日本政府の姿勢についても次のように批判している。
 「日本政府は米国等の武力行使を支持していますが、戦争放棄を謳った憲法の精神に背く立場を鮮明にしていることを憂慮する」
 ところが「不殺生」を掲げる仏教に基づく平和主義を標榜し、連立与党・公明党の母体として、日本政府に対して大きな影響力を持っていると豪語する創価学会は、「不殺生」に反する武力攻撃を続けるアメリカや日本政府を批判することも、即時停戦を呼びかけることもなく、形式的に遺憾の意を表明しただけでお茶を濁したのである。

 イラク戦争に沈黙する池田氏

 そして「絶対平和主義者」「世界の平和指導者」を自負し、多くの「平和提言」「不戦提言」を行っている創価学会の「永遠の指導者」池田大作氏もまた、イラク戦争についてなんら発言しようとはしない。
 イラクのクウェート侵攻に対して国連決議に基づいて多国籍軍が軍事行動を起こした十二年前の湾岸戦争の時、池田氏は、「戦争回避のための『緊急アピール』」を行ったことを、平成四年の東京総会の席上、こう自慢している。
 「昨年の湾岸戦争に際し、私は作家のアイトマートフ氏ら世界の五人の識者とともに、戦争回避のための『緊急アピール』をイラクのフセイン大統領あてに行った。五人のうちの一人がホフライトネル会長であった。SGIは世界の知性とともに超一流の次元で、現代における人間の王道を歩んでいる(大拍手)。〈国連安保理事会が決議したイラク軍のクウェート撤退期限を目前に、フセイン大統領に勇気ある戦争回避の道を望むとともに、中東問題全体に関する『国際首脳会議』の開催を提唱した〉」(『創価のルネサンス 池田名誉会長のスピーチから 24』)
 湾岸戦争を前にしての池田氏らの「戦争回避のための『緊急アピール』」が、なんら戦争の抑止力とならなかったことは歴史的事実だが、それはともかくとして、今回のイラクに対する武力行使は、武力行使の許容条件となっている国連安保理決議を経ない大義なき戦争となることが確実だった。当然、「平和の指導者」を自負する池田氏とすれば、「戦争回避」のための何らからの行動をとるべきだったろう。だが、池田氏は、今回のイラク戦争については、なんら「戦争回避」の発言・行動をせず、むしろ一月二十六日の「SGIの日」を記念しての提言では、
 「軍事力を全否定するということは、一個の人間の『心情倫理』としてならまだしも、政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」
 「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」
 と、イラクに対する武力行使を容認するような姿勢すら見せていたのである。
 もっともイラク戦争については“沈黙”を守り、武力行使を理解するかのような姿勢を見せている池田氏だが、「平和」「非戦」についての過去の発言は実に多弁である。
 例えば、昭和五十八年、池田氏は創価学会の外郭出版社である第三文明社から『「世界不戦」への潮流を』と題する「講演・提言集」を発行している。表紙に「核時代の人類生存の絶対的条件とはあらゆる戦争の否定である」とあるこの「講演・提言集」で池田氏は、まさに「平和の使徒」よろしく繰り返し「反戦・非戦」を訴えている。その一部を紹介しよう。
 「世界の軍事化が進行する中で、とりわけ私は日本の果たす責任の重さを痛感せざるをえません。私どもは、これまで恒久平和主義を掲げた日本国憲法を一貫して守り抜く姿勢をとってまいりました。それはたんに日本一国のためというより、平和憲法の精神と理想とを、あらゆる国々、あらゆる民族の心に植え付け、戦争放棄の人間世界を広げることこそ、恒久的平和への確かな道と信じているからであります」(第8回『SGIの日』記念提言・昭和五十八年一月二十六日)
 「わが国の平和論として、第一にあげなければならないことは、平和憲法を徹底して遵守するということ、それと同時に、平和憲法の精神を共有財産にまで高めていくことであろう。憲法を守るということは、国として当然のことであるが、戦後の保守政権のあり方をみると、随所に憲法の精神からの逸脱がみられる。とくに最近の『有事立法』問題をめぐっての論議などは、平和憲法そのものを形骸化させかねない危険な動向が察知され、厳重な警戒を怠ってはならないと思う」(「二十一世紀への平和路線」昭和五十四年二月)
 こうした池田氏の「平和提言」や「平和対話」の中には、中東問題や、アメリカとイラクの関係に象徴される大国と小国との力関係などに言及したものもある。例えば、昭和五十年の春、池田氏はルーマニア、イラン、イスラエル、ウガンダなどの駐日大使と相次いで会談したが、その中で中東問題などについて実に雄弁に語っている。
 まずは昭和五十年三月二十九日に聖教新聞社で行われた池田氏とS・T・ビゴンベ駐日ウガンダ臨時代理大使との会談。その会談記録には次のような発言が記録されている。
 「大使 先生は日本の指導者だけでなく、世界の指導者です。
 会長 それは過大評価である。しかし、世界平和達成に誠意を込めていることは確かです。たとえばアメリカの国に対しても、何一つ受けていません。むしろ何万冊の図書を贈り、寄付もしております。
 キッシンジャーからよく手紙がきます。そんなことはどうでもよいことだが、二、三日前にも来ました。十一日には大使がきます。
 それはキッシンジャーは傲慢なところがありますが、彼は私の提言、発言が心から人間性と愛情をもったもので念頭から離れないという冒頭への内容でした」
 「大使 我々は戦争に対しては常に反対しています。ベトナム、カンボジア、中近東、あらゆる“殺し屋”に反対。創価学会が平和の団体であることは我々と同じである。
 会長 『戦争』に絶対反対。『暴力』反対。『傲慢』反対。もう一つは『策略』この四つに反対です」

 「戦争に絶対反対」の信念はどこに

 これに先立つ三月六日には、やはり聖教新聞社で池田氏はアドブル・ホセイン・ハムザービイ駐日イラン大使と会談したが、その会談記録には次のような池田発言が記載されている。
 「池田 私がつくった創価大学は“平和の要塞たれ”――これが建学の精神となっている。絶対に小国といえども大国に蹂躙されてはならない。永遠に平和の楽園であって欲しい。みんなそう願っているし、そうなれる権利をもっています。
 私も兄が戦死、4人の兄弟が戦場にいった。私自身、体をこわし、戦争のために完全に青春が犠牲になってしまいました。故に私は、平和の仏法の道に入りました。この人生経験からも、私の信念がおわかり願えると思う」
 「池田 その通り。仏法では賢きを人、はかなきを畜と説く。私の家では、4人の兄が戦争にいった。私自身も幼少のころから病気がちで、家も焼かれた。戦争は私の青春を犠牲にした。仏法では、戦争は絶対に反対する。それが私の一貫した信念である」
 「池田 言ったことを必ず実行するというのが私の主義である。それが、どこの国へいっても私が信頼される原因になっていると思う」
 大国による小国蹂躙、戦争に対する絶対反対の信念。池田氏は熱く戦争反対を繰り返す。もっともこのイラン大使との会談で池田氏は、イラクについてこんな発言をしている。
 「池田 その神秘的なことについて話したい。イランの民族的気質というものは、イラクのそれとは正反対であること。イラクは、はね返り的なものがある。イランは、いいものをもっている」
 はねかえりのイラクは「戦争反対」「暴力反対」の信念に反して武力攻撃してもいいということなのか。
 このイラン大使との会談から約二十日後の三月二十四日、池田氏はシャウル・ラマティ駐日イスラエル大使と聖教新聞社で会談した。「極秘」にするとしたこの会談で、池田氏は、アメリカのキッシンジャー国務長官との関係をひけらかしたのをはじめ、中・ソの首脳に中東和平、イスラエル承認の仲介の労を務めるなどと、自らがいかに大物であるかをアピールしている。池田氏という人間の実像をよく示すこの会談記録は、いずれ機会があれば全文紹介したいが、今回は紙面の都合もあることから、平和に関するいくつかの発言のみ紹介しよう。
 「会長 あとで大使に重要な書類をお見せしたい。実は、エジプト側からも連絡が来ることになっているのです。私に出来ることなら奔走する用意がある。これは大使と私だけの話にしておいて下さい。私は政治家でもなければ外交官でもない。しかしお国を守りたい。中東に平和を招来したいという願い以外に何もありません。
 大使 大変、偉大なことです」

 「我々は誰よりも平和を愛する」?

 「会長 大変よいことです。お国は平和を愛する国として、ぜひ新しい文明の光を投げていただきたいと思います。
 大使 我々は勿論のこと、世界の国民はいずれも完全な人間ではない以上、その不完全な人間が貧乏で苦しむということは、いくら理想をめざしていても逆の結果を生みだしてしまうことがあります。この意味において、先生に是非イスラエルを訪問していただきたい。歓迎いたします。
 イスラエルを訪問してくだされば物質的にも道義的にも必ず記念すべきものを残して下さるのではないかと思うからです。
 会長 御期待にそうよう努力したいと思います。我々にも受難の時代がありました。ですから大使の心がよくわかります。私も牢に入りました。私の前の会長も牢に入った。その前の会長は獄死しています。この日本で一番受難があったのが創価学会だったのです。だから強い。
 また我々は誰よりも平和主義者であり、平和を愛します。と同時に、同じような道をたどってきた民族に対しては一番心を痛め協力もするでしょう」
 「大使 世界中に平和を唱え、戦争は反対だという人々がいますが、こうした主張が実は悪い人々によって繰り返されていることに怒りを覚えます。ですから私はそうした風潮に対して池田会長から啓発し、変えて頂きたいと思います。
 会長 その通りです。私は単なる美辞麗句は信用しません。私は行動で示すのみです。私はその信念でおります。
 大使 創価学会が偉大なすばらしい寺院をもっている事も聞きました。その点からも世界平和に貢献していただきたいと思います。文化団体として、民音をもっていることもうかがっています。文化は人々に喜びを与え、生活の質的向上をうながします。
 会長 その通りです。学会からは政界にも多くの議員を送っている。
 しかし政治の次元のみでは、できないものがあります。政治だけでは本当の平和はできない。故に私は民間人として、平和のために戦っているのです。トインビー博士とも10日間にわたって対談をしました。漸くその日本語版ができました」
 この後、池田氏はイスラエル大使に、サウジアラビア国王が会いたいといっているので、電話をしてくると発言。サウジアラビアとイスラエルを同時に訪問することや、中東和平に尽力することなどを約束している。会談記録には、会談終了後、池田氏が「中東を救うか救わないかの非常に大事な一夜だった」と発言した旨、記載されている。だが、池田氏はサウジアラビアとイスラエルを同時訪問していない。先述のように湾岸戦争回避のための「緊急アピール」こそ出したものの、特に中東和平に尽力したとも伝えられていない。
 そうした言行不一致の最たるものが、今回のイラク戦争に対する姿勢ということができよう。
 イラク戦争開戦直後の三月二十二日に池田氏は、元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏と聖教新聞社で会談した。その席上、ゴルバチョフ氏が今回のイラク戦争に関して、
 「世界の世論の反対を押し切り、国連の安全保障理事会の支持もないまま軍事行動が行われたことに強い懸念を表明し、『このまま国連が軽視され続けるなら、世界は混沌に陥ってしまう。私は、世界の未来を心から憂えています』」(「聖教新聞」三月二十四日付)
 と発言したにもかかわらず、「聖教新聞」報道によれば池田氏は、このゴルバチョフ発言に応じることはなく、イラク戦争についての自らの考えを明らかにすることはなかった。
 「『戦争』に絶対反対。『暴力』反対」
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