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2003年10月1日号
特集/あいつぐ創価の展覧会―その狡猾な手法

笑わせ上手の池田大作さん
―「平和旅」展とロバート・キャパ展の落差

ジャーナリスト 野田峯雄


笑劇披露の「池田大作―平和への旅」展

 池田大作さんにはいつも大笑いさせられる。こういう人ってあちこちにいるもんです。池田大作さんたちはつい先だっても観客に飽きがこないよう笑劇を披露してくださった。
 東京中心部の有楽町マリオン(有楽町朝日ギャラリー)と西郊八王子市の創価学会東京富士美術館で並行開催した2つの写真展である。ひとつは「平和」を掲げ、もうひとつは「戦争」を掲げる。その「平和」と「戦争」の絡ませ方に関心を引かれるが、もっと強く注視したいのは、2つの写真展の内実である。
 有楽町マリオンのほうは9月5日から10日にかけて。写真集『太陽のこころ 池田大作―平和への旅(1972〜81)』の出版記念だという。池田大作さんにピタリ寄り添う牛田恭敬さん(現・聖教新聞写真局長)と斎藤亨さん(現・グラフSGI編集長)が9年間かけて撮影した池田大作オンパレード157点。ターゲットはすべて口をひん曲げかけた池田大作さんだらけなのでとても暑苦しい。彼はあの若さでもう異様にずんぐりむっくりしていたんですねえ。おまけに、牛田さんと斎藤さんの腕が初めてカメラを買ってもらった小学生並みで、池田大作さんの脇や背後に妻・かねさん(香峰子は偽称)がカネをふんだんに注ぎ込んだらしい歯をニッとむき出して佇んでいたりするので恐ろしい。彼らはこのおそまつ写真展で何を言いたかったのか。池田大作名誉会長の宇宙規模の叡智を傾けた華麗なる平和外交戦。正確に翻訳すれば、池田大作さんが裾野の学会員のカネを乱費して繰り広げる犯罪的かつ豪華絢爛海外旅行(お遊び)、要するに、池田大作用語を借用するなら「子分」を引き連れた平和旅を刻印したがっているようなのだ。刻印される観客の大半が学会員らしき中高年の女性たちで、次々と現われるずんぐりむっくり写真を伏し拝むような姿勢が会場に独特の雰囲気を漂わせてもいる。とりわけ妙な1枚に出くわした。息を呑む。
 標題は「多忙なスケジュールの合間 緑の木々とカメラで対話 ソ連モスクワ 81年5月」。公園内らしき木々に囲まれた大道の端にむっくりとしたワイシャツ姿の男がいる。後姿だ。ハゲかけた額と腹ボテで「あっ、例のおっさんやないの」と分かる感じ。彼はカメラを持っている。ヘンな姿勢だ。カメラを目ではなく、腹の前のほう数十センチのところに構えている。なんと「胃の上部」で撮影しているようなのだ。じつにユニークな撮影方法ではないか! 芸術の域に達する写真とはかくあらねばならないというお諭しがピリピリッと伝わってくる。でも、牛田さんあたりが脇に寄り添い、あまつさえ池田大作さんと同じ光景を撮っているらしいのが気になる。……やつらは意趣を含んでいるのか。その行為は池田式胃眼写真術を侮蔑しているとしか思えない。
 感動しましたか、と50代の女性に訊いた。彼女は微笑を浮かべ「とても!」と答えた。しかし、彼女の微笑は弱々しかった。

「カス」と「ホンモノ」――対比の妙

 朝日マリオンの写真展はやたらに「平和」を高唱する。繰り返し「ずんぐりむっくりの存在そのものが平和だ」と囁く。しかし脂ぎった自称「平和」は画面から、驕慢以外、何も伝えない。カスだ。
 お口直しの気分で東京富士美術館ヘ出かけた。驚愕する。こちらにはホンモノの写真があった。『戦争と子供たち―そして9・11』(8月1日〜10月19日)である。
 掛け値なしの最高の報道写真家ロバート・キャパの作品を並べ、これにキャパの志を引き継ぐ22人の写真家の作品を加えている(全150点)。そこには「戦争」があふれていた。恐怖と絶望と残虐と愛とかすかな希望と勇気の混濁した波が私たちを激しく撃ち、沈思させる。
 キャパはこう言った。
 「戦争は写真に撮れない」
 このハンガリー生まれのユダヤ人は連合軍の従軍カメラマンとして第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を駆け抜けた。同時にスペイン戦争、日中戦争、中東戦争を追い、1954年にベトナムで地雷を踏み死んだ。
 そこは解放間近いパリの街角である。画の手前に3人のパルチザンがいる。銃を持ち壁に身を寄せ、息を殺し、前方のドイツ兵の立てこもる家屋を見詰める。3人のパルチザンの真中はまだ10代前半の少女。彼女の背も握りしめた銃も緊張に震えているようだ。写真は直後に何が起こったのか、もう語らない。いま画をすっぽりと包んでいるのは静寂だ。次の瞬間、流血によって破られるであろう静寂。あまりにも危険な静寂だ。しかし時間はここで止まった。それは永遠の静寂になった。
 1944年10月の、解放されたブェルコール地方の子供たち。4人の少年が真剣な表情でおんぼろバイクにまたがっていた。4人の少年はどこへ向かおうとしているのか。バイクにはタイヤがない。絶望的だ。が、先頭の子は両手でバイクのハンドルを掴み前方を凝視している。この、張り詰めた意志から発している、かすかにきらめく希望。
 キャパは連合軍といっしょにドイツへ入った。彼のカメラはドイツ国民の惨禍と恐怖と彷徨をも冷静に捉えていた。立ちつくす男。くぼ地にへたり込んだ女たち。
 建国間もないイスエラルのゲデラ近郊。雑草がぱらぱらっと“薄茶色の土”にしがみついている荒地にユダヤ人が村をつくった。キャパは1950年の晩秋、この村を訪れた。4人の痩せた男が、ナチ収容所で目をつぶされたのだろうか、顔をそれぞれあらぬ方へ向け、手をつないで横一列になり、この先頭の男の左手を小さな女の子が握り、案内している。キャパは4人の目の不自由な男たちと小さな女の子を、薄茶色の地面とまばらな雑草に頬をこすりつけるようにして撮った。彼らの後ろはすごい青空だ。その下、画面の左奥にそまつな木造バラックが数棟見える。
 戦争は写真に撮れない、とキャパは言った。しかし彼の白黒写真はいずれも「戦争」を鮮明に語る。愚か者たちの生起させた“すさまじい悲惨の日常化”による苦痛と怒りと屈辱と虚無を、鋭く蒼い刃のように突きつける。言葉は力を失う。そこに勝者はいない。殺る者と殺られる者の傍らを、ただ敗者と死者の群れが延々と流れるのだ。

作品を利用されたロバート・キャパ

 「若き日から最高の芸術を民衆(下々の創価学会員のこと)の手にとの思いで、文化交流の道を切り開いてきた」(注は筆者)
 聖教新聞によると、池田大作さんは8月30日にこの写真展(戦争と子供たち)を鑑賞し、そんなふうに述懐なさったという。いやはや。「キャパは私」などと言いかねない。欲望のおもむくまま美食と女のふしだらな生活ゆえウウウッと引っくり返り宙を蹴とばしたばかりなんて言われているのに、えらく鼻息が荒い。いずれにしろ、彼は笑わせ上手だ。文化交流の道? 池田大作さんの足下の倉庫(東京富士美術館)には、池田大作さんが「平和外交(お遊び)」をするたびに、カネに糸目をつけず買いあさってきたガラクタの“山”がいくつもあるはず。それより何より、「口をうんと巧く使い」(池田大作さんの言葉)学会員から集めた札束で「最高の芸術」を買い漁って抱っこすれば自分が知的になったと完全に思い込む病がとても哀しい。あまつさえ、キャパの関係だが、池田大作さんたちはキャパの遺族の横っ面を札束でひっぱ叩くようにして、故人の写真やカメラなど、ほとんどの遺品をごっそり買い占めたのだった。なぜそんなことをしたのか。
 池田大作さんをなめてはいけない。戦争と平和が何よりもおいしい商売になることを熟知しているのは、死肉に食らいついて離れない米企業ベクテルなどを除くなら、「池田大作」しかいない。つまり、キャパ作品とキャパ展はまったく別次元の話である。キャパはあの世で、池田大作さんのぽってりとした手に掴まれて平和商売を展開され、熱を発して寝込んでしまったと思われるが、その程度のことならまだマシ。自分の作品を利用されてこんなことが行なわれていると知れば確実に七転八倒するに違いない。
 別表【池田大作グループ(公明党)が成立させた主な戦争傾斜関連法】を見ていただきたい。たとえば1998年から今日まで、戦争へ滑落していく法律の成立の後押しをしていたのは誰か。まぎれもない、「池田大作」である。
 そう言えば、藤原弘達さんが『創価学会を斬る』(1969年)でこう指摘していた。
 「公明党が自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中におけるファナティック(狂信的)な要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にフッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多く持っている。自公連立政権ができたあかつきには、公明党は立党の精神である『平和と福祉』の看板も破り捨て、政権にしがみつくことしか考えなくなる。そうなったときには日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い」
 今日、藤原さんの指摘のとおりになってしまった。だからこそ池田大作さんは今年の初夏、ひっくり返ったと噂されているさなかでもなお必死に「69年当時の藤原さんに対する出版妨害事件のてんまつ(史実)」の改ざんを図ったりしたのだが、いずれにしろ総選挙後、この国はいよいよ、池田大作さんに手を引かれて腐乱の最後の局面へ突入していく。

野田峯雄(のだ・みねお)フリージャーナリスト。1945年生まれ。同志社大学卒。週刊誌や月刊誌等を舞台に国内外の政治・経済・社会問題等をレポート。最近著『闇にうごめく日本大使館』(大村書店)ほか『池田大作金脈の研究』(第三書館)『破壊工作―大韓機“爆破”事件の真相―』(宝島社文庫)など多数。

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