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2003年11月15日号
特集/創価学会「裁判報道」のウソ

フランスでの創価学会訴訟
―「SGI全面勝訴」報道のウソと狙い

ジャーナリスト 広岡裕児


 たとえば10回試合して、10回勝つことが全勝である。その間に1度でも負けが入ってはいけない。それでも「ウチのチームは全勝街道バク進や!」とオダあげているオッチャンには「悪いけどナ、あんたとこ1回負けてまっせ」と言えばいい。「そりゃ理屈やで、だいたい全部勝ってるんやからええやないか」と開き直られるかもしれない。しかしまさに「理屈」とはそういうものなのだ。
 14勝1敗で優勝した相撲取りを「全勝優勝」と書けばたとえそれが横綱であっても誤報である。

 「7勝6敗」だった潮の「全勝」報道の中身

 『潮』1994年5月号(本誌第14号44ページの“4月号”は誤植。訂正する)の〈学会への「中傷記事」で裁かれたフランスのマスコミ報道〉という記事は、91年4月ごろから92年11月まで〈“学会バッシング”ともいうべきSGI批判記事の氾濫〉があったため、〈フランスのSGI法人および創価学会が名誉毀損および民法上の過失(善良な管理者の注意義務の不履行)を基に地方裁判所に提訴〉し〈SGI側が全面的に勝訴している〉という。
 ところが、この一連の訴訟のひとつ『ル・ポワン』誌91年6月24―30日号の「創価学会、奇妙なセクトの曲がった原子力」という題名の記事に対して、92年4月1日パリ地方裁判所(正式名はパリ大審院)は原告敗訴の判決をだしている。判決文はいう。
 〈記事の筆者が中傷の意図やどんなことがあっても誹謗しようという意志に動かされているということは証明されていない―筆者は客観性を気にして慈善活動などこの運動のいくつかのプラスの面を強調している―のに、創価学会という運動についての取材をした記者が、フランスのセクトについてのフランスのヴィヴィアン報告を引用すること、あるいは、その(注:創価学会の)いくつかの所有地が戦略的な拠点の近くにあるという理由でDST(注:国際案件の諜報公安組織)や一般情報部(注:公安組織)が監視しているという報告をすることは、それがたとえ批判であっても、非難できない。
 よって本記事は情報の自由の観点から誤ったものとはみなされない。〉
 また、92年11月2日にはパリ郊外の地方紙(週刊)『ラ・レピュブリカンヌ・エッソンヌ』91年4月18―24日付の「マレヴィル城にはどんな将来が、ゴルフ場、セクト、公園?」という記事についてエブリー地方裁判所(大審院)は、原告敗訴の判決を下している。被告となったラポルト記者は「創価学会は控訴したが途中で控訴を取り下げた。彼らに理があるのならそれを明らかにすべきだ。どうして放棄したのか」という。
 さらに、先の『潮』の記事は週刊誌『エヴェンヌモン・ドゥ・ジュディ』91年5月9日号の「日本の仏教に三菱の影」と『エヴェンヌモン・ドゥ・ジュディ』91年6月27日号の「創価学会:いかにしてこのセクトはダニエル叔母さんの慈善事業に入り込んだのか」という記事についての第一審判決をとりあげ、前者については〈記事の悪質さを裁判所がはっきりと指摘した。〉後者については〈フランスの名誉毀損訴訟としては異例に高額な三万フラン(約八〇万円)の損害賠償金を支払うことを命じ〉たと高々と勝利を謳っている。ところが、じつはこの両訴訟とも93年2月23日パリ控訴院で〈(原告の)訴訟は根拠がなく、すべての請求を却下する〉と逆転判決がでているのである。
 前者については名誉毀損は成立しないとし、民法上の過失についても〈それら(注:原告の協会のこと。以下原告と表記)はこの第二の記事の筆者がどこで「間違った技巧」をつかっているのかということについて明確にしていない。そもそも、原告自身筆者が「巧妙に名誉毀損表現を避けた」と訴状に書いている。また原告は問題となっている記事が与える情報の正確さについて抗議しておらず、インフォメーションのためのその出版は表現の自由の間違った濫用を構成しない〉という。後者では〈被告は善意で、この件を問題となっている記事の枠内で扱うことができ、それに対する名誉毀損の抗議は根拠がない〉と判決文に明記している。
 『潮』の記事は、この『エヴェンヌモン・ドゥ・ジュディ』の記事について〈なお、この二件は、被告が控訴したため現在係争中である。〉という。掲載されたのは94年4月に発売される5月号、原稿の締切りがいつなのか日付は分からないが、控訴審判決からすくなくとも1年は経過していよう。この部分につけられた「裁判所も認めた記事の悪質さ」の小見出しをそのままお返ししたい。
 ついでにいうと『潮』の記事は、『エヴェンヌモン・ドゥ・ジュディ』91年4月18日号の記事について〈裁判所は名誉毀損は明らかであるとしたが、九二年一月二十二日に時効が成立し、裁判は終了した。〉と書いているが、名誉毀損裁判でもほかの裁判と同様に訴訟した時点で成立しているかどうかが問題なのであって、裁判中に突然時効が成立することはありえない。また、時効であれば裁判そのものが成立しないのであるから、裁判所が「名誉毀損は明らかである」などと判断するはずがない。正確には時効が成立しているために訴えは不受理になったのである。
 『潮』の記事は、1991年から92年にかけて14件の訴訟といっているが、いまのところ13件が確認できた。その結果を確定判決でみると、勝訴7回、敗訴5回、不受理1回である。
 しかし、時効が成立しているための不受理はいわば不戦敗とみていいのではないか。損害賠償額数千万円と見積もるほどの大事件を、全国発売のメジャーな新聞雑誌で発売から3か月の期間中に訴えられないこと自体おかしなことだからである。反対に、損害賠償金が1フラン(約20円)しか認められなかった判決も3件があるが、勝ちは勝ちである。(もちろんもっと金額が高ければ控訴しただろうから逆転の可能性もあるが。)
 そうすると、7勝6敗。もっとも、『潮』の記事で大きく取り上げられている『ル・パリジャン・リベレ』紙の91年6月18日付記事「我が国の機密防衛に万歳」の控訴審勝訴が最高裁で覆ったのは記事の出た後だから、その時点では8勝5敗である。いくら強情っぱりの呑み屋のオッチャンでも、これではさすがに「全勝!全勝!」などとは言えないだろう。

 不可解な創価学会の訴訟姿勢

 創価学会のフランスでの訴訟にはいくつかの腑に落ちない点がある。
 まず、創価学会は1881年7月29日法(報道の自由についての法)を根拠に訴えたわけだが、その第13条には反論権と呼ばれる規定がある。記事に名の出た人からの反論を日刊であればそれを受け取ってから3日以内、そうでない場合は翌々日以降の最新号に無料で掲載するというものである。記事は同じ場所に同じ長さ(ただし最高200行まで)で一切の手を加えずに掲載しなければならない。この違反を裁判に訴えれば、現行3750ユーロ(49万円)の罰金と掲載命令がでる。さらに裁判所の命令の不履行のときは同額の罰金及び3か月以下の禁固刑である。この反論権を創価学会は行使しなかった。この権利を使ったからといって名誉毀損訴訟ができなくなるわけではないし、反論権の時効も3か月で名誉毀損裁判と同じであるから、技術上の問題もない。それなのに……、である。
 つぎに名誉毀損は刑事裁判でもできる。フランスでは刑事裁判の中で損害賠償請求もできるから民事で行うよりも効率的である。とくに個人や集団がある宗教に所属しているという理由での名誉毀損では現行4万5千ユーロ(585万円)以下の罰金と1年以下の禁固刑であるから懲罰も重い。ところが、創価学会はそれを行わなかった。
 さらに、同じことが書かれていても時期によって名誉毀損裁判を起こしたり起こさなかったりする。
 原子力疑惑については、88年にも『ラ・レピュブリカンヌ・エッソンヌ』が、「アルニーの地所(ブリュイエール・ル・シャテル)を日本のセクトに売却、当局は危険を知っていた」という記事をはっきり「SOKA」の文字が分かる創価大学のフランスの施設の写真付きで出しているが、まったく行動は起こさなかった。
 逆に99年11月29日付の『フランス・ソワール』紙には、「彼(注:池田大作)はダニエル・ミッテランのフランス自由協会に献金しエリゼでフランソワ・ミッテランに会いました。かれは来年初めにパリに来るはずで、すでにジャック・シラックから招待されるよう工作をしています。しかし秘密諜報部は監視しています。90年代の初めから彼等は創価学会がフランスの原子力研究機関の近く、とくにサクレーの周辺に施設をつくるので心配しています。なぜならその信者たちは科学的あるいは軍事的スパイ活動をしていると疑われているからです」という政治学者のコメントが載っているが、訴訟は起こしていない。
 ところが同じ頃99年10月11日付の「ドフィネ・リベレ」紙の「創価学会は我々の地方で信者をあつめている。奇妙な仏教徒」「仏教徒……というのは早とちりだ!」という記事に対しては訴訟を起こしている。ただしこれは01年12月13日第一審創価学会側が敗訴したが。(本誌12号参照、控訴せず確定。)

 狙いはジャーナリストの口封じ?

 インターネットでどこの組織にも属さずセクト関係の報道を丹念に追って発表しているマチュー・コシュー氏はホームページで創価学会による訴訟攻勢を、1988年に創価学会がフランスの国営テレビ局に圧力をかけるのに成功したのに勇気づけられたのだと解説している。(www. prevensectes. com)
 〈1988年創価学会はアンテンヌ2の上層部に圧力をかけた。7月7日の夜に予定されていた「エディッション・スペシャル」という番組は生命への招待(IVI)、エコヴィーと創価学会の3つのルポルタージュで彩られるはずだった。IVIは関係するテーマの放送を禁止するために告訴した。創価学会については、彼らもまたジャーナリストによって撮影された映像に不満で、番組が取り消されるよう要求し執達吏によってアンテンヌ2の本社に通知させた。法的な価値はないにも拘らず、この動きは、フランスのテレビ局の代表コンタミンヌ氏を屈服させるに十分だった。(…番組は惨澹たるもので、ゲストはスタジオを去り、司会者はセクトのロビーがテレビに対していかに身勝手ができるかと嘆いた…)
 判決文抜粋(勝訴したものだけ)が信者に送られ、このセクトのさまざまな出版物やインターネットのサイトに掲載されている。〉
 あるいは、さきの『潮』の記事の筆者も創価学会を信じてコシュー氏がいうように勝訴の情報だけをもとに書いたのかもしれない。筆者の紹介を見ると英国法廷弁護士だという。彼自身そういう情報操作の被害者なのかもしれない。そうであるならば自分の信頼する教団に裏切られて弁護士としての名誉を傷つけられたわけだ。哀れである。
 コシュー氏はこの解説をつぎのように結んでいる。
 〈(創価学会の)メンバーにとっては、これは、彼らが犠牲者だと思っているメディアの陰謀に対する正当な防衛でしかない。
 それ以外の人にとって、これはむしろジャーナリストの口を封じるための真のハラスメントのようである。〉


広岡裕児(ひろおか・ゆうじ)1954年生まれ。大阪外語大学フランス語科卒。パリ第3大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。オドセーヌ県立アルベール・カーン博物館客員研究員、パシフィカ総合研究所(PSK)主任研究員。著書に『プライベート・バンキング』(総合法令)『皇族』(読売新聞社)など。

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